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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

木邨 有希さん(きむら・ゆうき)

食材探索人/株式会社パピーユ

2019.05.01

現在の木邨有希さんを語るキーワードは次の2つ。
1. 食材探索人
2. 縛られない働き方
株式会社パピーユに籍を置いて食材の発掘を手掛けるが、動き方は自由。本人の裁量に任されている。
自由に動ける反面、自ら仕事を作っていかなければならない厳しさがあるのも事実。
時代を先取りした仕事の中身とスタイルには手探りの部分も多く、2歳の子供を育てながら、食の世界の新しい生き方を絶賛開拓中だ。


text Sawako Kimijima / photographs by Jun Kozai

写真:“未来志向の小規模生産者と共に歩む”をコンセプトとする「FUJIMARU東心斎橋店」で。手にするのは現在作成中のギフト用調味料セット。「各地に志の高い生産者がいるのでセレクトに悩みました。それ自体がつまみになるくらい完成度の高い味の品ばかり」。さ=沖縄県八重瀬町 上地屋「尚和三盆糖」、し=広島県呉市 蒲刈物産「海人の藻塩」、す=和歌山県那智勝浦町 丸正酢醸造元「伝統醸造こめ酢」、せ=福岡県糸島市 ミツル醤油「生成り、うすくち2018」、そ=福井県福井市米五「星宵」、み=愛知県碧南市 小笠原味醂醸造「一子相傳」


食材探求の先にあるもの。

食材探索人を置くレストランが登場し始めたのは、日本では2010年代前半からだろう。食材探索人と聞いて、仕事の中身がイメージしにくいかもしれないが、これは発注係や資材部とはちょっと違う。発注も担うが、より発掘を任務とする。
この10年、レストランの料理は素材尊重の一途をたどってきた。著名な生産者による人気食材ばかりでなく、山奥に人知れず生息する野生の動植物や限られた地域でのみ継承されてきた在来種、昔ながらのやり方で細々と栽培・飼育に勤しむ名もない良心的な生産者などがクローズアップされるようになって、料理人の意識は発掘へと向かった。今、食材との出会いが新しい料理を生み出すという側面が確実にある。

独自性が不可欠なガストロノミーレストランでは固有な食材との出会いを求めて調達や探索を業務とするスタッフを置くわけだが、大阪、東京でワインショップ&ダイナー「FUJIMARU」、ワイナリー&レストラン「フジマル醸造所」を営む株式会社パピーユの場合、食材探索人の任務はそれだけに留まらない。「情報はまずシェフたちに伝えますが、社内に留めず、取り引き先とも共有します」と木邨有希さん。

酒類販売を軸としてワイン造りと飲食店経営を手掛けるパピーユは現在、大阪と東京に8店舗を構える。業務用ワインショップとしては全国に2000件の顧客を持つ。それらの取り引き先にも生産者情報を共有するという背景には、多分にパピーユの成り立ちが関係する。
06年に1軒のワインショップからスタートして、ブドウ栽培とワイン造りに取り組み始めたのが10年。耕作放棄地化していくブドウ畑を引き受けたのがきっかけだった。高齢化した生産者が手放そうとする畑を引き受け続けてきた。ワイン造りを人々の暮らしの近くにとの発想から都市部に設けた醸造所は、ややもすれば行き場を失いがちな全国のブドウの受け入れ先となって、畑の消滅を水際で防ぐ役割を果たす。

そんな農地と暮らしの結び目となることを、ワインのみならず、食材全般で目指すのが木邨さんの存在と言っていい。昨年オープンした「FUJIMARU 東心斎橋店のコンセプトは"未来志向の小規模生産者と共に歩む"。「これは、ある意味、私と木邨の目を通して生まれたものです」とパピーユ代表の藤丸智史さんは語る。



食材に呼ばれて
木邨さんは、元はと言えば料理人である。フランス修業経験を持ち、東京青山にあった「アディング・ブルー」で働いた後、自分の店を開いた。
「目標がないとダメな性格なので、1日1組限定で営業し、1000組達成したら閉店すると決めてスタートしました」
下北沢の庭付き一軒家の家庭用キッチンで、調理もサービスも彼女一人でまかなうコース料理が評判を呼ぶ。
「お客様にとって心地良い時間と空間を提供することが最優先でした。お客様は何を望んでいるのかを絶えず探っていました」
固定の営業時間や定休日はなく、料理内容も客の希望次第。接待の会食もあれば、子連れの食事もあり、レストラン関係者の夜食もあり、子供にはお子様ランチを用意するなど、ゲストに寄り添うメニュー作りに徹した。そんな中で可能なかぎり彼女の意志を通したのが食材だった。
「食材が呼ぶんですよ、『オレの出番じゃねぇ?』って(笑)。お客様には食材のピカピカを感じてほしくて、でも、いつ入荷するか、いつが一番おいしくなるかは食材の都合だから、予めメニューを決めたいと言われるのが一番困りました」

