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Journal / ilGolosario





パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.4 リグーリア州レッコのチーズ入りフォカッチャ

text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki

水、粉、オリーブオイル(又はラード)で作るシンプル極まりない食べ物「フォカッチャ」。そんなフォカッチャも現在では地方ごとのバリエーションも多彩にイタリア料理のアイデンティティーを語る上で重要な存在となっている。

フォカッチャ発祥の糸を手繰ると、少なくともそのコンセプトは、農耕や製粉の営みが始まった頃、穀類がシンボルや儀式として用いられるほど価値を持ち始めた頃の太古の闇にその先が消えている。

そんな中でも優雅なものは、古代ローマの詩人ウェルギルネスの描いた『アエネーイス』第6巻の一節で、アエネーアースは地獄の番人ケルベロスを眠らせ、あの世に足を踏み入れようと小麦粉にハーブと蜂蜜を用いたフォカッチャを「眠り薬」として用いている。

ウェルギルネスが記したような、パンの一種であるフォカッチャが二つの世界を結ぶというテーマは、民間宗教や幻想世界の物語に頻繁に登場するが、特にキリスト教では精神的な糧を示すシンボルとなった。

ジェノヴァっ子は今も昔もフォカッチャ好き




ジェノヴァの人たちにとってフォカッチャは身分証にも等しい。
1500年代半ばには彼らのフォカッチャ好きも度を越して、当時の司教マッテオ・ガンバーロは、宗教儀式が執り行われる間も教会でフォカッチャを食べる者がいれば破門するぞと信者たちを脅さざるを得ないほどだった。
だが同じ時代にその教会自体が婚礼の典礼儀式の際に、ワインと共にフォカッチャを用いている。

今日でもその人気は衰えを知らず、日の出と共に焼き立てフォカッチャがあちこちの店のオーブンから引き出され、多くのジェノヴァっ子たちにとって朝の出がけに立ち寄る日常スポットになっている。

用いられる原料は、軟質小麦粉(00タイプ)、水、エクストラバージン・オリーブオイル、酵母、塩に麦芽エキス。発酵にしっかりと時間をかければ原料を捏ねだしてからオーブンに入れるまでの作業に約10時間を要する。
こうして焼かれたフォカッチャは厚さ2センチ、香ばしく、深くてまばらな表面のデコボコに溜まったオイル感が好ましい。

食べる「快楽」を生んだレッコの女性料理人




さらにジェノヴァ近郊にあるレッコ(Recco)にも自慢に値するほどの歴史を持つ変わったフォカッチャ(チーズ入り)がある。その歴史は実際、第3次十字軍の時代にまで遡る。

1189年、海辺の町レッコの市民らはサラセン人の襲撃により内陸部への非難を余儀なくされ、そこでスレート状の石の上でチーズを詰めたパンを焼くことを思いついた。が、これが本格的に普及したのは1800年代の終わり、町にあった5つのパン屋が「Focaccia di Recco col Formaggio(レッコのチーズ入りフォカッチャ)」を焼き始めてからで、その後「故人の日(11月2日)」にあわせてオステリアでも焼くようになり、1900年代の初めには現在のものに地域で統一されている。

60年代にイタリアのスターたちがこのフォカッチャを食べに訪れるようになると、ブームにも拍車がかかる。
レシピはと言えば、水、小麦粉、塩とエクストラバージン・オリーブオイルを捏ね、柔らく弾力のある生地にしてボール状にまとめ、1時間ほど休ませる。






それを薄い2枚の円盤状の生地にのし、一方の上にクレシェンツァ・チーズ*1を置き、もう一方でその上を覆う。
これを予め220℃にまで温めたオーブンで約20分焼く。
こうして焼きあがったフォカッチャは現在、ヨーロッパのIGP(地理的表示保護)に認定されている。

レッコにある「Manuelina (マヌエリーナ)」は正にこのチーズ入りフォカッチャの神話を生んだレストランだ。
1885年創業のこの店には、その凄さを語る短くとも味のあるエピソードがある。


時代は1900年代初頭、登場人物は著名な文人ガブリエレ・ダンヌンツィオ*2。フォカッチャを口にした彼はすぐさまこの店の女性料理人を呼び出し興奮気味にこう言った。 「確かに僕は小説『il Piacere(快楽) *3』を書いた。だが、その僕に『快楽』を与えてくれたのは貴方だ! 」

