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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

未利用魚には可能性しかないから。

福岡「ベンナーズ」代表・井口剛志さん

2022.06.27

text by Kaori Shibata / photographs by Tsuyoshi Inokuchi

福岡県出身で現在27歳。井口(いのくち)剛志さん(写真右)は高校時代に起業を目指してアメリカの大学へ進学。卒業後即、起業に向けて活動を開始した。日本の水産業界の課題解決を使命とした「ベンナーズ」は、井口さんにとって社会人1年目の会社で、同時に経営者として自ら司る会社。ベンナーズとはエジプト神話にでてくる“不死の霊鳥(ベンヌ)”が由来。決してあきらめないという意思表明だ。


社会人経験よりも、早く課題解決したい

子供の頃から魚が身近だった。「祖父が水産加工会社、父は魚の卸売業に関わっていました。子供の頃から漁業が大変な仕事ということもわかっていました。僕自身は、食材として魚が大好きだったので、なんとかならないかなというのは頭のどこかにあったと思います。中高一貫の高校に進学して、1年生の時に未来のリーダーを育成するための高校生に向けたサマースクール『日本の次世代リーダー養成塾』という企画に参加しました。これがきっかけで、アメリカに留学することを決意しました」

同級生たちより少し早く社会を意識していた井口さん。「漠然とですが起業したいと思っていたんです」。結局、2年の時に日本の高校を中退した。「アメリカの高校に編入後、ボストン大学で起業学を専攻し、起業する上で一番大事なのは社会貢献だと学びました。社会貢献のためにどんな課題解決をすべきかと考えた時に一番身近でよくわかっていたのが日本の水産業の課題でした。経済性や後継者問題、それだけではなく水産資源量もどんどん危うくなっている。さらに国内消費の需要も減少し続けている。まさに課題だらけでした」

2018年、大学卒業後は資金集めと地域の漁業者のヒアリングに奔走した。一番の課題は複雑な漁業の流通構造にあると考えて「ベンナーズ」を起業。立ち上げた事業は、漁師と小売をシンプルに繋ぐプラットホーム「マリニティ」だ。しかしいざ起業すると、流通の問題と同じぐらい深刻な問題が見えてきた。

「食べる側の問題も大きい。魚の流通問題を解決しても食べる人がいなければ元も子もない。マリニティの事業を開始したのは2019年10月で翌年明けにはコロナ禍にも突入しました。漁業者とのマッチング先は主に外食産業だったので大打撃です。外食が動かなくなり、産地からダイレクトに家庭に魚を届け、食べてもらう方法も同時に考えなければと思い始めたのです。魚の仕入れで福岡県内の漁港を回っていた時に知ったのが未利用魚の存在でした」

未知だから食べてみたい、魚のミールパック

未利用魚とは、量がとれないために市場に出回らない、味に影響はないが魚体に傷があって出荷できない、捌くのに手間がかかる、足が早いといった理由で流通に乗らない魚を総じて言う。日本漁業の総水揚げ量のうち30〜40%がこの未利用魚で、日本近海の約3800種の魚種の中で私たちが実際に食しているのは20種類程度と言われている。井口さんにとっては、この未利用魚が新鮮な資源と映った。「未活用の魚介資源を現代の食卓に合った形に加工調理して家庭に届けられたら、とる側と食べる側両方の問題解決になる」。そこからの展開は早かった。2020年5月、“未利用魚を届ける”を新たな事業のテーマにクラウドファンディングで<うみのうち食堂>を立ち上げたのだ。

「もったいない」を「おいしい」に〜九州の新鮮な魚をあなたのおうちへ〜をキャッチフレーズに、同郷で海鮮居酒屋「酒場のシャトル」を経営する料理人の斉藤裕輔さんとのビジネスをスタートさせた。井口さんが魚を仕入れ、斉藤さんが調理加工を担当。福岡県の良好な漁場として知られる志賀島で水揚げされる規格外の魚やコロナの影響で出荷できない魚を、鮮魚ボックスと下味をつけたミールキットという形で支援の返礼品にした。既に未利用魚の販売はいくつかの産直サイトで取り扱いはあったが、いずれも加工に手間がかかりすぎるせいか、丸魚を届けるサービスしかなかった。クラウドファンディングではおよそ400万円の資金を調達。未利用魚という未知の魚であっても、現代の食卓にあった調理法で提案すれば裾野が広がりそうな手応えを得た。

