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FEATURE / MOVEMENT

飲食店は何のためにあるのか? 03

私たちは何も変わる必要がありません。

「エスキス」リオネル・ベカさん

2021.06.21

text by Sawako Kimijima

連載:飲食店は何のためにあるのか?


シリーズ【飲食店は何のためにあるのか?】

「トランプではゲームセットを迎えた時や状況を変えたい時にカードを切りますが、コロナ禍の現状は、切っても切ってもリセットされないトランプのよう」と、東京・銀座「ESqUISSE(エスキス)」のリオネル・ベカシェフ。「自分の考えが確固たるものと思えず、個人的な意見を述べるのがむずかしい」と言いながらも、フランスと日本、両方の文化に立脚するシェフならではの考察を展開し、飲食店の存在を力強く肯定したのでした。

本企画は、食のプロたちに飲食店の存在意義や尊厳を問い掛けていくシリーズです。



問1 現在の仕事の状況

ドン・キホーテにならないように。

「ニューノーマル」という言葉が一人歩きし、「コロナ後も元には戻らず、新しい生活様式へ移行する」と言われているせいでしょうか、意味もなく「変わらなければならない」という無言の空気が蔓延していると感じます。
昨秋、ある料理人から尋ねられました、「我々、料理人はどう変わるべきなのでしょうか? 何を変えなければいけないのでしょうか?」と。私は即答しました、「何も変わる必要はない」。
大きな声で「我々は何も変えません」と言いたい。「これから10年先、何も変えない」。我々には役割があります。我々はすべきことをするだけです。

だって、悪いことは何もしていないんです。北海道から九州まで全国150軒の生産者さんの食材を買うことで彼らの生活をサポートしている。汚いお金を儲けているわけでは一切なく、みんなに健康になって喜んでもらっている。こんなに毎日、土を耕して、野菜を土から掘り出している人たちのことを考えながら料理を作り、その料理で来てくださったお客さまたちを幸せにして、一緒に働いているスタッフも喜んでくれて、なぜ変わらなければならないのか?
フードロスに取り組む飲食店は数え切れないほどあり、海洋資源問題やエネルギー問題と向き合うシェフもいます。飲食店の営みを通して、社会課題に立ち向かう料理人がたくさんいる。それでも私たちレストランは変わらなければならないというのでしょうか?


2019年、台湾のトップシェフ、アンドレ・チャンとのコラボレーションでは、地理的視点から料理の創造に挑んだ。ジャンルを超えた示唆に富む点において、リオネルさんの料理はアートと似ている。(photo by RAW Taipe)

テーブルとテーブルの間隔を十分に離し、ゲストの入店時には検温と手指の消毒を欠かさず、サービスマンは静かにサービスをしている・・・。とるべき対策はすべて実践しているのです。

ドン・キホーテになってはいけないと思います。風車を巨人と思い込み、突撃して跳ね飛ばされたドン・キホーテ。ややもすれば彼のような一人相撲になりかねない。対処すべきは何なのか、正しく見極めなければいけないし、まず自分たちの仕事の価値や役割を認識すべきです。



問2 あなたが考える「飲食店の役割」とは?

フランス人から飲食店を奪ったら死んでしまう。

人間は社会的な動物です。人間から社会的な活動を取り除いたら、ただの動物になってしまいます。人間が生きていく上で、人との関わりは不可欠。それを無にしろというのは、檻に入っていろというようなもの。人間には、人と交流する場所、人が集う場所が必要なんです。当然、レストランやカフェがなかったら始まらない。

「飲食店って何ですか?」と聞かれたら、私は「フランス人にとってのすべて」と答えます。フランス人から飲食店を奪ったら死んでしまう、精神的に死んでしまうでしょう。枯れてしまいます。
たとえば、カフェのテラス。ニシンの燻製やポム・フリットをつまみにカラフで安ワインを飲みながら、友人やパートナーとおしゃべりをするだけじゃない、文学、芸術、政治、哲学、あらゆるものがカフェから生まれました。
サルトルはカフェで偉大な著書を完成させたと言われます。20世紀前半、サンジェルマン・デ・プレの「Café de Flore」は、シュールレアリストや実存主義哲学者の活動の拠点だった。今でも作家や評論家がカフェのテラスで仕事をしていると、読者が向かいの椅子に座って、「私はあなたの説に反対だ」と議論が始まる。周りでコーヒーを飲んでいた人々が議論に加わっていく。それがフランス人です。


