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PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

群馬・前橋 白井屋ホテル「the RESTAURANT」シェフ
片山ひろ Hiro Katayama

2021.03.04

photograph by Shinya Kigure

過去に絹産業の輸出拠点として栄え、県庁所在地でありながら、目立った観光スポットがなく、新幹線も通らなかった群馬県前橋市は“停滞する地方都市”の典型だったかもしれない。

官民協働による都市再生プロジェクト「前橋モデル」が動き出したのは2014年。

その中心的存在となる「白井屋ホテル」が、2020年12月12日、オープンした。

レストランの監修を務めるのは東京・外苑前のミシュラン二ツ星「フロリレージュ」川手寛康シェフ、そして、地元出身の片山ひろさんが現場で腕をふるう。

料理で都市再生の歯車を動かす。

片山ひろさんは、前橋に隣接する高崎市に生まれ育った。 東京とフランスでの修業を経て、故郷へ戻り、高崎でフランス料理店を開業した。フランス料理史に残るグランシェフ、フェルナン・ポワンの言葉「若者よ故郷へ帰れ、その土地の市場へ行き、その土地の人たちのために料理を作れ」を実践するためだ。

“上州キュイジーヌ”を掲げ、地元の食材を使い、地元を表現するレストランを目指す真っ只中で、「前橋モデル」の推進者であるアイウエアブランド「JINS」田中仁代表から声が掛かる。「白井屋ホテルのシェフにならないか?」

熟考の末、自店を捨て、与えられたポジションでフェルナン・ポワンの言葉を実践する道を選ぶ。責任は何十倍、いや何百倍にも膨れ上がるが、このチャンスを逃すという選択はなかった。 「大学受験に2度失敗し、絶望の淵にいた自分をすくい上げてくれたのが料理でした。私は料理の力を信じている」

世界と100年先を見据えた都市再生

白井屋ホテルは300年以上前に創業した白井屋旅館が前身である。1970年代にホテルに転換するも、前橋市の衰退と共に2008年に廃業を余儀なくされた。田中仁氏が購入したのが2014年。リノベーションを建築家の藤本壮介氏に託し、再生への取り組みが始まった。

ホテルの再生は都市の再生とリンクする――そう考えた田中氏は、ミュンヘンのコンサルティングファームKMS TEAMに前橋市のビジョン策定を依頼。KMSは市民へのヒヤリングをもとに「Where good things grow」というワードを導き出す。

それを群馬県前橋市出身の糸井重里氏が「めぶく。」と表現。「めぶく。」は2016年、前橋市によって100年先を見据えた都市の指針“前橋ビジョン”としての制定に至る。2019年には様々なステークホルダーの羅針盤となる「前橋アーバンデザイン」が立ち上がり、これら一連の官民協働の街づくりは「前橋モデル」と呼ばれ、全国から注目を集めている。

2年間を研修に費やして

白井屋ホテルで腕を振るうことが決まった2018年からの2年間、片山さんの身はレストラン監修者である川手寛康シェフに託された。

「高崎時代の延長ではなく、新しい料理人として前橋に戻すことが僕のミッションと考えた」と川手シェフ。前橋モデルは100年先を見据え、世界を相手とする構想である。そのスケールで思考できる料理人でなければならない。

1年目、川手シェフは片山さんを国内外のレストラン計8店の厨房へ送り込む。ベルギー、台湾、香港、ロンドンの人気店、国内では和歌山「アイーダ」、大阪「ラシーム」、東京「オード」と「オマージュ」という錚々たる顔ぶれである。

「前橋から日本中へ、世界へと発信していくためには、どんな料理人を目指すべきか。指標となるシェフの姿を見せるのがいい」

2年目は「フロリレージュ」で自分の手元に置き、これからの料理人に求められる考え方、前橋に戻った時に武器となる素養を叩き込んでいった。

「地産地消は当たり前。もはや武器にはならない。自然環境に従うことは料理人にとって必然です。環境をベースとして、いかに自分にしかできない世界観をつくり上げていくかを細かく伝えていきました」

