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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

鎌倉「祖餐(そさん)」店主

石井英史さん(いしい・ひでふみ)

2018.01.22

石井英史さん
text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda

食の役割とは何か。
食にできることがもっとあるのではないか。
そう考える人が増えた。
その働きかけは、食べるという体験、おいしさという感覚を伴うからこそ、人を体感的に納得させ、人を動かす力を持つ。
「祖餐」の石井英史さんは、そんな食の力を密かにささやかに行使する。

つぎはぎではない。

取材に訪れた時、内田光子によるモーツァルトのピアノソナタが流れていた。そこから「ピアニストの技術とは何か」という話になった。石井さんは自身の考えを、ウィルヘルム・ケンプとグレン・グールド、2人の巨匠を例に話してくれた。
「ケンプの演奏を聴いていると、ミスタッチがけっこうある。けれど、心に沁みる温かさに溢れている。一方、グールドの演奏は完璧。しかし、完璧を求めるあまり、何度か収録した中から良い部分をつないで1本に仕上げていた、という話を聞くと、僕はケンプのほうに惹かれます」
テクニックが完璧でも、パーツのつぎはぎに音楽の表現として整合性はあるのか。たとえミスタッチがあっても、一曲まるごとで音楽表現なのではないか。何をもって上手い下手と言うのか。そもそも技術は何のためにある?


おいしさを求めすぎない。

「欠点があっても、一本筋の通ったワインが好き」と石井さんは言う。
「イタリアのロンバルディア州にあるポデーレ・イル・サントという農園のエウジェーニオ、彼の造るワインが好きです。彼は元々、都市部でエンジニアとして働いていた。田舎に祖父の土地があったため、引っ越してきて、ほぼ自給自足の生活を始めた。小麦や果樹を栽培し、豚や鶏を育て、サラミを作る。清貧という言葉がしっくりくる暮らしぶりです。種が途絶えそうな赤牛を守る活動をしていたりもする」
なかなかワインがリリースされない時期もあった。理由はボトリングに必要なお金がなかったから。

「ワイナリーというより、農家の延長のワイン造りなんですね。軒先のタンクで造る。野生的で個性的な味わいです」
という説明に不安を覚えるかもしれないが、きわめて破綻のない仕上がりだという。
「彼は『これから僕の造るワインを君たちはおいしいと思わないかもしれないよ』と言う。それでいいと思います。おいしく造ることを目的にしたら、きっとこの味にはならないでしょう。まず彼の生き方があり、その結果としての味なんだと思う」

石井さんと妻の美穂さんは時折「おいしすぎる食材はやめたいね」という話になるそうだ。
「もう10年前、友人が営むレストランで仔羊のローストを食べた時、彼が『おいしすぎるんだよね』と言ったんです。飼料のせいで旨味が強いのだそうです。『こんなに旨味はなくていい。草を食べている羊の肉の味くらいがちょうどいい』と」
おいしさを追求する姿勢は、生産者であれば当然だ。が、追い求め過ぎるあまり、育て方が度を超していく危険もはらむ。
「おいしさを探し出す能力を養うほうが大事なんじゃないかと思う」と美穂さんは考える。食材の開発にもまして、人間の味わう力の開発に意識を向けるほうが、人が生きる力になり、自然のためにもいい。

石井英史さん

石井さんと妻の美穂さん。


「なぜ、そうするのか」を考える。

石井さんが扱うワインには、いわゆる自然派と呼ばれる造りが多い。それは彼が、不必要な人為の介入を極力避けた栽培と造りを選ぶと同時に、「なぜ、そうするのか」を問い直していく厳しい姿勢を選ぶからでもある。
「オーストリア東部のクリスティアン・チダは4代目ですが、伝統の上にあぐらをかいて自分で考えない姿勢を嫌うんです」
植樹方法、密度、仕立て方、剪定、あらゆる場面で、なぜそうするのか、なぜやらないのか、どうしたらいいのかを根本から問い直す。
「たとえば、野鳥保護区域のこの地方では、ブドウを鳥害から守るために空砲を使う。彼はそれを嫌って、猛禽類のための高い止まり木を畑に設え、鷹や鷲に睨みを効かせてもらうことで小鳥に対策する」
写真右から3番目、その名も「ノン・トラディション」がチダのワインだ。ちなみに彼の基本姿勢は「レッセ・フェール(管理しない、自由放任、あるがままに)」。 

