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PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

東京を出て、村で開いた店の営み、料理人の暮らし。

群馬「ヴェンティノーヴェ」 竹内悠介・舞

2023.05.29

東京を出て、村で開いた店の営み、料理人の暮らし。群馬「ヴェンティノーヴェ」 竹内悠介・舞

text by Sawako Kimijima / photographs by Hide Urabe

東京・西荻窪の人気イタリア料理店「トラットリア29(ヴェンティノーヴェ)」が2022年秋、群馬県川場村で新装「ヴェンティノーヴェ」として新たなスタートを切った。川場村は、利根川上流域に位置する武尊山(ほたかやま)南斜面の自然豊かな村。80%以上を山林が占めるという環境が、竹内悠介シェフと舞さんのこれからの舞台だ。モダンで軽快、東京らしい魅力に溢れていた「29」が山のレストランに変身!?という驚きの転換の裏側には、パズルのピースがピタリとはまったかのような必然の帰結がある。

竹内悠介・舞

竹内悠介(たけうち・ゆうすけ)
1980年生まれ。調理師学校卒業後、広尾「アッピア」で5年修業、2006年渡伊。フィレンツェ「ヴィーノオリオ」で半年働き、一旦帰国、07年再びイタリアへ。エミリア・ロマーニャ州の手打ちパスタの名店「アメリーゴ」、マルケ州「ラボッテ」を経て、解体から保存・調理まで肉のすべてを学ぶためトスカーナ郊外の精肉店&レストラン「チェッキーニ」で経験を積む。09 年帰国。馬肉を1頭捌けることを買われ、青森県弘前市「オステリア エノテカ ダ・サスィーノ」で1年。11年2月、東京・西荻窪に「トラットリア29」をオープン。2020年3月閉店。2022年10月、群馬県川場村で「ヴェンティノーヴェ」オープン。

竹内舞(たけうち・まい)
生まれも育ちも西荻窪。悠介シェフを語る上で欠かせない存在。カメリエーラとして店に立つ傍ら、旧姓「荒瀬 舞」の名でアクセサリー作家としても活動を続けている。


立ち退きとコロナが突然一緒にやって来た。

「店の退去の決定が2019年12月。物件側からの突然の申し出でした。しかも、2020年3月までに出なければならなかった」
移転の経緯を竹内悠介シェフが語る。困惑したが、いかんともしがたく、竹内夫妻は取り急ぎ関係各所へ3月閉店を告げた。すると、閉店を惜しむ客で店は連日満席の超多忙状態に。
「移転先を探す時間が取れないでいるうちに、新型コロナウイルスの感染が拡大。緊急事態宣言発令となって」
2020年7月、何も決まらないまま、2人はひとまずシェフの実家がある群馬県川場村へ住まいを移したのだった。

悠介シェフは1980年、東京・世田谷に生まれ、10歳から川場村で育った。自主保育(保育園や幼稚園に任せず、親たちの手で保育を行なう活動)の保育者である父親・竹内成光さんが、活動のフィールドを自然の中に求めたためだ。
「森と人の関わりをテーマに、年間通して自然体験を提供していく。川場村のガスも電気も水道も通っていない山中で2週間、子供たちが過ごしたいように過ごすサマーキャンプなど、硬派でワイルドな取り組みも多く、僕自身、0歳から川場村を離れる18歳まで参加していました」

父・竹内成光さんは、悠介さん誕生とほぼ同時に自主保育・野外保育の活動体「あるきんぐクラブ」を立ち上げ、1988年に川場村へ拠点を移した。現在は引退して、運営を弟子の辻田洋介さん・直子さんに引き継いでいる。

父・竹内成光さんは、悠介さん誕生とほぼ同時に自主保育・野外保育の活動体「あるきんぐクラブ」を立ち上げ、1988年に川場村へ拠点を移した。現在は引退して、運営を弟子の辻田洋介さん・直子さんに引き継いでいる。

悠介シェフが10歳から住んだ川場村の家は、父・成光さんが自力で建てた丸太小屋。当時、電柱が木からコンクリートへ変わる時期で、廃棄電柱を建材として使っている。現在は辻田さん夫妻が住む。

