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PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

長野・松本 「松本十帖」 総料理長
クリストファー・ホートン Christopher Horton

2021.06.21

text by Sawako Kimijima / photographs by AKANE

ローカルガストロノミーとは発見の料理だ。そこにずっと存在していながら当たり前すぎて気付かなかった土地の魅力を、料理で顕在化させる作業である。
長野県・浅間温泉に開業した「松本十帖」の総料理長をアメリカ出身のクリストファー・ホートンが担う。新潟県・南魚沼の「里山十帖」同様に「松本十帖」が掲げる“ローカルガストロノミー=地域の風土・文化・歴史の表現”に、外国人ならではの視点で取り組んでいく。

ローカルの捉え方に創造性を。

その炉は、手前が熾火を敷く床になっていて、奥に薪を燃やす鉄籠が据えられている。勢いよく燃え上がる炎で焼くのも、じんわり穏やかな熱でゆっくり火を入れていくのも、料理人次第。
「炉の隅の吊り棚は約42℃がキープされる。棚に40分ほど置いてから、表面を軽く炙って仕上げるといった使い方もします」とクリストファー・ホートン(以下、クリス)。
彼は今、薪焼きの探求に余念がない。

奥の鉄籠で薪を燃やし、その熾火を手前の床に敷いて使う。

「松本十帖」の総料理長に就任して、炉の熱源を炭にするか薪にするかの選択を求められた時、クリスは迷わず薪を選んだ。理由は「香り」。薪で焼くと木の香りを料理にかぶせることができるからだ。「木の種類によっては酸味が付加されることもある」とクリス。薪の香りは調味料にもなる。

使うのはもちろん地元の薪である。松本で山林の管理や製材、薪炭の販売を手掛ける柳沢林業から仕入れている。長野県は森林面積が全国3位。と聞けば、薪焼きという調理法が土地の表現なのだと納得する。
同じ木でも、炭は安定的に燃え続けるハイカロリーな燃料であるのに対して、薪は料理人が燃料化するところから始めなければならない。しかも火力は不安定、燃え尽きるのも早い。「ゲストの食事の進行状況を見て、先を読みながら、火力を持続させるにはテクニックが要ります。毎日が勉強。昨日たまたま濡れた薪を燃やしてみたら、火勢は弱いが、長時間燃えた。この燃え方が活かせる料理もあるのではないかとふと思った」

最近、薪焼きを取り入れる料理人が増えているのは、「熱の質を自分で作り上げる」ことに調理のクリエイティビティを見出すようになったからだ。木の種類、部位、目の詰まり具合、切り方、太さなど、薪の条件のすべてが燃え方を左右する。クリスが言うように乾き具合や湿り気も。それによって熱の質は変わり、火の入り方が変わり、つまり、料理としての仕上がりは変わる。

肉であれ、魚であれ、野菜であれ、それらの生き物としての特質を尊重して調理しようと思えば、料理人は調味よりも持ち味を引き出す火入れで向き合おうとする。だから、熱を自分で作りたい。再生可能エネルギーへの切り替えが急がれる社会状況も後押しする。

「何種類もの木の中から、料理を選ばない万能な薪としてオークを、薫香を付けたい場合の薪として山桜を選んだ」とクリス。

燃えさかる薪の真下に食材を置いて焼くことも。場所によって質が異なる火と熱を使いこなす。

千曲川・信濃川の川上から川下まで。

その日、クリスは、佐渡沖で揚がったサワラを焼いていた。ローカルガストロノミーを掲げながら、長野県にある松本十帖がなぜ、佐渡沖の魚を使うのか?
「里山十帖との対比でお話しするとわかりやすいかもしれませんね」と、里山十帖の創設者にして松本十帖の企画・運営を手掛ける株式会社自遊人代表、岩佐十良さんが答えてくれた。

「山深い緑の只中にあって取り巻く自然の様相が時々刻々と変化する里山十帖に対して、松本十帖が位置する浅間温泉や松本は、歴史や文化といった、人間が形成してきた要素の多い街であり都市です。前者には生命の躍動感の発散があり、後者は人間の思考と営みの堆積がある。後者のような土地で展開するローカルガストロノミーには、地元の自然を映すだけではない視野の広がりが必要ではないかと考えた」

そこで着目したのが川と街道である。日本最長の千曲川・信濃川(一本の川が長野県では千曲川、新潟県に入ると信濃川と名称を変える)や千国街道(松本と糸魚川市を結ぶ塩の道)など、文物往来の動脈を、岩佐さんは松本十帖のテーマとした。

