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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.44 フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州のジン生産者

2020.03.26

※筆者注:カミッロ・ネグローニ伯爵(Conte Camillo Negroni)は1868年、フィレンツェに生まれたダンディーな貴族。伝説によると、1919年から20年頃、フィレンツェにあった「カフェ・ジャコイア」のバリスタ 、フォスコ・スカルセッリにベルモットをベースにカンパリとジンを加えた新しいカクテルを作るように依頼。彼に敬意を表し、このカクテルはネグローニと名づけられた。

連載:イタリア20州旨いもの案内

人口200人の集落の一軒のバールから




あるウィットに富んだ英国人がこう言った。
「旨いマティーニを作るには、グラス一杯分全体をジンで満たし、イタリアの方角に立ってシェイクすればいい」
ヘミングウェイなどは、既にベルモットの割合を15分の1にまで減らしてマティーニを楽しんでいたが、この英国人は、そうすることでイタリア発祥のベルモットをレシピから外せると考えたわけだ。
まあ、フレッド・イェルビス(Fred Jerbis)のジンを味わった後の僕は、「最高のマティーニは、全てイタリア産の原料を用いてイタリア国内で作られたもの」と豪語するがね。

ここは人口200人の集落、フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州ポルデノーネ(Pordenone)県にあるポルチェニーゴ(Polcenigo)。「イタリアの美しい村百選」にも選ばれ、自然環境に恵まれ、水も豊かな地域で、旧石器時代から人が住みついていたほど長い歴史をもつ。村内の考古学エリアは、アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群の一つとして世界遺産に登録されている。
が、今回目指すのは一軒のバールだ。ここにもまた素晴らしいストーリーがあるのだよ。

バール「ポルチェニーゴ・ピノッキオ」は、アブルッツォ州出身で、ヴェネツィアのホテル・ダニエリでも経験を積んだカルンゴ・エンツォ(Carugno Enzo)という人物の王国だった。魔術師まがいのバーテンダーで、愛想がよく、気さくで、ピノッキオの人形を集めていて、その数は1650体にのぼった。

彼は2012年に引退。店の経営権をフリウリ出身で、若いが海外でも経験を積んだバリスタのフェデリーコ・クレマスコ(Federico Cremasco)に譲渡した。彼はどんな新たな挑戦にも恐れを知らない青年だった。多勢のピノッキオたちは、全員彼らの主人に引き取られて、バールはシンプルに「バール・ポルチェニーゴ」と改め、店は独りでに軌道に乗っていった。

若きバリスタからリキュールの錬金術師へ




さて、ここからが本題だ。フェデリーコ・クレマスコはどうやって「フレッド・イェルビス」に変身を遂げたのか?
その昔、秘薬の力を借りて問題を解決したり、願いを叶えようとした時代があって、そこから「調合」という発想が生まれた。今はもうそんなことはしないが、バーテンダーならほんの少しの魔法は知っていたほうがいい。

23歳でバールのオーナーとなったフェデリーコには、二人の大切な仲間がいた。
一人はヴァンダ(Vanda)、彼の母親だ。彼女はトレヴィーゾにある自宅の畑で、ハーブを育てることが何より好きだ。最初はミント、メリッサ、フェンネル、ニガヨモギ、ラベンダーにセージなんかを育てていた。フェデリーコは、ハーブという植物は、バールの世界と自然に交差していて、そこに何らかの自分らしさを生み出せると気がついた。

こうして、2010年、自然栽培のハーブからソーダ用の特性シロップを作り、独自のミクソロジー研究を始めた。母親の自家栽培ハーブの他に、隣接するサン・クウィリーノ村(S. Quirino)の友人ヴァルテルが作るサフランも用いることにした。唯一「地元産」でないものを使用したとすればそれは柑橘類だった。

二人目の仲間は、魔術の教書以外にはあり得ない。1946年に出版されたイタロ・ゲルスィ(Italo Ghersi)著『イル・リクオリスタ(Il liquorista)―リキュールの調合と製造のためのレシピ2000種及び製造工程実用書』というマニュアル本をたまたま手にした時、彼は生産活動をアルコール飲料そのものへと移行する転機が訪れたと悟った。

当然ながら、魔術の本なんてものは英雄たる主人公の手に渡ったときに初めてその秘密が明かされるものだ。実際、そのレシピの一つから彼が偉大なジンを作り出していなければ、僕だってここで長々とこの本の話をしたりはしない。

2015年、フェデリーコのポルチェニーゴのバールは既にかなり繁盛する店になっていた。たぶん、その安心感からか、リスクを背負う賭けの人生を好むタイプだからか、彼は最初の抽出実験に、ジンの主成分として不可欠なジュニパーベリーのほかに、イタリア産ハーブを42種類もボタニカル(風味付け用のスパイスなど)として加えた。通常、ジンに加えるボタニカルは5、6種類だと言うのに、だ。