「金井醸造場の金井一郎さん、祐子さんもあらゆる局面で考える造り手です。どんな栽培方法を選ぶのか、どんな道具を使うのか、なぜ清澄させるのか、酵母添加する理由は何か。徹底的に考え、言語化する。だから、彼らもワインもクリアでオープン」
なぜ、そうするのかの根拠とどの道をどう通ったか、筋道が通っていることが重要なのであり、農薬や酸化防止剤を使うことがいけないのではない。
「場合によってはやむを得ず妥協があったにせよ、それが突き詰めて考えられた結果であって、その作業に連続性があること、つまり、つぎはぎでないことが大切なのだと思います」


ワインで伝える。

石井さんは、北イタリアの「モスキオーニ」というワインを飲んで、ワインに目覚めた。
「イタリアのワイナリーで働いたことがあります。工業生産的な造りをするところだったんです。なんだ、ワインって面白くないなって。辞めて、イタリア各地を旅していた時、フリウリで出会ったのがモスキオーニでした。濃厚でみずみずしい味わいの鮮烈さに感銘を受けた。聞けば、いたって簡素な造りで温度管理も十分にできていないという。でも、造り手は『ブドウをしっかり育てれば自ずとおいしいワインになるよ』と言うんですね。そこからです」

イタリアから帰国して、レストランで働きながら、ぐっとワインへ足を踏み入れた。2007年にワインバー「ボータン」をオープン。2012年、同店を辞めて「祖餐」を開くまでに、ヴィナイオータの太田久人さんと共に、イタリアを中心にフランス、スロヴェニア、計50軒弱のワイナリーを回った。

今、石井さんは「祖餐」を「おいしいワインを飲んでくださいというだけの店ではないと思っている」。
どんなワインを選び、提供するかによって、意思表明もできれば、価値交換もできる。これから先、人はどう生きるべきかを伝えることもできる。もちろん、そんなことを声高には言わないし、ただワインをグラスに注ぎ、どんな造り手なのかを語るだけだけれど。
「ボータンの頃のほうがラインナップのバランスはよかったかもしれません。今は好きな造り手ばかり揃えちゃって、ちょっと偏りがあるかも(笑)」
それでいい。だって、「欠点があっても、一本筋が通っている」ことが、石井さんにとっては大切なのだから。

石井英史さん

並ぶのは、石井さんが「これからの時代を象徴する」と考えるワイン。
右から、ブレッサン(イタリア・フリウリ)、ボー・ペイサージュ(山梨)、クリスティアン・チダ(オーストリア・シュタイヤーマルク)、カンティーナ・ジャルディーノ(イタリア・カンパーニア)、ポデーレ・イル・サント(イタリア・ロンバルディア)、金井醸造場(山梨)。手に持つのは、ドメーヌ・アツシスズキ(北海道)。

石井英史(いしい・ひでふみ)
1972年神奈川県鎌倉市生まれ。5~10歳までブラジルで育つ。大学卒業後、ワイン関連商品の輸入販売会社に勤務。2002年渡伊、ワイナリーで働くも工業生産的な造りに幻滅するが、旅の中でワインに開眼。帰国後、鎌倉のイタリア料理店、東京・三田「コートドール」を経て、2007年「ボータン」オープン。2年間の充電期間を経て、2015年「祖餐」を開く。


祖餐
神奈川県鎌倉市御成町2-9
●0467-39-6140
平日17:00~22:00LO
土曜14:00~22:00LO
日曜14:00~20:00LO
月曜休
鎌倉駅から徒歩2分

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