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JOURNAL / JAPAN

齋藤 壽 - 食の現場から

「知ること」と「できること」の差

1999.01.01

連載:齋藤 壽 - 食の現場から



齋藤 壽 - 食の現場から

「知ること」と「できること」の差



知っていることと、それが実際にできることとの間にはどれだけ大きな隔たりがあるか、ということを実感しながら、学んでいるのが美瑛料理塾の塾生の日常だ。レシピはもちろん与えられている。そのレシピをもとに、あるレベルの料理として仕上げることができるまでには、相当量の実践が必要なことは言うまでもない。しかし、レシピが与えられると、それをもとに調理すれば、料理を仕上げるのはそんなに難しくない、と思ってしまいがちだ。ところが調理工程にはいくつものポイントが隠されていて、実際に調理する絶対量が足りないと、そのポイントを意識せずに通り過ぎてしまう。大袈裟に言えば、自分では体力勝負の単調な作業と思っていることでも、言われたことを愚直に守って精進すると、ある時にすべてが見えてくる瞬間がやってくる。シェフから何回も何回も指摘されていたこと。その意味が氷解する時がやってくるのだ。

これこそが料理を学んでいる者にとっての歓びの瞬間と言っていいだろう。こうした瞬間を幾度も経験し、少しずつ少しずつ積み上げていくことが、料理を学ぶということだと言っていいだろう。
授業では、フランスで料理学校の生徒が使う教科書を使っている。基礎から応用まで、実に整然と整理された料理技術体系であると、あらためて読みながら感心する。ここ50年でフランス料理の考え方がどのように変化してきたのかが、読み進むうちに明快に見えてくる。いまさらながらフランス料理を学ぶことは、フランス人が構築してきた「考え方」を知ることでもある、と実感する。ここ五十数年、フランス料理をめぐる世界は大きなうねりをもって変化してきた。その変化というのは、どういう理由で起こってきたのか。それによって料理のどの部分が大きく変わってきたのか。

一方で科学的に料理を進化させようとする動きと、それに対する揺り戻しのように「古典に戻ろう」という動きと、そうしたうねりは今、どのような方向に動いていくのか。見習いの教科書を読むだけで、いろんな考えが去来する。これこそ教えるということがもたらしてくれる副産物だろうか。アウトプットすることで頭が整理されるのだ。

こうして料理技術を修得しながら、その技術を使ってレストランでお客さんに喜んでもらう料理に仕上げるという、もっとも難しい世界が待っている。常にお客さんが期待する以上の価値を提供するにはどうしたらいいのか。仕事としての料理の世界は、このように求められることが多い。しかも逆説的ではあるが、お客さんは自然に遊び、旬の魚や野菜、そして肉などの食材料をゆったりと感じ取れるような空間と料理を楽しみにやってくるのであって、おおかたはプロの料理技術を求めてくるわけではない、ということだ。人生を楽しむ余裕を理解しなくては、本当の意味でのガストロノミー(美食学)は理解できない、ということになるのかもしれない。
(『料理通信』2016年6月号 食の現場から より)

『料理通信』編集顧問 齋藤 壽 (さいとう・ひさし) 
柴田書店「専門料理」編集長等を経て「料理王国」創刊編集長を務める。30年余に渡るジャーナリスト活動の中で現代の日本を代表する著名料理人を多数世に送りだし、フランスの「ミシュラン」ガイドの存在と、名だたる三ツ星シェフをいち早く日本に紹介した。2011年10月、農林水産省より「地産地消の仕事人」として選定される。2014年4月、北海道上川郡美瑛町の町おこしプロジェクトとして開業したオーベルジュ、パン小屋から成る施設「bi ble 北瑛小麦の丘」のプロデュースを手がけ、料理人育成機関「美瑛料理塾」を主宰し、生徒兼オーベルジュスタッフの育成に情熱を注ぐ。「美瑛料理塾」に関する問い合わせはsaito@cooking.jpまで。



























































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