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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

鈴木裕子さん(すずき・ゆうこ) 食エージェント

第2話「看板に頼らない生き方を目指して」(全5話)

2016.01.01

まずやってみる“展開型”気質

大胆で潔く、ストイック。歯に衣着せぬ発言が、何とも痛快!
そんな印象の鈴木さんですが、曰く「元々は、地味で神経質、新しい世界に飛び込むのも苦手な性格」。
将来、独立へと鈴木さんを向かわせる「展開型」の気質が開花したのは、アメリカでのことでした。

短大卒業後、半年間の語学留学のつもりでカリフォルニアへ。しかし3カ月で飽き、短大在学中に1カ月程ホームステイしていたコロラドへ移り、2年制のビジネススクールに入学。無事卒業したかと思えば、担当教官の勘違いがきっかけで、1年限定の就労ビザを取得してホテルに就職。
ケセラセラ。





Photographs by Masahiro Goda,Text by Kyoko Kita



「その時の出会いやひらめきによって、目の前に開けた道を、まず歩き始めてみる。目標から逆算する計画型ではなく、目の前のことを一つひとつ積み重ね、その先に何があるのか思い浮かべながら方向性として目標を定めていく明らかな“展開型”」。

帰国後は、当時最も勢いのあった外資系の通信業界に興味を持ち、片っ端から受験。
「日本エリクソン」から半年間の派遣契約で内定をもらいます。

「派遣だろうが、契約だろうが、入った者勝ち。それでダメなら実力不足なんだろうと思いました」。

この時点ではまだ、独立の「ど」の字も頭にありませんでした。しかしこの会社に入ることで、そのきっかけとなる一つの思いを抱くことになります。

看板は借り物でしかない





英語力とコミュニケーション力を買われ、不思議な縁にも恵まれて、契約が切れる前に正社員に採用された鈴木さん。同世代の友人よりもはるかによい給料をもらい、おいしいものを食べて、欲しい服を買い、海外出張も、プライベートでの海外旅行もしばしば。

社会人生活を謳歌しながらも、出張先で時々ふと思うのでした。

「自分は本当にこのお給料をもらうだけの実力があるのだろうか? この会社の看板が外れた時の自分は、いったいどれほどの社会的価値があるのか?」と。

一から仕事を学び直す





「自分に力をつけなければ」、「楽はいつでもできる、大変なことは体力があるうちに」と転職を決意。
掲げた条件は、「少数精鋭」、「一から仕事を学べる会社」。
友人知人を頼って情報収集し、面接を繰り返した末に行き着いたのが、社員10人と小規模ながら、一流大手企業をクライアントに持つ広告代理店の「ワイルドカード」でした。

個性的なキャラクターで、マーケッターとしても高い評価を得ていた社長の下、これまでとは全く違う畑で再スタートを切ります。

「既存の仕事の中で役割を果たすことを求められた前職とは違い、ゼロから仕事を生み出さなければいけなかった。
ものすごく忙しかったけれど、毎日楽しくて仕方がなかったですね。
何より、社長の独創的なものの見方や考え方、圧倒的なプレゼン力、その仕事ぶりを間近に見ることができたのはとても幸せでした」。

考えて、考えて、考え抜く





仕事をする上で大切な姿勢も、この社長から学びました。

「常に考えている人でした。移動中も、食事中も。抱えている案件に限らず、目に映る様々なことに『なぜ?』『どうして?』『もっとこうしたらよいのに』と考えを巡らせる。 その着眼点は驚きに満ちていて、世の中が違って見えました」。

そして社員にも繰り返し求めたといいます、「考えて、考えて、考え抜け」と。
「例えば、カレー屋さんからの依頼だったとして、彼らは寝ても覚めてもカレーのことを考えているわけです。そういう人達に向けて提案するということは、彼ら以上に考えてからでないと失礼なんだと。
お金をもらうことの厳しさを痛感すると共に、“こちら側”に来て良かったと思いました」。

好きこそものの上手なれ





社内で誰よりも、おいしいものに目がなかった鈴木さんに、社長は徐々に食関連の案件を任せてくれるようになりました。「“好き”という気持ちは何ものにも勝る、自主的な学びや行動で経験不足はすぐに埋められる」と。
必死に取り組む中で、食の面白さにはまっていった鈴木さん。

社名や肩書きではなく、個人の名前で勝負する人々にも刺激を受けました。
消費の主導権を女性が握っていることが多い、食の分野。「女性である自分も、歳を重ねるほどに強みを発揮できるかもしれない」。
将来の独立をぼんやりと思い描くようになったのも、この頃です。

人生の転機を経て





ところが、結婚を機に一変します。仕事を辞めて、名古屋に転居。専業主婦となって、病床に伏した義母を看病する生活に。義母を看取り、夫を支えるも、すれ違いの末、離婚を選択。

しばらく何も手につかない状態が続いた鈴木さんを救ったのは、やはり仕事でした。
経済産業省に勤める知人から、中部地域の魅力を世界に向けて発信し、海外企業を誘致することで経済活性化を図るプロジェクトの立ち上げメンバーに声を掛けられたのです。
プロジェクトオフィサーとして、中部地域の魅力をどういう切り口で発信するかといった情報の編集作業、進出に関心を持つ海外企業に向けたプレゼン、進出の支援などを担当しました。

1年半後、立ち上げ期間が終わりに近づいた頃、ジェトロ(日本貿易振興機構)から要請があり、民間アドバイザーとして勤務することに。海外企業の進出支援のほかに、中小企業の輸出や海外進出支援を担当しました。
同じ頃、農林水産省が農水産物の輸出額拡大を決定。鈴木さんは以前から興味のあった食の担当をしたいと願い出ます。

良いものを全力で支援したい





食品会社の輸出や、飲食店の海外進出支援などを担当することになった鈴木さん。
そこで出会ったのが、「地味で、地道で、真面目。とても良いものを作っているのに、可能性を十分生かし切れていない」食品メーカーの社長たちでした。
「ジェトロとしての仕事の枠をはみ出してでも支援したい」。
これぞと思った企業には、担当エリアを越えて海外進出を口説きに行きました。

鈴木さんの熱意に絆され、海外など考えたこともなかった社長が乗り気になりました。
展示会の出展準備や販路を探す中、「もっとこうしたらいいのに」という課題も見えてきました。
しかしそこは半官機関、金銭的な支援はできても、もう一歩踏み込んだ形でのコンサルティングまではできません。
「鈴木さん、何とかしてよ」そんな社長たちの思いをひしひしと感じながらも、何もできないもどかしさ。

ちょうどそんな時期に、ジェトロとの契約期間が満了。自然と「起業」を意識し、動き出します。
「どうせ起業するなら、人がやっていないことの方がいい。失敗したら、バイトでもすれば食べていけるだろう」。
持ち前の展開型気質が、背中を押しました。




鈴木裕子(すずき・ゆうこ)
短大卒業後、渡米。語学学校とビジネススクールを経て、就労ビザを取得し、ホテルで働く。帰国後は、通信会社、マーケティング会社勤務のほか、中部経済産業局のプロジェクトで中部地域の海外向けPRや、ジェトロ名古屋にて食品メーカー等の海外進出支援に当たる。2007年、独立して「オフィスムスビ」設立。食品メーカー等へのコンサルティング、輸出支援を行う。座右の銘は「意志あるところに道は開ける」。

























































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