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PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

宗像誉支夫さん(むなかた・よしお)

沖縄「宗像堂」

2019.10.01

「酵母にさまざまな経験をさせる」
「指先の記憶を積み重ねる」
「エネルギー転化装置としての石窯」……
昨年末出版された『酵母パン 宗像堂』(写真・伊藤徹也 文・村岡俊也/小学館)に収められた宗像誉支夫さんの言葉は、パンという食べ物のプリミティブな側面を鮮やかに浮かび上がらせる。
パンの可変性に光を当て、パンとは活動体、生命体であることを伝えてくれる。
沖縄に腰を据えて、自力でパンを焼き始めて18年。宗像さんが作るのは、外来文化とは異なる文脈を持つパン、日本の風土から生まれた日本のパンだ。

text by Sawako Kimijima /photograph by Tetsuya Ito




自然の摂理を発見する。

琉球大学大学院で微生物の研究をすべく沖縄へ。卒業後、研究職を経て陶芸家に3年間弟子入りした。知り合いのおばぁ主催のパン教室に参加して自家培養酵母によるパン作りを体験。そこからパンの世界へ入った。
以来、修業したことも、誰かに教わったこともない。すべて独学だ。
石窯も自分で作った。友人が図書館で見つけてきた『石窯のつくり方楽しみ方』という本を手引きとして、仲間の手を借りながら形にしたのが、店のオープンから1年後。現在までに5回作り変えたという。作り変える度に改良を重ね、「今、すごく良い状態」。

宗像さんの窯は、炉床の上で燃やした薪をかき出して、蓄熱で焼くタイプである。「7時に焼き始めて昼過ぎまで焼き続けるのですが、それだけ長時間、熱が持続するのはめずらしいと言われます」 薪の燃え方は毎回違う。酵母も日々変化する。パンを焼く条件が同じということはただの一度としてない。
「うちの仕事には再現性がないんです」 

考えてみれば、その不確定要素をできるかぎりコントロール可能にしてきたのが現代の製パン技術だ。イーストもホイロも電気窯もガス窯も、安定的にパンを焼くためにある。宗像さんはそれらをすべてあらかじめ放棄している。
「酵母の活動と薪窯の熱のタイミングを合わせていく。毎回が挑戦です。でも、僕にとってはそれが大事。それが面白い」

〝教わることが当たり前、教えられて当然〞と多くの人が思い込んでいる現代にあって、宗像さんはいつだって自ら方法論を見出してきた。お仕着せでない生き方はまぶしいばかり。そうだ、人間はそうやって生きる術を獲得してきたんだったと気付く。

「失敗から目をそらさない人がおいしいパンが焼けるのだと思う。失敗を製法や条件のせいにせず、自分のせいにできる人。期待通りの結果じゃない時ほど、そこからどれだけ情報を得るかで、その後の経過と結果が変わっていくのだと思います」
継ぐもの、起こすもの。
それは、パン作りだけじゃない。
「予期せぬ出来事に直面した時に、どう向き合って、前へと進むエネルギーに変えられるかが大事」と宗像さん。
実は、『酵母パン 宗像堂』の制作が暗礁に乗り上げた時期があった。ライターからの要望を、宗像さんがどうしても受け入れがたく、関係が切れかけたのだという。

「『読者が作れるように、レシピを載せたい』と言われました。それは全然かまわない。けれど、『酵母の起こし方を載せたい』という言葉を聞いた時、ダメだ、こいつら、何もわかっていないじゃないか、やめちまおうと思った」
宗像さんが使うのは、パンの世界に足を踏み入れるきっかけを作ってくれたおばぁの酵母、それをかけ継いでかけ継いできた酵母である。おばぁの手が育てたところに宗像さんの手が何度も加わり、常在菌(人の体に存在する微生物)が独自の味を醸し出し、さらに時間が重ねられて、老舗の鰻屋のタレのようになった酵母だ。
「そうなるともう、その人のパーソナリティまで反映するんだと思う。起伏の多い人生を送った人が歌う歌は凄いように」

いろんな人の手を経てかけ継がれ、かけ継がれた酵母には関わった人の痕跡が残って、誰も追いつけない世界ができ上がる。
「そして、それはバトンでもある。おばぁから受け継いだバトンを守り抜き、いつか誰かに渡す。自分はそこに命を懸けていた。そこに文化があると思っていた」 

そう信じていた宗像さんにとって、「誰でも酵母を起こせるようにしましょう」というリクエストは瞬時に「あり得ない」と思われた。
「混乱と落ち込みが大きくて復活するのが大変でした(笑)」
しかし、自分は何に対して反発しているのか、それは跳ね除けるしかないのか、やってみるという選択はないのか、時間をかけて考えた結果、宗像さんは受け入れた。

「王道じゃない方法をとっている自分に王道を要求されたように感じてしまったんでしょうね。独学で積み上げてきたやり方に対して『違うんじゃないの』と言われるのもいやだった。でも、2〜3カ月経った頃、やっぱり本を完成させたいという気持ちがふつふつと湧いてきたんです。本を作るということを愉しんでみようとも思えるようになった」


磁場になれたら。
本の制作を通して、パン作りを教えるという立場に立ったこと、かけ継ぐ文化だけでなく起こすカルチャーも受け止めるようになったことは、宗像さんにもうひとつの展開をもたらした。「宗像発酵研究所」の開設である。
「お隣にずっと東洋医学研究所がありました。高齢のお医者さんが独自の癌治療の研究をされていたんですね。その方がもう100歳を超えるというタイミングで、『この場所を君に譲りたい』と」 元々、大学院で研究に勤しんでいた宗像さんは研究所を持つ決意をする。

「自分がこもって研究する場というより、開かれた研究所でありたい。パンをつながりとして、人と人が出会い、化学反応を起こして、その人のそれまでの歴史にない何かが生まれるような、磁場になれたらいい」
パン作り教室や発酵のワークショップなどが定期的に開かれているのだが、教える立場の宗像さんにも発見が尽きない。「僕はパンを焼くのが楽しくて18年やってきたけど、初めて焼く人も楽しいんだなって。そして、焼き上がったパンを、みんなで顔を見合わせながら食べるのっておいしいんだなって」
そんな素朴なことに思いがけず気付かされ、宗像さんはそれがまたうれしい。

1月には、古代小麦の育種研究に取りむ龍谷大学の丹野研一氏による古代小麦の会が開かれた。
というのも、宗像さんは今、古代小麦の栽培に挑戦中だ。数年前から小麦栽培に取り組んでいたが、鳥に食べられても指をくわえて見ているしかない状況があって、ディンケル小麦の生産者である廣瀬敬一郎さんに相談。「種が大事」と丹野先生を紹介された。古代小麦は籾殻が大きくて、鳥にとっては食べにくいのだそうだ。

自然の摂理はなんてよくできているのだろう。宗像さんの仕事を通して、私たちはその事実を発見する。そして、宗像さんのように原初に立ち返って考える大切さを知るのだ。


◎ 宗像堂
沖縄県宜野湾市嘉数1-20-2
☎ 098-898-1529
10:00~18:00 水曜休
http://www.munakatado.com/

宗像 誉支夫(むなかた よしお)
1969年生まれ。福島県出身。日本大学農獣医学部応用生物科、琉球大学大学院卒。研究所勤務を経て、画家・陶芸家の與那覇朝大に3年間弟子入り。その後、ふとしたきっかけからパンを焼き始める。家庭用オーブンでパンを焼いて配達するスタイルで3年営業した後、店を構える。

























































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