悠介シェフが10歳から住んだ川場村の家は、父・成光さんが自力で建てた丸太小屋。当時、電柱が木からコンクリートへ変わる時期で、廃棄電柱を建材として使っている。現在は辻田さん夫妻が住む。

丸太小屋の周りには、キャンプ場、宿泊小屋、憩いの小屋など、セルフビルドの活動施設が立つ。写真の五右衛門風呂は、スキー場のリフトの柱の再利用。

丸太小屋の周りには、キャンプ場、宿泊小屋、憩いの小屋など、セルフビルドの活動施設が立つ。写真の五右衛門風呂は、スキー場のリフトの柱の再利用。

「あるきんぐクラブ」では、4羽の合鴨(合鴨農法の卒業生)と羊3頭を飼っている。羊はオーナー制で、毛刈りの毛はオーナー(手芸家)のもとへ届けられる。

「あるきんぐクラブ」では、4羽の合鴨(合鴨農法の卒業生)と羊3頭を飼っている。羊はオーナー制で、毛刈りの毛はオーナー(手芸家)のもとへ届けられる。

30年ぶりに川場村で過ごし始めた悠介シェフは、父親をガイド役として連日山の中へと入った。
「運命的な再発見でした」
草々、花々、木々、そこに生きている植物という植物のすべてが輝きを放って見えた。出会う花、草、木の一つひとつをその場でスマホで検索をして、食べられるかどうかを確認。食べられるものはすべて口へ運んだ。帰宅すると今度は植物図鑑で同定(分類上の所属や種名を確定すること)作業を行なった。
「実家という感覚が強すぎて、価値に気付いていなかったんだと思います。ようやく面白さがわかってきた」

「この辺りは太平洋型の植物相と日本海型の植物相がぶつかる場所で、植生が豊か」と成光さん。取材日は小雨が降って、山に白くヴェールがかかったかのよう。

「この辺りは太平洋型の植物相と日本海型の植物相がぶつかる場所で、植生が豊か」と成光さん。取材日は小雨が降って、山に白くヴェールがかかったかのよう。

「山が日本人を育てた」が成光さんの持論。「自分で採ったものは自分で判断できるのが理想。身の回りで何が起きているのかを理解できるようになりたい」と悠介さん。

「山が日本人を育てた」が成光さんの持論。「自分で採ったものは自分で判断できるのが理想。身の回りで何が起きているのかを理解できるようになりたい」と悠介さん。

成光さんの好物モミジガサを摘む。成光さんは「コレを食べないと春が来ない」そうだ。

成光さんの好物モミジガサを摘む。成光さんは「コレを食べないと春が来ない」そうだ。

山椒、上溝桜(ウワミズザクラ)、朴葉、苦苺(ニガイチゴ)・・・、悠介さんのインスタグラム(@usuke_29)には様々な野草が紹介されているので、ぜひご覧ください。

山椒、上溝桜(ウワミズザクラ)、朴葉、苦苺(ニガイチゴ)・・・、悠介さんのインスタグラム(@usuke_29)には様々な野草が紹介されているので、ぜひご覧ください。

食べてみるのは料理人の習性。葉、茎、花、実、根、ひとつの植物も部位によって異なる触感と味わいがあり、活かし方は多様だ。

食べてみるのは料理人の習性。葉、茎、花、実、根、ひとつの植物も部位によって異なる触感と味わいがあり、活かし方は多様だ。


「川場村で店をやろう」と決断するまで。

東京・西荻窪に「トラットリア29」が開業したのは2011年2月9日。料理通信社による初取材はその1カ月後、2011年3月13日、東日本大震災の翌々日だった。被災地からの報道や福島原発事故のニュースが流れる中、撮影を行なった。
雑誌『料理通信』の人気特集「小さくて強い店はどう作る!?」第4弾の表紙と巻頭ブロックでの登場で、テーマは「最小単位=1人or夫婦でつくる強い店」。記事の執筆は井川直子さん、『イタリアに行ってコックになる』でデビューし、『シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録』で第6回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)を受賞した執筆家だ。その本文の最後はこう締め括られている――ちなみに、店名の29はイタリア語読みで「29=ヴェンティノーヴェ」。でもたぶん、絶対に「ニク」って呼ばれると思う。――読み通り、ほとんどの人がこの店を「ニク」と呼んだ。イタリアを代表する精肉店にして肉焼きレストラン「チェッキーニ」で働いた経験に裏打ちされる悠介シェフの肉使いへのリスペクトを込めてのことである。

