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JOURNAL / JAPAN

日本 [岩手]

岩手、不屈の食文化を支える魂

2017.09.13

高い木がまばらに生える岩手県の三陸海岸。レストラン「ロレオール田野畑」は、その海岸を見晴らせる切り立った断崖の上にあります。霧雨が降る7月初旬のある朝、眼下の入り江から聞こえてくるのは、ごつごつした岩にぶつかる波の音。水平線の彼方の濃霧が海をおおいはじめると、海景はターナーの絵のようなくすんだ色彩を放ちました。


「時間とともにあの霧が頭上を漂い、消えてしまう様子を見られますよ」。こう語ったのは、岩手で最も著名な料理人のひとりである、ロレオールのオーナーシェフ、伊藤勝康さん。22年間にわたって岩手県の食文化推進に尽力してきた人物です。


この霧を発生させているのは、梅雨の季節に岩手県の沿岸部に吹きつける冷たい東風、山背(ルビ:やませ)。この地方の大部分で昔から米の栽培が難しいのは、―冬に山村を厚い雪がおおうこともあいまって―やませの吹く時期が悪いからです。この地は、江戸時代(1603~1868年)から記録が残る広範囲におよぶ飢饉につねに脅かされてきました。農民たちは豊富に収穫できるヒエ、キビ、エゴマ(シソの仲間)などの雑穀を栽培。小麦やソバといった比較的安定して育つ作物でそれらを補いながら、厳しい自然条件に耐えてきたのです。


歴史的に米が不足していることが、麺文化の発達につながりました(岩手といえば蕎麦をはじめ、さまざまな麺料理が名物)。また、発想力豊かな岩手の人びとは、米に替わる食材を巧みに考案してきました。ロレオール田野畑のベランダで伊藤さんが見せてくれたのは、吊るし干しされたジャガイモ。やや平たくなった白っぽいジャガイモは、表面に粉を吹き、まるで石のよう。冬に収穫されたジャガイモは、冷たい川の水に約1週間漬けてから数カ月間、吊るし干しにされます。この乾燥したイモ(凍みイモ)を挽いた粉で、団子(だんす)が作られ、お汁粉にして食べられます。ペルーの高地であるアンデス山脈の村でも、イモの保存に同様の手法が採られますが、まさか日本でそれを目にするとは予想外でした。

この凍みイモを皮切りに、わたしは岩手で数多くの驚くべき発見に出あうことになります。日本に長く暮らしたものにとってさえも、この地域は珍しい食材や新たな美食体験の宝庫。岩手県は日本の都道府県中、第2位の面積があり、動植物相がとても多彩。山には食べられる野生の植物やハーブが生え、木の芳香がこよなく愛されている松茸や、モリーユ茸のようにコクのある香りをもつ香茸(こうたけ)をはじめとする食用キノコも豊富。暖流と寒流がぶつかる三陸沖は、多くの魚類、甲殻類、海藻にとって理想的な環境であり、この地方の食の根幹を支えています。岩手は昆布やワカメでも有名ですが、それらよりは無名な海藻である、コリコリした食感の紫がかったフノリや、松葉にも似た鳥の羽風のマツモなども、汁物やサラダの具として常食されています。

ロレオール田野畑では伊藤シェフが、岩手の歴史と食文化を前面に押しだしながら、フランス料理の技法と日本の感性を融合。シェフが使う食材は、三陸沿岸の魚介類、猟師から仕入れた猟獣、近くの畑で育った果物や野菜など、すべて地場のもの。また、だいたい週に3回は、食用植物、キノコ、海藻などを自ら採りに出かけます。グリルした鹿肉の料理にまとわせてあるのは、岩手の自生種である野生のぶどうで作った山ぶどうワインを煮詰めたソース。そこに添えられているのは、凍みイモ粉製の繊細なクレープ。まさに地元の味覚がモダンに表現された一皿でした。


この地方の伝統料理の多くは、山腹の森から摘んでくる新鮮な食用植物がベースになっています。その調理法は、この地の女性たちが長年の間に、名人から料理を教わる集会を世代ごとに開いて伝えてきました。一ノ倉京子さんは、岩手郷土料理のまごうことなき第一人者。若いときに岩手に嫁いできて以来、地元の食習慣を学び、自分ならではの改良も少しずつ加えてきました。御年92歳の一ノ倉さんは今なおかくしゃくとし、大勢の生徒たちに料理の指導を続けています。実際にお会いしたとき、髪をきちんと整えた落ち着いた物腰の一ノ倉さんは、挽きたてのクルミに、味噌とみりん少々を加えたたれを味見させてくれました。

そして、「みりんはクルミの油臭さを消すんですよ」と、料理のちょっとしたコツをわたしたちに伝授。甘く、香りがよく、香ばしいこのたれは、湯通ししたワラビを和えるためのもの。ワラビとは茎の長い野生植物で、毒を中和するため、食べる前に湯がかなくてはなりません。

一ノ倉さんの調理法は細部までていねいで、時間と注意力を惜しみません。こうした手間をかけることで、自然の素材の味わい、歯ごたえ、色合いが保たれるのです。食べものはつねに美しく、感性を喜ばせるものでなくてはならない、と一ノ倉さんはいいます。このことを明快に伝えていたのが、昔ながらの、だしで煮た野菜の炊き合わせ。野菜は一緒に煮てしまうことも多いですが、そうすると、それぞれの味がぼやけ、全要素が同じ薄茶色に染まってしまいます。一ノ倉さんは、各食材を別々に調理。そうして出来上がった料理はまるで食べられる風景画のよう。きゅっとひねった生き生きとした緑色の昆布、オレンジ色のニンジンのぶつ切り、ヒスイ色したフキの茎が、ころっとしたタケノコとだしを含んだ円形の麩に立てかけてありました。

