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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.54 エミリア・ロマーニャ州コマッキオのウナギ加工協同組合

2021.04.26

Photo by Gian Antonio Zapparoli

連載:イタリア20州旨いもの案内

生物多様性を持つ湿地帯で

月明かりをかき消す闇、南西に向けて吹き降ろす寒冷風ボーラ、潮は満ちて・・・と言っても、これは魔女が唱える呪文の一句なんかではなく、絶好のウナギ漁日和の条件。

ここはエミリア・ロマーニャ州ヴァッリ・ディ・コマッキオ(Valli di Comacchio)。保護区に指定された広大な湿地帯で、ラヴェンナ県とフェッラーラ県の境に位置する。北側にはポー川河口の三角州がひかえ、南下すればロマーニャの海岸線が見えてくる。


Photo by Gian Antonio Zapparoli

気が滅入りそうになるほどの深い沼地だったこの地に、干拓の手が入ったのは1600年代。海と隔てて一種の潟を造成し、海との連絡用には「ヴィンチャーナ水門(porte vinciane:訳注レオナルド・ダヴィンチが考案したことからこの名がついた)」で水位を管理できる独特の水路「ヴェーネ(Vene)」が巡らされた。


この水門による治水管理システムで海と河川の間の水の出入りを調整し、漁業や塩の生産に適した環境が生み出されていった。地域内に流れ込む海水に含まれた塩分は、白身魚の身をよりデリケートにし、今回の主人公、ウナギにとっても自然な成育環境を供している。


Photo by Maurizio Tieghi

さて、冒頭に書いたウナギ漁に話を戻そう。暗がりだとウナギは安心する、強風ボーラは地域に広がる平野に向かって海水を押し上げ、満ち潮が繁殖期に達したウナギたちに「巣穴から這いでて大西洋へ産卵に向かえ」と本能を呼び覚ます。

こんなウナギの話に思いを馳せると僕はいてもたってもいられなくなる。僕には東京でウナギ尽くしで饗してもらった素晴らしい思い出があって、日本のウナギ料理が好物になったからだ。


Photo by Francesco Cavallari

だが、ポー川流域の小さなヴェネツィアと謳われるコマッキオの、優雅な水路沿いの町並みとウナギにまつわる伝統も、日本へ紹介するに値すると思うのだ。ウナギに関わりのある土地はどこも独特、その住人だって独特だろう? 現にコマッキオがイタリアで最も魅力的な自然環境、かつ最も豊かな生物多様性をもった地域の一つであることは偶然なんかではない。


年を取るほどパワーアップ、一生の終わりに性別が決まるウナギの不思議

ヨーロッパウナギたちの冒険の旅は、細くて透明な稚魚の頃に深く青黒いサルガッソ海(アゾレス諸島沖という説も有力だが)に始まり、3年余りを要して大西洋を渡るが、その間に変態を2度行い、僕たちの淡水地域にたどり着く頃には黄ウナギになっている。

この生き物は、混濁した水や激流も渡っていくし、森の茂みや湿っぽい草むらだって数時間はぬるぬると進んで再び水に潜ることもやってのけ、ある地点でそこが住処と思えばその場に居つく。日中は巣穴で静かにしていて、夜になればエサを求めて狩に出るが、移動範囲はさほど広くはない。


こうして彼らは明確な理由もなく長い人生の大部分を過ごす。そしてたいていは15年から30年の後に最終的に銀ウナギへと成長する。背側は黒っぽく、腹は銀色、そしてこの段階で初めて生殖器官が発達を始める。背ビレは幅を増し強靭になって泳ぎやすくなり、目も大きくなり青色を帯びてきて暗い深海での視力が増す。


逆に消化器官は機能が止まり胃が退化していく。銀ウナギは、深海を一日あたり30マイルも移動することができる。長旅の間、捕食もせず体内に蓄えてあった脂肪を消費し、自分が孵化したであろうサルガッソ海で産卵を向かえると、おそらくはそこで一生を終えるのであろう。
「おそらくは」と書いたのは、サルガッソ海でウナギの成魚が見つかったことは未だかつて一度もないからだ、生きたウナギも、死骸も。

「ウナギが一生の終わりに初めて性別が決まるという事実は、過去数世紀の間、研究者に大きな混乱を招きました。科学者や本来は慎重な思考を持つはずの哲学者、研究者でさえ奇抜という以上に奇想天外な説を打ち出したりしました。この謎を1920年に解明したのがデンマークのヨハネス・シュミット(Johannes Schmidt)でした。彼は、捕獲調査でウナギの大きさがサルガッソ海に向かうにつれてどんどん小さくなり、若くなっていくことから、そこがウナギの出発点と突き止めたのです」


そう語ってくれたのは、コマッキオに古くからあるウナギ加工場「マニファットゥーラ・デイ・マリナーティ(Manifattura dei Marinati)」を運営する協同組合「ワーク&サービシズ(Work & Services)」の会長、アレッサンドロ・マネガッティ(Alessandro Menegatti)だ。まさにこの加工場がコマッキオ産ウナギのマリネ(l’Anguilla Marinata di Comacchio)の唯一の生産の場で、内部にはファクトリーミュージアムも有する。


