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FEATURE / MOVEMENT

日本 [新潟] 日本の魅力 発見プロジェクト ~vol.3 新潟県 燕三条~

ものづくりの町は九十九神(つくもがみ)の故郷

2017.04.06

text by Rei Saionji / photographs by Hide Urabe



多くの人にとって、新潟県のイメージは雪国であろう。川端康成の小説『雪国』の舞台も新潟。新潟への旅の目的として真っ先に頭に浮かぶのも、スキーやスノーボード。事実、スキー場サイト「SNOWNET」によると、新潟にあるスキー場は48軒で、長野県、北海道に次いで全国3位だ(2017年現在)。また、全国で最も白鳥が飛来する県としても知られており、10月上旬から渡ってくる白鳥は、11月下旬頃のピーク時に5千羽を越え4月、シベリアに帰っていく。しかし今回は『新潟=雪国』というイメージとは異なる、新潟県の奥深い素顔を探るべく上越新幹線に乗り込んだ。


九十九神(つくもがみ)の故郷 燕三条地域





古来、日本には、九十九神という考え方が存在する。『九十九神』とは長い年月使い続けた物には神が宿り、粗末に扱えば祟り、大切に扱えば恩を返すというもので、八百万の神の国、日本ならではの考え方だ。長い間、世代を超えて使い続けることができるようにと作られた物には、作り手の丹精や魂が込められている。その魂が使い手の大事にするという心と出合った時に神になるという九十九神の考え方は、国際的にも有名になった「もったいない」という言葉の基盤の一つであるかもしれない。


新潟県の燕三条地域では2013年から毎年秋に、そんな日本の物作りの現場を見聞できる『工場の祭典』という催しが行われている。4日間の期間中、地域の工場が開放され、ものづくりの現場の見学や体験ができるというもの。2017年は10月5日~10月8日に開催される予定だが一足先に、期間外でも見学できる工場を訪問するため燕三条駅で下車した。


この駅名、燕三条という名前の町があるわけではない。駅は三条市にあり、隣の燕市と名前を合体させた駅名である。現三条市と燕市は、江戸時代の初頭、五十嵐川の氾濫に苦しむ農民を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招いて和釘の製造方法の指導を受けたことから、農家の副業として和釘を製造するようになる。その後、鍛冶技術を取り入れることによって、釘だけでなく鎌、鋸、庖丁を作る専業の鍛冶職人が生まれ、『鍛冶の町』として知られるようになったという経緯があり、駅名を一つとするこの2市は今でも、協力して地域産業を守っている。


燕三条駅の改札口を出ると『燕三条観光物産センター 燕三条Wing』 がある。ここは、燕市と三条市で作られている製品やお土産品が美しくディスプレイされており、店の天井からは、燕三条地域を代表する職人の写真が印刷されたタペストリーが下がっている。これから始まる『ものづくり探訪の旅』の序章のようで、心をワクワクとさせる。


職人がそれぞれの工場で、魂を込めて物作りに励む姿を見ることができた。出来上がった製品には、創業から現在に至るまで、その工場に関わった全ての人々の哲学と情熱が反映されている。職人が丹精込めて作り出した製品の中には、職人の魂が宿ることで命が吹き込まれ、これから出会う使い手の愛情を得るべく待機しているように感じられた。ものづくりの現場を見学することによって、物の価値や、物を大切にする心の重要さを改めて学べた。
燕三条地域には、今回訪問した工場以外にも年間を通じて見学が可能な工場が17軒ある。秋の『工場の祭典』の開催中のみならず、燕三条地域へ訪れてはいかがだろうか。


玉川堂(ぎょくせんどう)


世界有数の金属加工産地である燕市のルーツは、江戸時代初期、和釘づくりが始まったことに端を発すると言う。その中で、玉川堂は、19世紀初頭、江戸時代後期に鎚起銅器の製法を受け継ぎ、日常銅器の製造を始めた初代から約200年もの間、燕市で銅器を作り続けている老舗。初代は「やかん屋覚兵衛」と呼ばれていた。


開国した後、ウィーン万国博覧会、世界コロンビア博覧会、日英博覧会などの海外の博覧会に出品し、国際的にもその美しさと技術が高い評価を受けている。


有形文化財に登録されている明治末期に建てられた重厚な造りの日本家屋。門をくぐり、敷地内に足を一歩踏み入れるだけで、タイムスリップしたような感覚を覚える。


鎚起銅器(ついきどうき)とは、一枚の銅版を鉄の金鎚で何度も叩くことによって立体の銅器を作っていく製法で、今回は口打出の急須を作る行程を見学した。通常の急須は、注ぎ口だけを後から作り、穴を空けた本体に錫で留めて作るところを、その口までも一枚の銅板から作る特殊な工法だ。しかも、図面はなく、設計図は職人の頭の中にだけ存在し、感覚のみで形成していくという。素人考えでは、銅板は叩くと薄くなり、その分広がるのかと思いきや、事実はその逆で、叩くことにより縮めていくという、まさにマジックのような作業を、固唾を呑んで見学した。


作業の際に生じる金属音が室内に響かないように、また、自然光をより多く採り入れることができるように窓が大きく作られている。数人の職人の、金鎚を叩くリズムや叩き方が一人一人違うことに気付く。口打出は全ての工程を一人の職人が担当するため、製品が出来上がった後、それを作った職人が分かるらしい。まさに、神が製品に宿る瞬間を目撃したような感覚を覚えた。