営業の傍ら、精力的に産地を訪ねた。雇用されていた時分は繁忙期に店を休むわけにいかないなど行動の制約があったが、独立して、自分の予定は自分で決められるようになり、「足枷が外れた(笑)。誘われたり、紹介されたら、NOとは言わず、どこへでも出向いていった」。 食を生業とする女性4人でフランスを回ることもしばしば。日本では漁師を訪ねると別の土地の漁師を紹介してくれるケースも多く、沖縄、鹿児島、富山、千葉、青森などの港人脈が築かれた。
「調理する時、脳裏には自ずと食材を取り巻く産地の光景が浮かぶ。生産者を訪れた経験は必ずや皿の上に表れます」
もっとも1日1組では使える量が知れている。あれもこれも使いたいのに使えない。それがただひとつのジレンマだった。



食の生命線を握る
08年に開店して13年1000組達成。「力を出し切って、心身ともにカラッポの状態になった」という彼女に藤丸さんが「新しく立ち上げる浅草橋店に入ってほしい」と声を掛ける。ワインだけでなく"食材の生産者にスポットを当てる"をコンセプトとする同店を構築する上で、木邨さんの経験が生きると考えたのだった。ポジションは料理人ではなくディレクター。
「料理で表現してきた私にとって、料理人でなくなることは不安でした。じゃあ、一生料理人を続けるのかと考えると、むずかしいかなと思う部分はあった。加えて自営の5年間が一人仕事だったので、チームの一員として仕事するのもいいなと」
申し出を受け入れ、浅草橋店の運営に尽力。土台が固まった頃、木邨さんは産休に入る。1年4カ月の休みを経て、昨年4月に復帰。食材探索人としての活動が本格化するのはここからである。

今、木邨さんはどの店にも所属していない。年末年始などヘルプが必要な繁忙期にはどこかの厨房に入るが、それ以外は自由。
「あいつ、野放しじゃないか(笑)」と冗談半分に言われることもあるらしい。が、木邨さんの縛られない働き方には、「産休、育児、介護と様々なライフステージを迎える女性が辞めなくてもいい会社を作りたい」という藤丸さんの願いが込められている。「実際、『木邨さんみたいに働けるなら、私も働きたい』と言われる」と木邨さん。
「子供を持ったからこそ感じること、できることがあると思う」と藤丸さんは言う。木邨さんには「良い食材は溢れている。おいしいだけじゃなく、もうひとつ先を見なさい」と伝えるそうだ。

生産者情報を束ねることは、私たちが思う以上に食の生命線を握る。災害時、傷ついて流通できなくなった食材の受け入れ先になる、入荷が止まったレストランに別の生産者を紹介するなど、木邨さんがいることで、パピーユが食材の管制塔のように機能できる可能性もある。木邨さんの模索は、社会と食材との向き合い方の模索でもある。


◎ FUJIMARU 東心斎橋店
大阪府大阪市中央区東心斎橋1-4-18
☎06-6258-3510(ショップ)
☎06-6258-3515(レストラン)
ショップ13:00~23:00
レストラン17:00~23:00
月曜、第2・4火曜休
https://www.papilles.net/shop_restaurants/

木邨 有希(きむら・ゆうき)
1979年、東京都生まれ。1994年から3年間、国際製菓専門学校で高等課程を履修しながら製菓技術を学ぶ。卒業後、大阪の辻調理師専門学校 調理クラスへ。株式会社エノテカに入り、大阪「ブルディガラ」、神戸「ソスタンツァ」、六本木「テロワール」で経験を積み、03年渡仏。南仏ヴァンスにあるレストラン「ラ・ファリグール」で2年間働く。帰国後、東京・青山「アディング・ブルー」へ。その後、ソムリエ資格を取得。08年独立して、下北沢に1日1組限定の「レストラン マナ」を開く。1000組を達成した13年に閉店。同年、株式会社パピーユに入る。18年から1年4ヵ月の産休を経て、19年4月に復帰。

























































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