ちなみに白井屋ホテルは“アートデスティネーション”と位置付けられ、全体設計を手掛ける藤本壮介氏のほかに、レアンドロ・エルリッヒ氏をはじめとする世界を代表する多数のアーティストに作品が依頼された。料理でもアートホテルにふさわしいクリエイションが求められることは必至と言えるだろう。

photograph by Katsumasa Tanaka

レアンドロ・エルリッヒ氏によるインスタレーションが空間上部に張り巡らされたラウンジ。

土地の独自性の見つけ方

「前橋を料理で表現しようとすると、思いのほかむずかしい」と川手シェフは言う。

「東京から近い分、優れた食材は東京へ行ってしまう。良いものを使いたいと思ったら、東京から買い戻さなければならなかったりします」

確かに東京の水道の8割を群馬県に依存しているように、首都圏の胃袋の供給源という性格が強く、独自性が見えにくいかもしれない。しかし、だからといって買い戻すなんてナンセンス。この土地でしか得られないものを自分の足で探し出し、自分の手で掘り起こすべきだ。川手シェフは片山さんにそう指導した。

「自分で価値を見出し、その価値を社会に認めさせる。求められているのはそういうこと」

春メニューの試作中、ウドの新芽との出会いがあった。「めちゃくちゃ旨いんです」。つまり特別な食材である必要はないのである。畑との距離の近さ、収穫からの時間の短さがもたらす“ここだけの味”は確実に存在する。“ここだけの味”をどれだけ掘り起こせるか。それらは地元にいなければ見えてこない。生産者との直接的な結びつきがなければ浮かび上がってこない。

「それが片山の役割です」

片山さんが考えたメニューに川手シェフがダメを出す。その繰り返しの中でコースは出来上がっていく。たとえば、群馬県昭和村にある鳥山牧場の牛肉を使ったメインディッシュ。 鳥山牧場は牛本来の生態や一頭一頭の体質を重視して飼育し、黒毛を赤身肉として仕上げる稀有な生産者である。2人は牧場を訪ね、飼育の様子をつぶさに見た上でメニュー作成に取り組んだ。美しい赤身肉に片山さんがトレビスを添えると、川手シェフは問い質す。「このトレビスの意味は何か? なぜトレビスを添えるのか?」

川手シェフは常に「この料理で何を伝えたいのか、何を伝えられるのか」を問う。

風土を皿に映し出す料理は、土地を表現する手段として何よりも有効である。料理はメディアとして機能する。白井屋ホテルが「前橋モデル」の中で果たしていく役割を考えた時、料理がメディアたり得ているかは、いつにもまして重要である。「この料理で何を伝えられるのか」、川手シェフは片山さんに突き付ける。

結局、牧場で牛たちに与えられていた大豆味噌から着想したソースを添えて、皿の上に牧場の営みが出現することになった。

photograph by Shinya Kigure

鳥山牧場の赤城和牛を使ったひと皿。大豆と味噌で作る付け合わせを添えて。

photograph by Shinya Kigure

シグニチャーディッシュのコンソメ。赤城和牛のスネ肉や自店時代から懇意にしてきた農園の野菜で作る。

アート、建築、歴史、自然、文化、人をレストランが結び付ける

白井屋ホテルには「暮らす人と訪れる人が集い、交流する、前橋のリビングルームでありたい」との思いが込められている。そこに重ね合わせて片山さんは前橋の未来像を「出会いの場所」として思い描く。「アート、建築、歴史、自然、文化、人・・・様々な出会いがあり、化学反応が生まれる場所になれたらいい」

レストランはそれらを有機的に結び付ける装置だ。その装置を輝かせるのは料理人であり、生きた息吹きを吹き込むのは料理であることを、片山さんは強く自覚する。

片山ひろ(かたやま・ひろ)
1985年、群馬県生まれ。エコール辻東京、同フランス校を卒業後、2009年帝国ホテル「レ セゾン」に入る。その後、渡仏。2016年、高崎市でフランス料理店「ル クレード」を開業。2018年店を閉めて「白井屋ホテル」の所属となり、国内外の人気レストラン計9店で研修。2020年10月から「白井屋ホテル」のダイニング「the RESTAURANT」のシェフに着任。2014年と2019年の「RED U-35」でBRONZE EGGを受賞。

 

◎白井屋ホテル「the RESTAURANT」
群馬県前橋市本町2-2-15
☎027-231-2020
17:30~20:30LO
無休
https://www.shiroiya.com/
Instagram:@shiroiya_therestaurant
*営業時間については、ホームページにてご確認ください。

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