ダンヌンツィオは、このマヌエリーナという店こそが、第1次世界大戦という暗い時代に、このチーズ入りフォカッチャの形態を地域で統一した店だったとは知らなかったかもしれない。が、当然、出来上がったものは正しく評価できた。

今日でも当時と同じ一家がレストラン、フォカッチェリアそしてホテルとして経営を続けている。
85歳を過ぎた亭主ジャンニ・カルボーネは、息子のチェーザレ、グローリアそしてクリスティーナという娘と一緒に、今日も店に立つ。

創業当時から「マヌエリーナ」を経営し続けているカルボーネ家

このフォカッチャはたとえ注文しなくても店を訪れるすべての人に出される。「マヌエリーナ」ではそれが店のアペタイザーだからだ。
お昼時、はじめにホールに置かれるかなり大きなオーブン皿の上のフォカッチャは、数分もしないうちにみるみる小さくなっていく。




「レッコの町の中心から100mあまりのこの場所にマヌエリーナがこの店を開いたのは、1885年の事です」ジャンニ・カルボーネは言う。

「彼女は農家の生まれで、料理への情熱と生まれつきの技量で毎日、その日にこの土地で得たものを用いて料理を始めました。特にソテーしたチーズ入りのフォカッチャの伝統を、11月2日の故人の日に食べる『窯焼きのチーズ入りフォカッチャ』というレッコ独特の料理にまでしたのです。自動車もほとんど走っていない時代の話です。遠方から店にたどり着きドアを叩く客がいれば、それが何時であれ彼女はすぐにオーブンを温めるために走った。そうです、これがマヌエリーナのもてなしの心、仕事への情熱の全てです」

が、これは彼らの一家の物語として今も続いている。名前一つをとってもそうだ。
1885年から今日まで、代々孫あるいはひ孫にEmanuela*4(エマヌエラ)と名をつける。この執着の裏には彼らの味へのこだわりと地域特産物の追及への深い意欲が見られる。ジャンニ・カルボーネは加えて言った。

「グローバル化が全ての物の味を均一化してしまう傾向にある今の時代、私たちはその物が持つ味を守っていくべきなんです。私から見れば料理は常に唯一無二の味を持っていなければならない、平凡ではだめだ。私たちの処に来る客は、ここに来れば他には真似のできない味がある、だから食べに来てくれる、というのでなければならないのです」

確かにマヌエリーナのフォカッチャは他には真似できない。皮は絶妙のカリカリ感を持ち、チーズの味わいが全てをあっという間に包み込んだら、今度はVermentino(ヴェルメンティーノ)やPigato(ピガート)といったリグーリアのシンボル的白ワインが欲しくなる。当然ながら心のスポット「マヌエリーナ」の豊かなワインセラーはこれらを欠かしたことなど一度もない。



パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it

※訳注
1:クレシェンツァ・チーズ
レッコのフォカッチャに用いるこのチーズは、リグーリア州内で生産されるフレッシュチーズ。レッコのフォカッチャのためだけにトレーサビリティ生産で作られているもので一般には流通していません。レッコのフォカッチャの規定の厳格さを裏付ける事実です。

2:ガブリエレ・ダンヌンツィオ(1863年-1938年)
イタリアの詩人および作家。当時のイタリア社会と文化のあり方を変えさせるほどの影響を与えた文人で、戦争の英雄であると同時に実は、その小柄な体格とは裏腹に女たらしとしても知られています。

3:『 il Piacere(快楽)』
彼の小説第一作目であるこの『il Piacere(イル・ピアチェーレ:邦題『快楽の子』)』は、ローマの若い貴族アンドレア・スペレッリとエレナとマリアという女性二人の恋愛小説で、類まれな成功を収めましたが、世紀末のイタリア上流社会にスキャンダルをも巻き起こしました。

4:ManuelinaはEmanuela
店名の「Manuelina(マヌエリーナ)」は、イタリア語の女性の名前「Emanuela(エマヌエラ)」の愛称です。





shop data:窯焼きのチーズ入りフォカッチャを食べるなら
Manuelina (リグーリア州/レッコ)
Via Roma 296
16036 Recco (GE)
TEL 0185 74128 
http://www.manuelina.it/





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。











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