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PEOPLE / 寄稿者連載

逃げ込める喫茶店へ

蕪木祐介さん連載「嗜好品の役割」第3回

2019.10.17

PEOPLE / LIFE INNOVATOR

連載:蕪木祐介さん連載

「何苦礎(なにくそ)」

店を閉めてからあっという間に7カ月。
元々店があった場所も、あっという間に更地になってしまった。
その空き地は雑草も生え育ち、前を通るたびになんとも言えない切なさを感じている。

喫茶店があった場所にはマンションが建てられることに。



東京都台東区、鳥越という下町に開いた喫茶店は2019年3月に一度店を閉じることとなった。その5カ月前の10月、オーナーから土地ごと場所を売却したいと話があったのだ。契約更新したばかり。周辺の土地ごとまとめてマンションにする計画が進行中で、隣近所の家々も既に了承しており、あらがうのは自分のみとなってしまっていた。理不尽なこともたくさんあった。人生はどこで何があるかわからない。移転先も見つからず、情けなくも精神的にダメージを食らっていた。

「困難はそれを乗り越えられる人に与えられるのよ」。
尊敬している先輩から、そんな言葉をいただき、ふと元の自分を取り戻せた気がする。
もうあがいていてもしょうがない。そういうタイミングだ。観念しよう。今までの課題解決のチャンス。そう思えるようになった。自分の尊敬する先輩方から共通して感じられることがある。前向きな姿勢だ。どんなに金銭的に苦しい時でも、問題ばかり起こる時でも、皆起こってしまったことを無意味に振り返らず、そこからどうするべきかを前向きに考えている。高校時代、剣道部の監督から「何苦礎(なにくそ)」という言葉を教わった。どんな苦しみもそれを礎として前に進む、そんな意味を持つ。今は改めて、その精神を見つめ、鍛え直すチャンスをいただいている心持ちだ。失敗や苦しさこそが成長の糧。理不尽さなど常に付き物。逆境にも薄笑いで向かっていけるような人間でありたいと思う。



「場の力」

そうは言いながらも、現実うまくいかない状況もある。目の前に立ちはだかった問題が重なり、精神力の容量を超えると、挫けそうになることもあるし、ネガティブに考え続けて負の思考が連鎖していくこともある。先日も、とあるパーティにお招きいただいたが、笑顔と幸福感に満ち溢れたその場を目前にして、問題が重なって八方塞がりの状況の自分が惨めに感じてしまい、入り口まで行きながらも、どうしても一歩踏み入れることができず、トボトボと帰ってしまったことがあった。

その後、足が向かったのは、とある静かなバー。負の感情を持っている時にでも、そのような自分を受け止めてくれるのが、バーであり、そして喫茶店だ。重めの扉を開けると、そこは外のしがらみを忘れられる空間が広がる。カウンターに腰掛け、ゆっくり珈琲や酒を含み、鼻に抜ける香りを感じていると、なんだかがんじがらめになった感情が解けてくる。弱い私にとって、前向きな心持ちでいるために、気持ちをチューニングする場所でもあるのだろう。家で同じものを嗜むのとは違う「場の力」がそこには確かにある。


若い頃に足を運んだ珈琲「六分儀」。重い扉を開くとシャンソンが静かに流れる店内。ここで過ごす時間にもだいぶ助けられた。



「弱者への嗜好品」

私が珈琲豆、チョコレート販売だけではなく、またコーヒースタンドでもない喫茶店に執着する理由もそこにある。単価も低い喫茶店を地価の高い東京で運営するのはリスクも多いけれど、つらい時の自分を受け止めてくれた店のように、自分も誰かの様々な感情を受け止め、心穏やかな時間を過ごせる場を作ることで、役に立っていきたいと思うから、やはり喫茶店でなくてはいけなかった。そして、作る珈琲やチョコレートも、負の感情にも寄り添うことができる落ち着いた味わいでありたいと思う。極端に言えば、作っているのは「弱者への嗜好品」とさえ思っている。皆何かしらを抱えて生きている。どんな人であれ、弱い時はあるだろうし、走っていればいつかは疲れる。孤独感を感じること、気持ちが滅入って虚無感を感じることもあるだろう。煌びやかな料理や菓子と異なり、珈琲やチョコレートはそんな感情の時にも口に入れたいと思うことができるし、喫茶店の扉を開けることもできる。そこで珈琲を口にすることで、不思議と優しい幸福感を感じられたり、心の荒れた波が静まったり。とても趣深い嗜好品だと思う。



負の感情と向きあわなければならない時でも、珈琲やチョコレートなら口に入れたいと思えるし、喫茶店の扉を開けることもできる。



自分の役目を考える

もちろん、珈琲やチョコレートの中でも様々な風味表現があるが、私にとっては豆の個性を最大限にわかりやすく出すということは必ずしも一番大切なことではない。原料を活かし、使いこなすことは大切だけれども、明るすぎる香りや酸味は削ぎ落とし、深い中にも複雑味をもった味わいに仕上げることを心掛けている。時には驚くほど華やかな風味の珈琲や、面白い香りを持ったカカオ豆を見つけることもあり、商品に仕上げたくなる衝動に駆られる。でも、本当に弱った心に寄り添える味わいなのだろうかと、一度冷静に考え、自分たちのツールとしてはふさわしくないと判断し、手放すこともある。

「美味しさ」と、そこから得られる「豊かさ」を提供するために、不特定多数の評価に振り回されて盲目になり、本来の目的、求める風味、対象の相手を見失ってしまうことは避けたい。だからこそ、作るものを通してどのような感情、時間を提案したいか、きれいごと抜きにしてそれを明確にすることはとても重要なことだと思う。特に嗜好品に関してはその色が強いのではないか。役割を意識するということはいたって当たり前のことかもしれないが、時に見失ってしまうこともある。改めて一から店作りを始めている今、そのことを再認識している。自分の役割を意識して、愚直に仕事をしよう。

さて、店の準備も折り返しを過ぎたあたり。
9月には再開したいと思ってはいたが、様々なトラブルや課題が次から次へと転がり込み、だいぶ遅れてしまった。冬の始まりくらいには店を開けたいと思って作業を続けているけれど、はたしてちゃんと着地できることやら。
細かい部分のデザイン、追加の融資、床貼り、壁塗り、建物の補修、やらなければならないことはまだ盛りだくさんだ。
ひやひやとわくわくの両方の感情を抱えながら進めている。



前のカウンターと同じ丸太木から取れた木材が材木屋にまだ保管されていた。縁を感じずにはいられない。そこから新たなカウンターを作る。重い感情を支えるのに、重いカウンターは大切な気がする。



3歩進んで2歩下がる、いや、時には4歩下がってしまっているだろうか。
まさに、汗かき、ベソかき。
歩幅は小さくとも、前に足を出し続けるのが大切なのだろう。
休まないで歩けとまでは言わない。
疲れた時は羽を休めることができる、静かな喫茶店の扉を開くに限る。






蕪木祐介(かぶき・ゆうすけ)
岩手大学農学部を卒業後、菓子メーカーに入社。カカオ・チョコレートの技術者として商品開発に携わる。2016年、自家焙煎の珈琲とチョコレートの喫茶室「蕪木」をオープン(2019年12月移転、再オープン)。2018年には、盛岡で40年以上愛されてきた喫茶店「六分儀」(2017年11月に閉店)を、佇まいはそのままに「羅針盤」の名前で復活させた。著書に『チョコレートの手引』、『珈琲の表現』(共に雷鳥社刊)。
http://kabukiyusuke.com/





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