遠野市で農家民宿を営む、一ノ倉さんの愛弟子の大森友子さん。大森さんは師から受け継いだ遺産を守りながらも、家庭料理にもとりいれやすいよう、伝統料理のレシピに、現代生活のリズムに合わせたひねりを加えていました。


過去と現在をつなげることの重要さを理解している岩手の生産者たち。盛岡市から自動車ですぐの距離にある矢巾町では、「NPO法人やはば山ぶどうの会」が、絶滅の危機に瀕した地元の山ぶどう自生種の保護に取り組んでいます。ビタミン類と抗酸化物質を豊富に含んだこの果実は、この地の人びとの健康と活力の維持に大昔から重要な役割を果たしてきました。



さらに南部に位置する遠野市では、農家の江川幸男さんが、地元のどぶろくを復活させる運動をひとりで始めました。どぶろくとは、かつては米農家が当たり前に醸造していた甘い粥状の酒。酒の自家醸造の習慣は1800年代後期に違法となりましたが、郷土料理とともに岩手の伝統ある自家醸造酒を飲む権利をかけて、江川さんは闘ったのです。その努力の甲斐あって、酒類製造免許の法律に変化が起こりました。遠野市が日本初の経済特区(どぶろく特区)となったのです。日本で初めて、酒類の小規模醸造の許可を勝ちとった人物となって以来、江川さんは郷土料理に合う3種類のどぶろくを作り、自ら経営する民宿「江川Milk-INN」で客に供しています。



日本で初めて、酒類の小規模醸造の許可を勝ちとった人物となって以来、江川さんは郷土料理に合う3種類のどぶろくを作り、自ら経営する民宿「江川Milk-Inn」で客に供しています。


レモンイエローのウェーダー(胴付長靴)を急いで身に着けたのは、貝の養殖場「明神丸かき・ほたてきち」を経営する中村敏彦さん。わたしたちを乗せたボートを岩手沿岸の中ほどにあり、のどかな海景が広がる山田湾へと航行させる準備中です。

「オランダ島まで行ってみましょう。といっても、島を眺めることしかできませんが」と、遠方に浮かぶ緑色の小島を指さした中村さん。かつてそこには、日帰り客に人気の海水浴場がありました。しかし、2011年の地震と津波の際に、大波によって海岸が消失。その場所は今も美しく、澄んだ海水がアクアマリン色のシュールな陰影を作っていました。

三代目漁師である中村さんは、20年以上にわたりカキとホタテの養殖を行っています。しかし津波に襲われたとき、養殖用いかだはすべて、自宅とともに流されてしまいました。幸い、関係者や家族はみな無事だったものの、事業は壊滅的な打撃を受けたのです。

「恐ろしく大変だったけれど、地元のお客さんや全国のファンたちから励まされました。この仕事を続けなくては、と感じましたね」と中村さんは当時を振り返ります。会社は次第に再建し始め、現在は以前の活気を取り戻しています。



ボートを木製いかだのそばにつけた中村さんは海中に手を差し入れ、ホタテがついた縄を引きあげました。二枚貝が縄にぶらさがる様子は、まるで飾り付きブレスレットのよう。中村さんはさっと貝殻をこじあけ、鮮やかなオレンジ色の卵巣を切り取ってくれました。その味わいは絶品。口中で甘味、海水の塩味、うまみが同じ強度で爆発したかのようでした。



かき・ほたてきちの事務所は、元の場所から道を上った新しい建物に移転しており、自宅も新たに建築中。「もうほとんど完成してるんですよ」と語る中村さんの顔に、思わず笑みがこぼれます。雨は上がり、海岸線を追う中村さんの目は充足感で輝いていました。



Column: 古屋弥右エ門 ~今に息づく歴史~

岩手の田園地帯の奥深くにひっそりとたたずむ古屋弥右エ門は、都会生活の慌ただしいペースから逃れて静かな気分に浸れる場所。築180年以上のこの風格ある古民家は、持ち主の山田信和さん・千保子さんが愛情をこめて手入れしています。

玄関をくぐりぬけると、時代をさかのぼったかのような錯覚におちいります。台所は固められた土床の土間で、涼しく、広々。居住空間は土間より一段高い基礎の上に建てられ、奥の畳の間につながる長い廊下があります。黒っぽい木造りの室内を照らすのは、障子戸の紙ごしに差すやわらかな陽光。



どの部屋にも惜しみなく飾られているのは工芸品や骨董品。山田さんは40年もの間、それらを集めてきました。巨大なアーチ型天井の下の高い棚上には大きな編みかごのコレクションが並び、引き戸の上にはアールデコ調の時計が掛けられていました。



山田さんは毎年5~11月に、歴史や美を愛し、日本の伝統家屋に暮らす体験をしてみたいと希望する訪問者たちに自宅を開放。

「わたしたちは、物質に恵まれた、便利さが重視される世界に暮らしています。そこでは、なにもかもが使い捨て可能になってしまっています。この古屋プロジェクトを通じて、シンプルな暮らしの喜びを伝えたいのです」と語っていました。





Data
沿岸部:

ロレオール 田野畑 (田野畑村)


岩手県下閉伊郡田野畑村明戸309-5
☎ 080-9014-9000
http://laureole7.com/

明神丸かき・ほたてきち


岩手県下閉伊郡山田町大沢9-89-14
☎ 090-7077-3581
http://khbase.com/

遠野:
古屋弥右エ門


岩手県遠野市宮守町達曽部54-41
☎ 090-4553-9882
http://www.koya-yauemon.net/





岩手の自然と食を存分に味わうグルメライドイベントを2017年10月14日に開催しました。
詳しくはコチラ
http://or-waste.com/?p=1177



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