「トラットリア29」は10坪・16席、悠介さんが料理を作り、舞さんが運んだ。本場仕込みのイタリア料理店としては最小単位に類したと言えよう。
「修業したのは大きな店ばかり。自分でやるのは小さな店と決めていました。隣の席が近くて、ワイワイガヤガヤ、店全体がいつの間にか一体となってしまうような。帰国直後の1年間、弘前で笹森通彰シェフが営む『オステリア エノテカ ダ・サスィーノ』に入ったのは、小さい店の営み方を学びたかったからでもあります」

東日本大震災の後遺症に揺れる社会状況下の船出にも関わらず、悠介シェフの確かな腕が評判をとっていく。しかし、開業から7、8年経った頃、2人は「このままでいいのか?」との迷いに囚われ始める。
「料理の技術が上がっていくのに、小さな店ではアウトプットがむずかしいことも多かった。たくさんのお客様が来店されて時間に追われ、当然あるべき意識が希薄になったり、メニューをゆっくり考える余裕がなかったり」
舞さんと2人、いろんな可能性に思いを巡らせる中で、「群馬で営む」という候補も挙がった。しかし、それは川場村ではなく、前橋や高崎といった地方都市だったという。人口約3100人、コンビニもない川場村でイタリア料理店を開くイメージは湧かなかった。

しかし、今回、川場村へ移り住んで山を知るほどに、「ここで店を開く」という選択肢が頭をもたげる。
「サステナビリティが重要視される社会状況や、コロナ禍、ウクライナ戦争などの影響もあるかもしれません。でも、それ以上に、見えているようで見えていなかった地元の豊かさを再発見したんだと思います。帰ることが必然だったような、何かに強く呼ばれたような、そんな気さえしました」

最終的に川場村でのオープンを決断するまで、2人は何度も話し合いを重ねたという。
「緊急事態宣言下でも竹内の両親は何一つ変わらない日常を過ごしていた。『野菜とお米があって、水と火があるから、この先何が起きても私たちは困らない。心配しないで』と言われた言葉が強く響きました。『どんな店を作るのか?』以上に『これから、どう生きるのか?』を考えるようになっていました」と舞さんは語る。
新しい物件に移ったとして、東京で店を営む以上、迷いが解消されることはないだろう。「でも、だからと言って、川場村が正解?」と問う舞さんに、悠介さんは告げた、「川場村には僕たちを応援してくれる人たちがたくさんいる。味方が多いことに勝るものはない」。


東京では絶対にできない店。

川場村で店を開く。そう決意して動き始めた時、水先案内人になったのはやはり父の成光さんだった。
川場村に地酒「誉国光」を醸す土田酒造がある。1907年創業、現在6代目という歴史ある蔵だ。かつて、その敷地に観光ハーブ園があったが、2000年に閉園して以来、そのままになっていた。その再生を託されていた成光さんは、2人を土田酒造の土田祐士社長と引き合わせる。この場所に魅力を感じた2人は考えた。ここでレストランを開けないだろうか? 「土田社長にお伺いを立てると、二つ返事で応援してくださることになったのです」

土田酒造の敷地を「日本の昔ながらの生態系が感じ取れる環境にしよう」と成光さんが取り組んでいる。

土田酒造の敷地を「日本の昔ながらの生態系が感じ取れる環境にしよう」と成光さんが取り組んでいる。

その一角に「ヴェンティノーヴェ」。環境に溶け込むように立っている。

その一角に「ヴェンティノーヴェ」。環境に溶け込むように立っている。

ここでしか体験できない料理と時間を堪能してほしい、せっかくなら朝の空気や景色も味わってほしくて、泊まれる部屋を一室用意した。1階がレストランフロア、2階にゲスト用の部屋と竹内夫妻の部屋がある。
厨房の熱源は薪。薪火グリルと薪焚かまどを導入。薪はもちろん地元の薪だ。
食材も地元産。シェフ自ら山で採ってきた山菜や野草と懇意にする農家の野菜や果物。
「調味料以外は限りなく群馬県産100%。ワインだけはイタリア産のお世話になっていますが」