「昔は、全生産工程を一貫して加工場内で行っていました。漁から戻った船を横付けできるカラータ(Calata)というエリア、ウナギを焼くための12の暖炉を持つ『火の間(Sala dei Fuochi)』、『酢の間(Sala degli Aceti)』には木桶や大きな樽があって塩水を保存していました、『フリッジトリア(Friggitoria)』というスペースもあって、小魚の調理に使われていました。そして『製材室(Falegnameria)』は漁やその他の作業に必要な道具を製作する場所です」


「現在では、漁の監視や検査といったいくつかの役割は、デルタ・デル・ポー公園管理局に委託しており、管理局はフェッラーラ大学と協力してこの地域と海の間の魚の出入りを継続的に調査しています。
変に思われるかもしれませんが、漁業はウナギの生息数を維持管理するためのれっきとした手段なんです。コマッキオがヨーロッパウナギでは最大の繁殖推進地であることには理由がある。コマッキオの者にとってウナギは漁をして獲るよりも、保護することのほうが大事なんです」


現在は協同組合の体制で、生産部門と博物館を総勢15名で切り盛り。世界中からウナギ好きが集まる「コマッキオのウナギ祭り(la Sagra dell’Anguilla di Comacchio)」の企画運営も2020年から任されている。


昔ながらの製法による「コマッキオ産ウナギのマリネ(l’Anguilla Marinata di Comacchio)」の缶詰。化学調味料は一切使用しないスペシャリテだ。2年前からはアンチョビーや鰯のマリネ、スモークウナギも生産。ウナギの肝臓を使ったパテも開発中。


コロナ禍で2020年のウナギ祭りは一カ所に集中させず、飲食店がそれぞれ戸外に特設スペースを作り、ウナギ料理を提供。ウナギのグリル、ちりめんキャベツ入りウナギのブロデット(アドリア海沿岸の伝統的な煮込み料理。ちりめんキャベツがウナギの脂を吸って風味豊かに、ウナギは軽やかに仕上がる)、そして定番ウナギのリゾット。ウナギを叩いた後に丸ごと焼いたペスティーノ(Pestino)も名物の一つ。


1600年代に確立された漁法でウナギを獲り、暖炉で焼く

ウナギ漁、そしてウナギのマリネについては協同組合の加工部門責任者ダヴィデ・トゥッリ(Davide Turri)が語ってくれた。


「『ラヴォリエロ(Lavoriero)』と呼ばれるヴァッリ・ディ・コマッキオに伝わるウナギの漁法は1600年代に確立されています。栗の木製の杭と葦を使った罠を仕掛けるのですが、現在では、杭はセメント製、葦はステンレス製に変わっています。ウナギ漁の条件がそろった夜、多くの魚たちが矢じりの形に網を張ったラヴォリエロの中に泳ぎ着きますが、さらに習性からその網を潜って海に向かおうとするのはウナギだけ。網を潜ることができたウナギだけが奥の生け簀に追い込まれて他から選別されるのでこれを手網で掬い取るという寸法です。


この漁で獲れるウナギはすべて繁殖直前の銀ウナギで、99%がメスです。このうち水揚げするのは800グラムを超えるものだけですが、年間約10トンが水揚げされ、うち5トンは加工用に、残りはデルタ・デル・ポー公園管理局によって地元の市場に生で流通させます。そして生け簀に追い込まれた800グラムに満たないウナギが毎年500から600キロ、彼らの本能の旅が続けられるよう再び海に放流されます」


野生のウナギは保護動物で、EU圏外への輸出は禁止されている。だから地域伝統のウナギ料理を食べたいと思ったらコマッキオに来るしかない。今度はそのウナギ料理をダヴィデに紹介してもらおう。


「ウナギは泥抜きをしたあと輪切りにし、交互に十文字にして串に差していきます。そして間口が2メートルある暖炉の前に置いて、炎を背にした状態で焼き始めます。高い位置から少しずつ火に向かって下ろしていくことで、暖め、加熱、炙りという主要な三段階の工程を踏んで焼かれていきます。火から下ろして熱を冷まし、一晩休ませた翌日に水、塩、酢で作った塩水にローレルの葉も加えて一緒に缶に詰められます。
これらの全工程を手作業で行っています。適した火加減は経験による鋭い目がないとわかりませんよ」


彼らの努力の成果は僕が保証しよう、コマッキオに足を運ぶ価値は大いにあるとも。このウナギのマリネは前菜に最高だし、熱々のポレンタと合わせればこの上ないセコンド(メインディッシュ)になる。


僕はウナギ祭りの機会にまた戻ってくると約束し、コマッキオを後にした。
ウナギたちがその人生に味わう苦難や数々の変態のことを知った今、そのヘビのような形にしてこの上ない旨さの生き物を口にすることには一種の責任を感じる。
湖や川、渓流や水溜りを出発点に大海に旅立つウナギたちに思いを馳せた。アメリカやヨーロッパのあっちの原、こっちの平野を離れて旅する彼らの目指す場所がたった一つだとは。
僕たち人間と同じじゃないか。誰もが行き着くところは同じでも、他と同じ旅路をたどるものなどいないのだ。





パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it





[Shop Data]
Work and Services s.c.s - I Marinati di Comacchio

Via del Pozzo, 16
44022 Comacchio (FE)
https://www.imarinatidicomacchio.it/
mail:imarinatidicomacchio@gmail.com
☎ (+39) 0533381715





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、記事交換をそれぞれのWEBメディア、 ilgolosario.it と、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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