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FEATURE / MOVEMENT

幅允孝のウイスキー対談

オールドパー紳士録 Vol.2

橋田建二郎

2016.11.07

text by Yoshitaka Haba/photographs by Daisuke Akita

連載第2弾は、すし職人の親子二代の物語。
父の「見とけよ」の言葉を胸に技を磨き、海外で大活躍する息子。
傍らでどっしりと支え見守る父。次代に受け継いでいくもてなしの心に迫ります。


銀座の奥座敷、二代目に暖簾を引き継ぐ




寿司職人の話だというのに、お休み中の店を紹介するのだから実にへんてこな連載である。そのお店、東京・勝どきで50年も暖簾を守る知る人ぞ知る鮨の名店「はし田」。今回は、そのお店にまつわる職人親子とオールドパーの物語である。 


店の歴史を物語る千社札。中には数百万の値がつく逸品も。


角界のスターにも贔屓が多い。

もともとは北前船の交易の仕事をしていたという家柄の堺家13代目時夫は、橋田家に婿入りしてすし職人という仕事を選び、様々な場所で自身の技を研鑽した。やがて、勝どき交差点から数分歩いた路地につくった「はし田」には、著名な政治家や財界人、そして海外のセレブリティがお忍びでやってくるようになる。彼らは店のホスピタリティと確かな技に感銘を受け、足繁く通うようになったのだ。霞が関や銀座では大きな声で話せないことも、勝どきだったら議論できる。かつては河岸の町だった勝どきで、世を動かす宴が人知れず催されていたというわけだ。

北前船の廃材で作った座敷の机。使い込まれ鈍い光を放つ。


柾目の秋田杉のみを用いた壁のしつらえ。一直線に伸びる年輪の筋は美しさをもたらすと同時に湿度調整の役割も果たす。「日本建築の伝統を活かすのも寿司屋の役割」と時夫。

北前船の木材を使用した机や秋田杉の柱など、本物の素材をそのままに使うことを重視した店内は、巷にあふれるミニマリズムを極めたような鮨店と随分違った雰囲気を受ける。なんでもかんでも削ぎ落とすのではなく、それは主人時夫の人柄が浮かび上がるような空間。彫刻家の流政之が持ってきたという菓子木型や舞妓うちわ、リニューアルの際に友人のバーからもらったという大きな磁器の壺、フランス人の写真家に撮り下ろしてもらったポートレイトなど、「はし田」に関わり時夫が親交を結んだ人々たちによって育まれた痕跡がこのお店には多々残る。

「はし田」初代店主、橋田時夫氏。

何より重視した、お客さんとの間合い





時夫は職人生活を続ける上で、お客さんとの間合いを何よりも重視していたという。対話し、深層心理をさぐり、その人が最もおいしいと感じてもらえるような鮨を出す。シャリが小さくタネは大きめの「はし田」の鮨は、時夫とカウンター越しのお客との阿吽の呼吸でつくられたものだった。
そんな「はし田」が2016年の4月9日をもって、長期休業にはいった。ご近所さんは、この老舗がこの後どうなるのか固唾を飲んで見守っているというが、時夫は朗らかにこう言う。「後のことは若い者が好きにやってくれたらえぇ」。

「はし田」二代目、橋田建二郎氏。

その想いを託されたのは時夫の息子、橋田建二郎。通称ハッチ。1979年生まれの彼は、現在シンガポールで「Hashida Sushi Singapore」を切り盛りする「はし田」の2代目である。



築地から空輸されるネタで、日本同様のクオリティを提供している。

栗、抹茶、ゆず、ほうじ茶など和素材を使ったマカロンも大人気。

「HASHIDA SUSHI SINGAPORE」 www.hashida.com.sg


勝どきから遠く離れたシンガポールの地で数々のレストランアワードを受賞する彼が、新しい「はし田」の本店をゼロからつくりあげるというから実に興味深い。20代の前半から父の元で修行を積んだ彼は、何を受け継ぎ、「はし田」をどう変えていきたいのか。長年親子で通うという、銀座の老舗バー「セントサワイ オリオンズ」で話を聞いた。