毒針をもち、捌くのが難しいため敬遠される「アイゴ」。加工は凍結まで一つ一つ手作業で行う。

毒針をもち、捌くのが難しいため敬遠される「アイゴ」。加工は凍結まで一つ一つ手作業で行う。


2022年1月、スタートアップとして3200万円の増資に成功した「ベンナーズ」は、未利用魚を加工販売する「フィシュル」を主力事業として新たに舵を切った。製造スタッフは4名に。水揚げ後の魚をすぐに手で捌き、半調理済で急速冷凍して配送する。販売形式をサブスクリプションとしたのは、あらかじめ需要数量を漁師に提示できるので、買い付けのコミュニケーションがスムーズで無駄な在庫も抱えなくて済むからだ。こうしてクラウドファンディングで掴んだ都市生活者のニーズ、魚は食べたいけれど捌く技術も調理法もわからない、そして時間もないという人々に向けた、新鮮でバリエーションに富んだ魚専門のミールパックが誕生した。

調理法で工夫したのは、レシピを純然たる和食でなく現代の食卓に寄せたことだ。例えば「中華風カルパッチョ」や「オリーブオイルコンフィ」。しかし実際に展開してみると、和食レシピの「煮切り醤油漬け」なども若い世代に人気があるとわかった。調味料は地元糸島産で人気のある「ミツル醤油醸造元」や熊本の伝統的な赤酒を使用。和の魚総菜はコンビニエンスストアでも定番だが、地元の生産者を訪問して選んだ調味料で丁寧に調理された商品は市場の盲点だとわかった。

現在のレシピは約20種類。朝届く魚の状態を確認後、どの魚種にどのレシピをあてるかを決め、調味後すぐ瞬間凍結される。

商品に使う食材は主に九州産のものを使う。「ジェノベーゼ」に使う大葉を生産する大分「植木農園」植木喜久生さん(右)と「ベンナーズ」長谷川ルークさん(左)。

商品に使う食材は主に九州産のものを使う。「ジェノベーゼ」に使う大葉を生産する大分「植木農園」植木喜久生さん(右)と「ベンナーズ」長谷川ルークさん(左)。

2021年、福岡三越で行われたポップアップ。「煮切り醤油漬け」を使ったお茶漬けをイートインで提供。

定番人気商品「煮切り醤油漬け」。ミールパックの商品は生食用と加熱用はほぼ半々。


伝え方は明るく、ポップに

魚種も調理方法も、その日獲れた魚によるのであらかじめ指定はできない。しかし、購入者にとって未知なる味わいの魚は、この料理で食べたいという先入観もない。新たな出会いという楽しみもある。実際購入者には、チャレンジマインドをもった人も多いようだ。代表的な未利用魚には、旨味が強くて味は良いのに、背ビレや胸ビレに毒針があって加工されてこなかった「アイゴ」や、上品な白身なのに鱗が硬くて加工されない「イラ」などがある。「アイゴは刺身で食べるととてもおいしいので昆布締めなどにしています。イラは生でもいいし、揚げると身がフワフワになる」

未利用魚を語る井口さんは饒舌で、心底魚好きなのが伝わってくる。未利用魚への想いを伝えるツール「お魚図鑑」は井口さんによる未利用魚の解説がイラスト付きで綴られる。未利用魚をアノニマスな存在ではなく、一つ一つ知って欲しいと一種類ずつプロフィールをつけて商品に添えて送る。複数の魚種を混ぜたミンチ加工商品はない。それも魚への愛ゆえだろうか。ポッドキャストでも、未利用魚の知られざる生態などについてユニークに語っている。

商品と同梱する冊子には、未利用魚を紹介する手書きのイラストや漁師のインタビューを掲載。

ポッドキャスト「珍海魚 byフィシュル」。現代の世界の養殖事業や、魚のゲノム編集、漁師あるあるネタなど、魚まわりのよもやま話を軽快なトークで展開。

インスタグラムのストーリーズでは、未利用魚クイズや、思わず笑える吹き出し付きで個性的な未利用魚の姿を投稿。アレンジレシピも多数公開(フィシュルのInstagramより)

まだまだスタート地点。目下サブスクリプションの会員数は1,000人を超えたが「事業の認知度もまだまだです。しかし、志賀島や糸島などで揚がる漁獲量では追いつかなくなってきていて、他の地域の未利用魚も活用すべく準備しているところ」と語る。ゆくゆくは支社も検討中だ

未利用魚のマーケットは、現段階では黎明期。活性化には複数の競合他社が参入してマーケットが刺激されることも必要だろう。なにせ未利用魚の味わいは圧倒的に未経験者が多い。しかしそれが予想外にポジティブなおいしさであれば、未利用魚へのエンゲージメントは、普通においしいものを食べるよりもずっと深くなるはずだ。資源量に問題なく、食べることの罪悪感より、貢献できる悦びも大きい。そのおいしい体験がもっと多くの人々に共有されれば、その時井口さんが地道に重ねてきた未利用魚の情報は、さらに未利用魚ファンを広げ、繋げていくだろう。



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