佐渡沖で揚がったサワラは丸ごと1週間熟成させて旨味を引き出す。切り身にして熾火でじっくり火を入れる。

サワラに合わせるのは、長野県佐久市の山で採れた山菜。松本にある「大久保醸造」の味噌で仕込んだ蕗味噌と新潟のかんずりで作るソースを添えて。

「鰆の薪火グリル」。千曲川・信濃川の川上から川下までを盛り込んだ。

ローカルガストロノミーという言葉と概念が産み落とされたのが2017年の秋。ほかならぬ岩佐さんが世に送り出した。言葉がすっかり浸透した今、岩佐さんは思う。長野県にあるから長野の食材を使うというだけではない思考回路がほしい。ローカルの捉え方、“地元”の解釈の仕方に独自の視点や創造性がほしい。そもそも地元だけで完結する場所なんてどこにもない。みんなどこかとつながっているではないか。そのどこかとどこかを取り結ぶのが街道と川だ。互いに行き来して、文物が交流して、そうして土地の文化は形成される。街道のその先、川の先も「ここ」の一部なのだと捉えたい。

千曲川・信濃川を下って行った河口の先には日本海が広がっている。佐渡沖がある。だから、クリスは佐渡沖のサワラを使う。

ちなみに、松本十帖のメインダイニングの名称は「三六五+二」。謎かけのようなこの数字は、千曲川・信濃川の全長367mを表している。365が1年間の「気候風土」、2は「文化」と「歴史」。そんな意味を込めた。 「里山十帖のローカルガストロノミーが二十四節季七十二候の臨場感の表現とすると、松本十帖は悠久の歴史と大河の表現です」

生産者との距離の近さと世界を俯瞰する眼。

こんな考え方をした時、料理の担い手はアメリカ出身のクリストファー・ホートンになった。
「クリスは熟考するタイプ。松本十帖を成り立たせる要素を、時間をかけてインプットして、咀嚼して、さらに俯瞰的に捉えた上で料理として表現してくれるのではないか」と岩佐さん。
約30年前から国際的な音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」が開催されてきたように、松本は地理的には奥に存在しながら、世界に開かれた精神風土がある。川と街道によって行政区分を超えると同時に、グローバルなマインドを大切にしたい。
「外国人だからこその視点に期待している部分もありますし、人類共通の視点を見出したいとの思いもある」

昨年11月の着任以来、クリスは休日のほとんどを生産者の訪問にあてている。
「野菜の品種が豊富なこと、粒揃いなこと、実の一つひとつに傘をかぶせて育てるように丹精すること。生産者の仕事の質の高さは、僕が日本で働き続けたいと思う理由のひとつ」とクリスは言う。
前の職場の「INUA」では食材調達専門セクションがあるくらい食材の発掘に重点が置かれていたが、「生産者とのやりとりがどんなに緊密でもキッチンに届くまでに1日はかかった。ここでは1時間前に収穫したスナップエンドウを届けてくれる生産者がいる」。東京で働いてきたクリスにとって、その距離の近さ、関わりの深さは何よりうれしい。

「INUA」で知った発酵の力も取り入れていくつもりだ。「ひとつの素材が発酵によって別物に変身する。素材の活かし方としての可能性は無限。肉や魚がなくてもゲストを満足させられる」。今はまだキッチンの片隅でトマトの乳酸発酵やアップルサイダービネガーを作る程度だが、ゆくゆくは近所の眠れる蔵を発酵蔵と貯蔵蔵に改造する予定だ。
「今年はまず長野県内をじっくり見て回ります。来年からは新潟へも足を伸ばす。367kmは長いから、時間をかけて領域を広げ、土地や人々との関係を掘り下げていきたい」

「ニンジンのミルフィーユ」。ニンジンをオーブンで丸ごと焼いた後に、皮と芯に分け、芯はピュレにして、ニンニク、ショウガ、タイム、セージ、醤油と合わせる。皮を重ね、間にピュレを挟み、薪火で炙る。「清水牧場」のフレッシュチーズ、ルーコラを添えて。

松本市里山辺の「SASAKI SEEDS」で。固定種・在来種の野菜から種を採り、農薬や化学肥料を使わずに、種が交配しないよう配慮しながら栽培する様子を目の当たりにする。

クリストファー・ホートン christopher horton
アメリカ、ワシントンDC近郊出身。幼い頃から料理をする楽しさと、料理が持つ“人を楽しませる力”に魅せられ、15歳からキッチンで働き始める。米国のNew England Culinary Instituteを卒業し、マンダリンオリエンタルホテルや数々の有名店で経験を積んだ後、2014年に日本へ。日本ではAndaz Tokyoの「the Tavern GRILL」で副料理長を務めた後、デンマーク「noma」のDNAを持つ東京・飯田橋「INUA」(現在閉店)で研鑽を積む。2020年11月より現職。「INUA」在職中に、里山十帖で行われる田植えの会に数回参加したのが就任のきっかけ。「日本の食文化の根幹を学ぶ姿勢に信頼を置いた」と岩佐さん。

 

◎松本十帖
長野県松本市浅間温泉3丁目15-17(レセプション)
☎0570-001-810(12~17時)
https://matsumotojujo.com/

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