多くを語らずとも伝わる、職人の矜持




銀座にある小さなビルのエレベーターを上り、件のバーに足を踏み入れると空間の広がりに誰もが驚くことだろう。その優雅さを噛みしめてもらうため、わざとビルのエントランスやエレベーターを小さくしたのではないかと疑いたくなる程だ。グランドピアノが置かれ、ホテルロビーのような重厚で安心感のあるソファは1950年代欧州にあったレストランバーを彷彿とさせる。常連のボトルキープは、どっしりとした瓶のオールドパー。ここは伝説的なバーテンダー、澤井慶明が1972年10月にオープンさせた場所だ。





残念ながら澤井は2006年に他界するが、今はその右腕だった屋良利宗が「サワイ」を切り盛りする。40年も前から仕事が終わっては、毎日ここに来ていたと時夫はいうから、「はし田」と「サワイ」はまさに家族のような付き合い。忘年会も合同で取り行い、両方の店をはしごするのだとか。実は「はし田」にある大きな磁器の壺も、引越しを終えたばかりの時夫が「サワイ」で飲んでいた時にいたく気に入り、そのまま自身の鮨店にまで持って帰ったという逸話も残っているくらいだ。




一方、息子 建二郎の「サワイ」デビューも早かった。「最初は何だかよくわからないまま連れて来られた」と息子は語るが、父がお店に入るときだけピアノの音楽が変わり特別な入場曲になったことに驚いたという。確かに、常連を極めた人だけ味わえる銀座の遊び心。鮨の修業に関して時夫は、「基礎さえしっかりすれば後は自由。まずは、とにかく盗め。教えると忘れちゃうから」と言うが、建二郎にとってはカウンターで働く以外の父の姿からも学ぶべきところが多かった。時夫は、男の遊びと休息についても無言で息子に伝えたかったのかもしれない。


建二郎が若かりし頃、父に連れられて行った場所で思い出に残っている3つの場所が上野動物園、築地市場、そして「セントサワイ オリオンズ」だという。そう、「サワイ」こそが、初めて知った「大人の場所」だという彼は、いま親子二代でカウンターに座り寛いでいる。かつては師匠と弟子という関係。そして現在は男と男の付き合いに変わり、親子で一緒に酒を酌み交わすカウンターがあることが何よりも愛おしい。

「セントサワイ オリオンズ」名物の「特選和牛ローストビーフ」、3000円(税別)。オールドパー12年のロックが繊細な和牛の味とよくマッチする。




オールドパー12年の水割りを飲みながら、二人はそのスコッチの柔らかさや調味料としての可能性について語る。普段はほとんどウイスキーを飲まない父も、染み入るようなオールドパーだけは別なのだという。少しずつ酔いがまわり、自然と二人の会話はかつてカウンターの向こう側にいた澤井バーテンダーの話になった。建二郎は「サワイ」の営業が始まる前に遊びに来て、氷を真ん丸にする様子を観察したり、初めて生ハムを食べさせてくれたことを覚えていた。建二郎の記憶に根付いている澤井は、とにかくスマートなバーテンダーだったようだ。時夫は懐かしそうにこう力説した。「とにかく澤井の客さばきと女性に対するちょっかいの出し方は見事で外国人のようだった。そして、その間合いを僕は観察していたのですよ」。


建二郎は若い頃から父や銀座の名バーテンダーの仕事を間近で見てきたが、その「見る」から何を学ぶかによって辿り着く場所も異なってくると言う。調理場で父や先輩から何度も言われた「見とけよ」という言葉。その「見る」行為を自分勝手にするのではなく、「父の見ている風景」にどうやって肉薄するかが、彼にとっての学びだった。
 いつか「はし田」の3代目が生まれ、一家の技は誰かへと受け継がれていくのだろう。そのとき建二郎は、父がそうしてきたように多くの言葉を用いるのではなく、自身の存在そのものをどんと示し、一言だけ告げるに違いない。「見とけよ」。多くを語らずとも、確かに伝わる職人の矜持。名物のローストビーフを頬張りながらオールドパーを味わう親子の宵は、静かだが確かな絆で結ばれていた。


再開が待たれる、勝どきの新生「はし田」、オープン日は未定。
シンガポールで世界の顧客を相手に経験を積んだ2代目の新境地に期待が募ります。
新たなオールドパー紳士との出会いを求めて、幅さんの旅は続きます。

撮影協力 :  「セントサワイ オリオンズ」

“昭和の社交場”の雰囲気を満喫できる、いまどき貴重な大人の空間です。







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