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FEATURE / MOVEMENT

社食には食の理想が詰まっている

社員食堂だからできること。

vol.3 田舎と直結する贅沢 Sonyのカフェ「THE FARM」

2019.09.27

text by Chiyo Sagae / photographs by Masahiro Goda

ソニー本社では、昨年、ライフスタイル誌『自遊人』が営む「里山十帖」とのコラボによる社内カフェ「THE FARM 」をオープンしました。
春は採れたての山菜、夏には収穫したての夏野菜を使った料理が新潟から直送されてきます。おにぎりの中身はほろ苦いフキノトウ味噌。野に咲く花がカウンターを飾り、手摘みのハーブティが用意される。都市では最も手に入らないものが、ここにはあります。
社内施設の枠を超えた社食の新しい考え方に光を当てます。



都市に現れた非日常が呼び覚ます食の原点。

カウンターの随所に野の花が飾られる。


再開発の進む品川に建ち並ぶビル群の中でもひと際透明感あふれるガラス張りの巨大なソニー本社。社員、グループ企業、来客を合わせて1日に8000人が行き交う一つの街だ。
その名も「SONY CITY」内に、社員専用のカフェ「THE FARM」がオープンしたのは昨年のことだった。
シティ(都市)の中のファーム(農家)を担うのは新潟県南魚沼の「里山十帖」。食を中心に自然・文化の環境保全と現代の暮らしを提案するライフスタイル誌『自遊人』が営む宿である。新潟の伝統野菜や山菜、発酵食品や調味料など、四季折々の滋味を鮮やかに落とし込んだ食は何よりの宿自慢。新潟伝統の食文化――食材のみならず、それらを育む環境や人を守り、準じ、宿全体でアウトプットする「里山十帖」の料理は、宿に足を運ぶ人だけが味わえるとびきり贅沢な地方の美味だ。

その里山の味覚を社内に!――大手企業の福利厚生としては異例のコラボカフェの誕生は「社員の日常を豊かに」というソニーの未来を見据えた一大プロジェクトの一環だった。
短期で数値化される成果を重視し、それが企業を支えた時代から、時間はかかっても緩やかで持続的な成長を見据える姿勢が問われる現代。ソニーが2年がかりで進めた本社リニューアルプロジェクトの柱は;

⒈ ブランドの継承
⒉ 体験や学びを通じての社員の成長
⒊ 社員の日常を豊かに。


3を実現する手段に食を据え、食で社員を刺激しようと、一日5000食を提供する巨大な社員食堂では、メニュー、空間、様々な面で改革を重ねた。が、「慣れてしまえば人は飽きてしまう」とプロジェクトのチーフプロデューサー高野昌幸さんは効果を客観視する。

ならば、社食ではできない食の取り組みをと、『自遊人』とのコラボに着眼して立ち上げたのがカフェ「THE FARM」というわけである。「プロジェクトメンバーみんなで里山十帖を訪れ、採れたての食材をその場で調理した里山の味覚に目の覚める思いがした。これまでに味わったことのないおいしさがもたらす歓びに心も身体もリフレッシュする体験でした」と高野さん。
その食体験は都市生活者にとっては非日常。都市の日常に非日常としてこの体験を持ち込もう。それが「THE FARM」のコンセプトだ。

自然光が注ぎ込むガラス張りの空間。心地良い開放感がある。



13階の元エスカレーターホールを改装したスペースには、曇りの日でも一面ガラス張りの窓から柔らかな自然光が廻る。昼は旬の野菜たっぷりの日替わりおかずのせ丼「こよみDON」。午後はフキノトウ味噌のおにぎりや笹団子、米粉で作る新潟のおやき「あんぼ」など、黒豆香茶、オーガニックコーヒーやハーブティのお供に手を伸ばしたくなるおやつが並ぶ。見た目も風味も素朴でシンプルだからこそ、人の心をダイレクトに掴む磁力を発する。

左がこの日の「こよみDON」で「するめイカとユウゴウ(干瓢)、小芋煮丼」、右は「八色(やいろ)椎茸と新ごぼう、山ぐるみを使った里山キーマカレー 丸茄子のハニーマスタードピクルス添え」。いずれも734円。奥はマイタケとふのりとネギの味噌汁150円。

フキノトウ味噌のおにぎり(左)。「本日の手づくりおやつ」は日替わりで。焼き芋やスイカが登場することも。

新潟のおかきなど、『自遊人』推奨の優れた食材が並ぶ。食材店としても機能。

「安納芋の焼き上がり時間を聞いて駆け付けたり、夏には切っただけの八色西瓜が出ると行列ができたり。社員にとってこれはもうイベントと言える楽しさ」と高野さんは言う。
都会ではまず味わえない山里の旬の恵みを口にする社員の歓びと高揚感が目に浮かぶ。

「排気設備がないため、現場での温めを前提に里山十帖で調理したものを運ぶ」と教えてくれたのは、月に数度東京に足を運び、仕上げや提供の子細に自ら気を配る「里山十帖」のチーフシェフ北崎裕さん。これまでお客様の目の前で作る料理が一番と思っていた考えを捉え直す良き機会と受け止め、熟慮を重ねた。
「里山十帖は、ロスを出さない田舎の食循環の中にあります。ならば、それを都市まで延長しようと。例えば、うちでは端野菜でとったスープをコースの始まりに出したり、野菜くずは堆肥にも利用します。でも、東京にキャベツ一つを持ち込めば、調理後の野菜くずは否応なくゴミとして廃棄せざるを得なくなる。調理してから送るメリットは実は高い」と北崎さん。

地方が守る伝統の食文化の豊かさに都会で触れる意義とは、単に同じものを賞味することにとどまらない。消費で経済を支える都市の生き方に誰もが限界を感じている今、古来の知恵を受け継ぎ、持続可能で健やかな食や自然環境を守る地方の食のあり方に触れる意味は大きい。

「カフェを利用し始めてから、日々の食を大切にするようになった。体重もほどよく落ち、普段口にする食品への意識も高まった」と語る高野さん。「THE FARM」は都会のオフィスに小さな食の覚醒をもたらしているのかもしれない。





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