ダイニングの窓からは、川を挟んだ向こう岸の山の緑が美しいグラデーションを見せる。敷地の横を利根川支流の薄根川が流れ、水音が聞こえてくる。

ダイニングの窓からは、川を挟んだ向こう岸の山の緑が美しいグラデーションを見せる。敷地の横を利根川支流の薄根川が流れ、水音が聞こえてくる。

決して大きな店ではないが、空間の取り方がゆったりとして、時間の流れ方もゆるやかだ。

決して大きな店ではないが、空間の取り方がゆったりとして、時間の流れ方もゆるやかだ。

悠介シェフが調理する姿を目の当たりにしながら食事は進む。「ここでアペリティーヴォを楽しむお客様もいます」

悠介シェフが調理する姿を目の当たりにしながら食事は進む。「ここでアペリティーヴォを楽しむお客様もいます」

イソライト建材製の薪焚かまどで煮炊きする。「珪藻土(けいそうど)を使用しているので、蓄熱性が高い。表面がタイルなので、火傷の心配もない」とシェフ。

イソライト建材製の薪焚かまどで煮炊きする。「珪藻土(けいそうど)を使用しているので、蓄熱性が高い。表面がタイルなので、火傷の心配もない」とシェフ。

イタリアワインの他に、土田酒造のお酒も用意。山の食材と地酒との相性は言うまでもなく抜群。

イタリアワインの他に、土田酒造のお酒も用意。山の食材と地酒との相性は言うまでもなく抜群。

山に入るようになって、悠介シェフは気付いた。
「食材の組み合わせは、僕が決めることじゃなくて、自然が決めることなんだって。今日ここにコレとコレがあるから、こんな料理になる。食材自身が料理の方向性を示す。料理とは必然の結果なんだって」
山菜を何種類も皿に盛り付けながら、自問自答する。「タラの芽だけって考え方もある」「いや、せっかく山菜が出揃う時期に来たお客様にはオールスターキャストを体験してもらわなきゃ」「これって、料理か? 食材を並べただけなんじゃないか?」
悠介シェフはそこに料理の根源を見るのだ。「料理のプリミティブな生成過程を見ているような感覚になるんです。イタリア料理が地方の料理である理由を実感します」

「食材の豊かさに圧倒されて、やや押され気味(笑)。僕の目指すイタリア料理として表現できるか、模索の日々です」

「食材の豊かさに圧倒されて、やや押され気味(笑)。僕の目指すイタリア料理として表現できるか、模索の日々です」

「食材が渋滞していると感じる時がある。渋滞の中から加工法や保存法が生まれたんでしょうね」。写真はウワミズザクラの花の蕾の塩漬け。アンズの種の仁に似た香りがすることから「杏仁香(あんにんご)」と呼ばれる。

「食材が渋滞していると感じる時がある。渋滞の中から加工法や保存法が生まれたんでしょうね」。写真はウワミズザクラの花の蕾の塩漬け。アンズの種の仁に似た香りがすることから「杏仁香(あんにんご)」と呼ばれる。

花の扱いは繊細に。「マイクロリーフやエディブルフラワーが身の周りに自然に生えている」

花の扱いは繊細に。「マイクロリーフやエディブルフラワーが身の周りに自然に生えている」

ヨモギのクレープの上に自家製生ハムと地元のチーズ工房「KAWABA CHEESE」のリコッタチーズ。ハナイカダ、ヤブジラミ、タネツケバナ、ハルサキヤマガラシ、カキドオシ、カラスノエンドウ、ウドの葉、ヨモギを添えて。

ヨモギのクレープの上に自家製生ハムと地元のチーズ工房「KAWABA CHEESE」のリコッタチーズ。ハナイカダ、ヤブジラミ、タネツケバナ、ハルサキヤマガラシ、カキドオシ、カラスノエンドウ、ウドの葉、ヨモギを添えて。

