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PEOPLE / クリエイター・インタビュー

吉田篤弘(よしだ・あつひろ) 小説家・装幀家

2017.02.04

photograph by Hiroaki Ishii
『料理通信』2009年12月号掲載

吉田篤弘さんには、2つの名前がある。
「吉田篤弘」と「クラフト・エヴィング商會」。後者は相方である浩美さんとの共作の際の名義だ。いずれの場合も手掛けるのは、小説、装幀、題字(料理通信のロゴもクラフト・エヴィング商會製!)、デザイン――言葉の世界とビジュアルの世界を、行ったり来たりしている。
東京六本木の「青山ブックセンター」で3年間にわたって全ジャンルトップを記録した『つむじ風食堂の夜』が、この秋、映画になった。

ノイズの中に詩がある

その食堂の皿は本当に美しかった。
何の面白味もない、いたって平凡な白い丸皿なのだが、ひと皿を平らげたあとに現われるその白さが、じつに清々しくてよかった。
よく見ると、皿の白さには無数の傷が刻まれてあり、ずいぶん長いことナイフやフォークやらを相手にしてきたことが窺い知れる。
『つむじ風食堂の夜』はこんなふうに始まる。
「傷のついた皿から始めようと決めていました」と吉田篤弘さん。
「傷は、そこに人が生きてきた証しですから」
これは文中の古道具屋の台詞だが、吉田さん自身にとっても、傷が愛おしい。
「きれいなだけはつまらない。無傷が美しいとは、僕は思わないのです」
今、デジタルな時代になって、写真からも音楽からも、傷やノイズを思いのまま削除できるようになった。
「みんな一生懸命、ノイズをカットする。ノイズの中に詩があるのに」
吉田さんは、あえて汚れやノイズ、傷をのせて人々へ届ける、そんな表現があってもいいと考える。書籍『つむじ風食堂の夜』の題字は、ゲラ(校正紙)の隅に打たれていた識別用の小さな文字を拡大したもの(ちなみに本の装幀も吉田さんによる)。拡大率が大きいため、字の縁が凸凹、ギサギザで、まさにノイズだらけ。
けれど、その凸凹に人間味があって、血が通っていて、体温が感じられるのだ。

負の出来事の面白味

ニマニマしながら、「蓋の開かないジャムがあるんです」と吉田さんが言う。アルザスのクリスティーヌ・フェルベールのジャムのことだ。日本に輸入される以前から、吉田さんは愛用してきた。お気に入りのトースターで焼いたトーストに塗って食べるのだが、このトースターが、時間設定や焼き加減のスイッチなどないのに、食パンを押し込むと、こんがりしたところで勝手にするすると飛び出してくるという不思議なヤツ。「焼けると、水分が抜けて、重量が軽くなる。それで自然に上がってくる構造なのでしょうね。その上がり方が、『これでよろしいでしょうか?』と尋ねるかのように恐る恐るで、なんともチャーミングなんですよ(笑)」。
トースターじゃなくて、ジャムの話である。「フェルベールさんのジャムというのが、蓋を温めても、かなづちで叩いても、ゴムを巻いても、それこそおばあちゃんの知恵を総動員しても開かないことがあるんです。彼女が蓋を閉めている姿を思い浮かべて、『こんちくしょう、あのおばさん、こんなにきつく閉めやがって』なんて唸りながら格闘する。で、格闘の結果、無事に開いた後のおいしさと言ったら……」
小一時間のこの出来事、それ自体がすでにひとつの小説だ。
「普通に考えれば、負の出来事です。でも、人生って、案外そっち側に面白味がある。こういう負の出来事を排除していっちゃうと、つまらないですよね」
ちなみに、蓋の開かないジャムは、小説『空ばかり見ていた』に「馬鹿ジャム」と命名されて登場している。

買い物も小説もハンティング

『つむじ風食堂の夜』に限らず、吉田さんのもとへは、「クロケットが食べたくなりました」「スープを作って食べました」「サンドイッチを作りました」と、読後感ならぬ食後感が寄せられるそうだ。「小説を書いているつもりが、期せずしてレシピを書いてしまっていたのかと、寂しいような、うれしいような(笑)」
原稿は、スターバックスなど、あえて人がわさわさいて、うるさい場所を選んで書くという。
「ガヤガヤした所のほうが空気が活性化していて、脳に刺激が与えられるのかもしれません。山奥の温泉旅館に籠もってなんていうのはだめですね。自転車で家を出て、スタバやドトールを3カ所くらい転々とします」
それはあたかもハンティングのよう、と吉田さん。「今日も収穫ゼロだった、なんてね」。
ところで、日々の買い物は吉田さんの役割とか。「スーパーや八百屋、魚屋で食材を買って帰ると、相方が調理する。テーブルにのった料理、つまり食材が変貌した姿を見て思うんです、昔の狩猟民族と同じ暮らしだ、男の役割は今も昔も変わらない、ハンティングに尽きるんだって」。
しかし、八百屋に行けば野菜はあるが、スタバに行っても、小説の素材が売られているわけではないですよね?
「昨日、カブを買いに行ったら、その八百屋にカブがなかったんですね。で、別の八百屋へ移動した。野菜だって、いつもそこにあるとは限らない。一緒ですよ、買い物も小説も(笑)」

吉田篤弘(よしだ・あつひろ)
1962 年、東京生まれ。小説を執筆するかたわら、妻の浩美さんとともに「クラフト・エヴィング商會」名義による著作および装幀の仕事を続けている。2001 年、講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞。吉田篤弘としての著書に『フィンガーボウルの話のつづき』『針が飛ぶ Goodbye Porkpie Hat』『百鼠』『空ばかり見ていた』『78 ナナハチ』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『小さな男*静かな声』、最新刊『圏外へ』。クラフト・エヴィング商會としては『クラウド・コレクター/雲をつかむような話』『らくだこぶ書房21世紀古書目録』『ないもの、あります』『じつは、わたくしこういうものです』など。

 

本記事は、「EATING WITH CREATIVITY」をキャッチフレーズとする雑誌『料理通信』において、各界の第一線で活躍するクリエイターを取材した連載「クリエイター・インタビュー」からご紹介しています。テーマは「トップクリエイションには共通するものがある」。

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