結果、複雑でありながら、驚くほどナチュラルなジンが生まれ、ほとんど当然というべきか、麦わら色で、草の香りとスパイス感のあるこの「ジン43(Gin43)」は様々な賞を獲得した。
ここに「Fred Jerbis(フレッド・イェルビス)」ブランドのジンが誕生した。彼の名、フェデリーコ(Federico)の略称「Fred」と、フリウリの方言でハーブを意味する「イェルビス(Jerbis:米国ではジェルビスと発音されて販売されているが、フェデリーコはイェルビスと呼んでほしいらしい)」、つまり「フェデリーコのハーブ」を意味する。

ハーブとバールの世界が交差して生まれるリキュール




2016年には、「ベルモット25(Vermouth 25:フレッドが商品に加える数字は、常に使用されるハーブの数を表している)」は、ブットゥリオ地区にあるコンテ・ダッティミス・マニアゴ社から買い付ける白ワイン 、ヴェルドゥッツォ・フリウラーノをベースにしたもの。そして「ビター34(Bitter 34)」が商品として加わった。

これらは場当たり的に作ってみたわけではないのだ。このジン、ベルモット、ビターの3つを生産することで、イタリア生まれのカクテルで最も知られた「ネグローニ」が彼の製品だけで作れるようになった。
「ベルモットを4割、ジンが3割そしてビターが3割。冷やしたタンブラーで氷の量も多めにサーブするんです。冷やすことで旨さが増す。けれど、カクテルが水っぽくなってもいけない。このカクテルを楽しむ時間は15分を超えない方がいいんです」

2017年には限定品「Gin7カモミッラ(Gin 7 Camomilla)」が誕生。フレッドは、稀少でエキセントリックなジンだという。7種のボタニカルのうち、カモミールの使用量はほとんどジュニパーベリーに匹敵し、カモミールの花を低温で漬け込んでいるために黄金色をしていて、はっきりした輪郭ながらデリケートな味わい。奇抜な解釈で楽しむのも良いが、柔らかめのトニックウォーターでジントニックにすると良さが格別に引き出される。

2019年、ウーディネの樽作りのマエストロ 、クリスティアーノが製作したアカシアの樽で熟成した「Gin7シングル・バレル(Gin7 Single Barrel)」を開発。
琥珀色のジンは、シンプルにしてストレート、丸みのあるデリケートな味わいに、はっきりとしたジュニパーのアロマが感じられる。最もクラシックなジンを最後に登場させたわけだ。

彼の全商品ラインナップは、栗の樽で熟成させた「フェルネット25シングル・バレル(Fernet25 Single Barrel)」、ハーブの替わりに樹木、木の皮や葉を用い、とてもフレッシュで後味が持続する「アマーロ16(Amaro16)」、赤ワインのスキオッペッティーノをベースにし、胡椒を思わせるスパイス感に、春のベリー類のようなアクセントがあり、これもネグローニにはうってつけの樽熟成させた「ベルモット16(Vermouth 16)」で完結する。

彼のホームページにはこうある。
「フレッド・イェルビスは、常に自然と関わりをもち続け、味の再構築をしながら新たなマリアージュを試みる錬金術師。日々、植物を栽培し、世話をし続けるハーブ専門家。」

バリスタとしても一流であり続け、ゴクゴクと飲ませてしまう、他者には真似の出来ないミクソロジストだ。

現在では彼の気高い精神は、どこへ行っても賛辞を与えられ、世界中のリキュールファンにその名を知られるところとなった。バールは、金曜日と土曜日のみ営業。楽しく、無数の試みの現場であり、そしてアペリティフにはやっぱりワインを選ぶ僕のようなものにも学ぶべきものが多々ある。

フレッドは言う、「ワインには、 飲むことが好きな人を惹きつける香りがあります。一方、スピリッツの匂いは、口に入れた時も常に同じとは限らない。例えばラベンダーは香りはするけど味はしないし、セージは香りはないけど味があるんです」

カクテルを愛するものにとって、その魅力の最後には、バールに並べられたボトルたちの色彩だったり、バーテンダーのお喋りだったり、ハンフリー・ボガードからネグローニ伯爵※、果ては至高のほら吹きヘミングウェイやカリブの海賊まで、ちょっぴり輝かしい人々が語った幾千ものエピソードだったりする。

そんな酒を楽しむための感性教育の一貫に、僕のある記憶も披露しよう。自分の惑星に戻れないと悟ったデビッド・ボウイ扮する宇宙人。映画『地球に落ちてきた男』のラストシーンだが、大きく落胆した宇宙人はジンとアンゴストゥーラで泥酔する。
あそこにフレッド・イェルビスのジンがあったらなあ。たぶん、彼だって自分の星に戻ることができたろう。なんたって、他の惑星に僕たちを連れて行けるほど途方もない品物なのだから。

※筆者注:カミッロ・ネグローニ伯爵(Conte Camillo Negroni)は1868年、フィレンツェに生まれたダンディーな貴族。伝説によると、1919年から20年頃、フィレンツェにあった「カフェ・ジャコイア」のバリスタ 、フォスコ・スカルセッリにベルモットをベースにカンパリとジンを加えた新しいカクテルを作るように依頼。彼に敬意を表し、このカクテルはネグローニと名づけられた。



パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it





[Shop Data]
FRED JERBIS

Via San Giovanni, 18 POLCENIGO (PN)
Tel +39 3280078768
www.fredjerbis.com
info@fredjerbis.com



『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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