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PEOPLE / 寄稿者連載

「いい空間」の定義って?

東野華南子さん連載 「暮らしを創る、店づくり ―いい空間て、なんだろう― 」第2回 

2020.03.19

PEOPLE / LIFE INNOVATOR

連載:東野華南子さん連載

20代から始めたカフェ巡り

いい空間ってなんだろう、というのは、コーヒーチェーンで働いていた時に浮かんだ問いでした。
とにかく真面目なもので、学生のアルバイトでしかなったのに、
お客さんのためにできることってなんだろう、
店のためにできることってなんだろう、
と考えていくうちに、いい店ってなんだろう、と考えるようになりました。
よし、それならば先人に学ぼうと、カフェ巡りをするようになったのが、21歳のころ。
いろんな店を訪れては、なんでこうやってるんだろう? こうなってるんだろう?
と目に見えたものの根拠を考えて、自分がどう感じているかを紐解いて、を繰り返していました。


そんな私が20代前半のころに考えていた「いい空間」の定義は、
「意図がはりめぐらされている」ことでした。
モノも音楽も温度も、店の担い手の目的を達成するために選ばれてそこに在るんだ、
というのが伝わってくる空間が、いい空間なんじゃないか、と。
寛いでほしい、ほっとしてほしい、気合いが入るような店でありたい、
飲み物をゆっくり飲んでほしい、本を読んでほしい……。
空間を構成する要素を通じて、店の担い手の意図を感じられれば感じられるほど、なんとも嬉しくなって、いい空間って、「担い手の意図がはりめぐらされている」ことなのだと、と結論づけたわけです。

どの席に座っても、そこから見える景色を一枚の写真として切り取った時に、
「なんとなく置かれているもの」がない、気持ちよさ。
たとえばライトはあの席を照らすために設置されているし、
たとえばチラシはお客さんが手に取りやすいように置かれている。
絵や置物などの装飾品はきちんと美しく見えるようにそこにある。
行き届いている、隙がないなぁ、無駄がないなぁ、気持ちいいなぁ……。
そんな風に思っていました。

いい空間、というものをそんな風に理解して、日々目の前の景色を切り取ってその景色に問いかけ、試行錯誤して店に立っていたころ、とあるカフェにでかけた時に、とんでもなく動揺することになりました。

へんてこなのに、心地よい

地方にあるそのカフェは、友人のSNSの投稿で見つけた店でした。

景色がよさそうだなぁ、と思って行ったその店にお洒落だなぁと気後れしつつ入ると、なんともへんてこ。
とにかく広くて部屋がいくつもある。
入口から繋がる広いフロア、水辺が見えるカウンター席が気持ちよさそうな明るい部屋、
階段を降りて半地下の部屋に、よく見ればなんだか2階もある。
空間が複雑で物が多くて、当時の私には情報量が多い……!

ひとまずお茶でもするかと、カウンターがなんとなく見えて、入口に近くて(気後れが尾を引いている)、でも2階に上る階段が少し目隠しになってくれているメインフロアのはじっこの低い席を見つけ、一人掛けソファに腰を掛けると、何とも不思議な居心地のよさを感じました。
重心が低いせい?店員さんとの距離感?
でも、それは私が感じる居心地のよさの根拠ではなさそう。

そんなことを考えながら一息ついて、ふと左に目をやると唐突にギターが置いてある。
弾いていいの? 多分、そんなわけはない。
目線を下げてみたら立っていた時より本もモノもたくさん目に入る。
読んでいいの? でも、本の前には物がたくさん置いてあって取れなそう。
おまけに、目の前にはぐちゃっとした何かのかたまりがある。なんなの? なんなんだここは!
どこを切り取っても、やっぱり情報量が多いし、意図が読めない。


隣においてあったギター。弾いてもいいのかな……。

当時の私のいい空間とは、の定義に基づくと、「いい空間」だと感じる場所の多くは、
無駄がなく、モノが少なく余白が美しく、片付いていて整然としている、
そんな場所が多かったように思います。

なのに、この店はこんなに隙だらけなのに、終始居心地がよいのです。
ケーキを食べながら不思議な気持ちでいると、ぐちゃっとしたかたまりの中に、
編み棒と編み途中の何かがあるのが目に入りました。
ギターに編み物に、なんだか楽しそうだな……。
ソファにより掛かると背もたれにブランケットがかかっていたので
何気なくブランケットを自分の膝の上において、おや、ひらめく。

あの編み途中のパーツ、おそらくこのブランケットのパーツだ。
そう気づいた時に、自分が感じている居心地のよさの正体が、
名前はわからないけれどここにある気がする、そう思いました。

空間にある意図を超えて

設計の仕事をしていると、つい隅々まで意図をはりめぐらせたくなります。
エアコンを見えないように、とかいう美意識とか、
ごちゃごちゃしたものを見せないような収納とか、
眩しくなく、でも明るく、という照明の配慮とか、
知識とテクニックは増えていって、それが完成度の高さに繋がっていく一面があります。

でも、そんなあらゆる意図を凌駕していたあの空間が20代後半に更新される
「いい空間」の定義に繋がっていくのですが、この話はまた次回。

ちなみに、余談になりますが、その店を出る時、私はあまりの嬉しさに、
友人に渡す予定だった「cafe shozo 」のクッキーを渡して帰り、
図々しくもSNSで繋がり、東京で独立した彼の店にも通うようになりました。
その店は長野に住むようになっても、一番よく思い出す場所になり、東京出張があれば隙を見つけて顔を出すようになり、気がつけば私の友人と結婚していて、そして、
今はリビセンとして、彼の作っている2号店のデザインをさせてもらっています。

本の読める店「fuzkue」、1号店は初台にあり、2号店は下北沢にて絶賛施工中です。
4月にオープン予定なのでどうぞお楽しみにー!

「fuzkue」下北店の施工中の1ショット。どんな空間になるのでしょうか。






東野 華南子(あずの・かなこ)
1986年埼玉生まれ。中央大学文学部を卒業し、カフェで店長、ゲストハウスでの女将経験を経て、2014年よりフリーランスデザイナーだった夫・東野唯史氏とともに「medicala」として空間デザインユニットとしての活動をスタートする。15年に新婚旅行で訪れたポートランドのDIYの聖地とも言われる古材住宅資材販売ショップ「ReBulding Center」に感銘を受け、名称の使用許可を得て、16年に同名にて店をオープン。代表取締役は唯史氏。リサイクルショップとしてだけではなく、「REBUILD NEW CULTURE」を信念に掲げ、捨てられていくものや忘れられていく文化を見つめ直し、人々の生活を再び豊かにする仕組みを作るチームを目指す。
http://rebuildingcenter.jp/





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