「Café de Flore」のギャルソン、山下哲也さんのFacebookから。フランスの国民的写真週刊誌『PARIS MATCH』がレストランや映画館の営業再開を特集、そのトップを「Café de Flore」が飾っている。右端が山下さん。

日本人はよく会議の後に飲み会を開きますが、フランス人は会議の前に食事の場を設けます。食事の中で相手の人間性を見極め、会話の中から仕事を進める上で鍵となるサインをすくい上げる。で、会議でそれをぶつけていくんですね。飲食店はビジネスにおいても重要な役割を果たしています。



問3 飲食店の存続のために、今、考えていること。

時間をかける仕事の価値を取り戻す。

コロナ禍でデジタル化が促進され、情報をリードするのもSNSになりました。ジャーナリズムが追いやられていると同時に、ジャーナリズムがお手軽になっているとも感じます。トレンドばかり追っていて、深く掘り下げて書く記事が減っている。

ジャーナリズムと料理に、私は同じものを見ています。どちらも時間を必要とするものです。
ジャーナリズムであれば、しつこく調べて、深く考え、人の心に届く文章にして世に送り出す。料理であれば、食材のバックグラウンドを知り、生産者の仕事を理解し、食材と丹念に向き合って、食べ手の心を動かす料理に仕立て上げていく。近年、そういった仕事が減っているなぁと感じます。手軽にぱっと作れて、ぱっと食べられるものが中心になってきて、職人的な仕事が隅に追いやられているように感じるのです。
料理が人の身体に栄養を与えているのだとすると、ジャーナリズムは思考に栄養を与えている。抽象的な活動を養っているのだと言える。
料理もジャーナリズムも時間をかける仕事の価値を取り戻す必要があると思いますね。

フランスのジャーナリズムは良い意味でアグレッシブです。恐れずにものを言うジャーナリストがたくさんいる。テロとか法律改正とか、危機的事件が起きると、ジャーナリズムが活発化するんです。視点のレベルが上がり、思慮深くなる。コロナが始まって、フランスの言論のレベルは飛躍的に上がりました。大衆紙にも深い考察の記事が載るようになっています。
その点、日本のジャーナリズムはプレタポルテ・ファッションのよう。どの新聞にも判で押したような記事が載っていて、さっと読めて、すっとわかるけれど、そこから先に脳を使わせない、深く考えることをさせない。


2019年、大正大学のギャラリーで「生命縦断」と題する写真展を開いた。“調理=生命をいただく”という行為が行われるレストランの厨房は生と死が共存する場であることを写真で表現。(photo by TRANSVERSALITÉ 生命縦断)

この一世紀、人の移動が加速度的に活発化することで、産業、文化、経済が発展してきたんです。それがコロナによってばっさりと止められた。映画館で突然フィルムが切れたかのようです。
でも、私は、人類は乗り越えられると思っています。人間は以前よりも互いに助け合うようになっていると感じているからです。

飲食店が持続可能であるために必要なことは何か? 正直、よくはわからないけれど、私は決して悲観的ではありません。レストランへ行くことが大好きな人たちがたくさんいる。人間だったら外食したいはず、とフランス人である私は思うのです。自分は自分の仕事をしていくだけ。もっと良い料理を作りたいし、もっと良いサービスを提供したいと思っています。


【動画】リオネル・ベカさんのインタビュー・ダイジェスト版をご覧ください。



Lionel Beccat(リオネル・ベカ)さん
フランス・コルシカ島生まれ。マルセイユで育ち、20 歳を過ぎて料理の世界へ。2006年、東京「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」のオープンに伴い来日、5年半同店のエグゼクティブシェフを務める。2011年、フランス国家農事功労賞シュヴァリエ授勲。2012年、「ESqUISSE」エグゼクティブ シェフ就任。





◎ESqUISSE(エスキス)
東京都中央区銀座5-4-6 ロイヤルクリスタル銀座9F
☎03-5537-5580
12:00~13:00LO
18:00~19:30LO
無休
https://www.esquissetokyo.com/
*営業時間や営業形態は状況に応じて変わります。





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