モミジガサ、ヤブレガサ、コゴミ、アブラコゴミ、コシアブラ、カタクリは塩茹でに、ウドはグリルに、ハリギリは素揚げに、タラの芽は揚げ浸しにして。セリのパンナコッタとセリのジェノベーゼが隠れている。

モミジガサ、ヤブレガサ、コゴミ、アブラコゴミ、コシアブラ、カタクリは塩茹でに、ウドはグリルに、ハリギリは素揚げに、タラの芽は揚げ浸しにして。セリのパンナコッタとセリのジェノベーゼが隠れている。

小屋から発掘した古いこね鉢でサラダを作る。群馬県はどの家にも製麺機がある粉もの文化圏。昔はこね鉢でうどんを打っていた。当然、手打ちパスタもこね鉢で。

小屋から発掘した古いこね鉢でサラダを作る。群馬県はどの家にも製麺機がある粉もの文化圏。昔はこね鉢でうどんを打っていた。当然、手打ちパスタもこね鉢で。

この日の肉は、昭和村「鳥山牧場」の黒毛和牛、下仁田町「神津牧場」で生まれて埼玉県「国分牧場」で肥育されたジャージー牛の2種が用意されていた。

この日の肉は、昭和村「鳥山畜産」の「赤城牛」、下仁田町「神津牧場」で生まれて埼玉県「国分牧場」で肥育されたジャージー牛の2種が用意されていた。

トマトを無農薬栽培する農家から、はち切れんばかりに枝熟した実を仕入れて、その日のうちに加工。驚くほど甘いソースになる。

トマトを無農薬栽培する農家から、はち切れんばかりに枝熟した実を仕入れて、その日のうちに加工。驚くほど甘いソースになる。


仕事とプライベートの境界が薄れていく。

「東京の時よりも仕事は明らかに増えました。山菜や野草を採って、草刈りをして、薪を割って、料理以外のタスクが増えた。でも、それって負担じゃない。プライベートと仕事の境界が薄れていく感覚もあって、精神的にヘルシーです」
悠介シェフの言葉は、山懐ろに抱かれた人間のおおらかさに満ちている。「西荻窪での目まぐるしい9年がなければ、きっと群馬へ戻ったところで、今のような思考や展開にはならなかったでしょう」

「我が家でおいしいごはんを召し上がっていただく。それが私たちのやりたいことなんだと思います。そのためには1日に2組がやっと。3組になると、家ではなく店の雰囲気になってしまう」。そう語るのは舞さんだ。
もし、コンスタントに3組の予約が入ったなら、経営的には楽だろう。でも、3組になれば、調理もサービスも一気に煩雑さを増す。それよりも2組に対して納得のいく料理とサービスを提供したいし、我が家のゲストとして迎えたい。
そこで生きるのが、宿泊だ。時間を気にせずに過ごしてこそ山の醍醐味が味わえるとの思いから設えたゲスト部屋だが、客数を増やさずに経営を安定させる上でも宿泊は有効。現在、ゲストの7割以上が宿泊するそうだ。ちなみに朝食にはかまど焚きの粥。悠介さんの母が漬けた漬物を添えて供する。

今年早々、「Noma」が2024年末で店を閉めるというニュースが飛び込んできた。悠介シェフの頭には一瞬、「これから先、レストランは成り立たなくなるのだろうか?」との思いがよぎった。
「でも、すぐに思い直した。絶対にレストランでなきゃいけないわけじゃない。10年後の社会がどうなっているかわからない、不確かな時代です。ここにベースとなる場所があるのだから、時代の流れや状況に応じて、柔軟に形を変えていけばいい。そのための生き延びる覚悟とスキルを持っていたい」
ガスも電気も水道も通っていない山中で2週間を過ごすサマーキャンプで鍛えられた悠介さんの生きる力は、そうやすやすと潰えない。

味噌の熟成部屋に自家製の生ハムを吊るして熟成中。群馬県産の下仁田ポークを使用。

味噌の熟成部屋に自家製の生ハムを吊るして熟成中。群馬県産の下仁田ポークを使用。



ヴェンティノーヴェ
群馬県利根郡川場村谷地2593-1(土田酒造敷地内)
15:00〜19:00LO
月曜、火曜休
https://www.29ventinove.com/

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