鉄の金鎚は三条の鍛冶屋に作ってもらう特注品。カーンカーンと、一叩きする度に職人の魂が込められていく。


金鎚を叩いた跡が、そのまま製品の模様となる。言い換えれば、製品の肌は金鎚によって作りだされる。出来上がった製品には、金鎚を作った職人と、叩いた職人の魂が籠っているのだ。

玉川堂
新潟県燕市中央通2丁目2番21号
☎ 0256-62-2015
営業時間:8:30~17:30
定休日:日曜・祝日
上越新幹線「燕三条駅」から車で5分、弥彦線「燕駅」から徒歩3分。


山崎金属工業


第一次世界大戦が終了した1918年、初代が鎚起銅器(ついきどうき)の技術を習得した後、独立。手作業でスプーンを作る工房を開いてから現在に至るまで、日本のカトラリー( ナイフ、フォーク、スプーンなどの食卓用道具の総称)の製造を牽引してきた工場である。自ら設立したアメリカの現地法人があり、ノーベル賞90周年記念晩餐会用のカトラリーを作るなど、海外での評価も非常に高い。『燕三条 工場の祭典』の期間以外は見学できないが、今回は特別に工場とショールームを見学した。

代表取締役の山崎悦次氏。


日本におけるカトラリーの歴史は、日本が開国した後、西洋の文化が一般庶民にまで広がっていった歴史と重なる。山崎金属工業が設立された当初の顧客は主に、神戸や横浜に居留していた外国人であった。1960年代、日本では洋食をナイフとフォークで食べる習慣はまだ一般的ではなかった高度経済成長の真っ只中に、世界約65カ国を巡り、飛込み営業で自ら世界へ販路を開拓。日本の丁寧なものづくりの文化を世界に広めていき、洋食器の本場であるヨーロッパやアメリカで高い評価を得るようになった。どの家庭にも、ナイフやフォークが置いてあるようになった現在、日本製カトラリーの90%を生産している燕市の中で、山崎金属工業は中心的な存在となっている。


カトラリーの品質とは、デザインの美しさ、手触り、口触りと舌触りである。実にカトラリーとは、食卓において三役をこなさなければならない運命を持たされた珍しい道具である。食事が運ばれる前からテーブルの上にセットされているカトラリーは、これから運ばれて来る美味しい食事を想像させる主人公の一人として、食事が運ばれた際には、作られた料理がより洗練され、文明的であると見せる脇役として。そして、食事を食べるべく口の中に運ぶ際には、その存在をできる限り消して主役をサポートする黒子となる。いくら美しいスプーン/フォークであっても、口の中に入れた時に存在を主張するのでは、質の高いスプーン/フォークとは言えないのである。ここでは、安価品は10工程ほどで作られるところを約35工程、デザインによっては50以上の工程をかけて作っている。カトラリーは、日本の伝統的な道具ではないが、日本の職人が手間と知恵を余すところなくかけたMade in Japanの素晴らしい製品だ。日本の家庭やホテルなどの飲食店はもちろん、多くの国で使われている。

山崎金属工業
新潟県燕市大曲2570番地
工場見学は、『燕三条 工場の祭典』の期間のみ可能。


庖丁工房タダフサ


1948年、戦後間もなく創業の庖丁工房タダフサ。創業当初は、鎌・小刀・庖丁を手がけ、その後、漁業用刃物、家庭用刃物・本職用刃物・蕎麦切り庖丁などの多岐に亘った刃物を鍛造し販売するようになった。


まずは、モダンなデザインの建物に驚き、中へ一歩足を踏み入れると、様々な庖丁がディスプレイされ、アトリエのようなショールームに感動を覚える。なかなかお目にかかることのない形状の刃物類を見ていると、驚きのエクスクラメーションマークが頭の中を駆け巡る。様々な刃物の形をじっと見つめていると、一言で『切る』と言っても、切る物の大きさ、形、硬さ、厚みなどによって、力の入れ具合や、また動作そのものが変わるものだと気付く。使い手の立場で、可能な限り使いやすくと考案し工夫した結果であり、熟練の職人たちによって生みだされた、ものづくりの真髄を実感させる逸品ばかりだ。今は製造されていない刃物の数々も、ギャラリーには展示されている。


家庭での食生活も多様化し、今では珍しくなくなったパン切り庖丁。パン切り庖丁と言えば、刃全体がワニの刃のようになっている物が主流だが、庖丁工房タダフサのそれは、先端だけがワニの歯状になっている。これで切れるのか?試し切りをしてみる。切り始めをワニの歯がとらえ、柔らかい食パンをつぶすことなく、滑るように、今まで感じたことのないような切れ味で思い通りの厚さに切れてしまう。切れ味がこれほど良いと、顔がほころんでしまう。良い切れ味は使い手の喜びなのだ。


工場では、まさに、『鉄は熱いうちに打て』を実践するが如く、真っ赤に溶けた鉄を叩いて刃物を作っていく。職人は、機械に取りつけられた大型のハンマーを足で操作し、刃物を叩いていく。鉄を溶かす火の熱さを感じ、一心に刃物を叩く職人は、使い手の笑顔のために魂を込めているのだ。なぜなら、刃物を使う者の喜びが、その切れ味であると知っているから。

庖丁工房タダフサ 直営店/工場
新潟県三条市東本成寺27-16
☎ 0256-32-2184
業務時間:8時~17時
工場見学が可能な時間:10時~11時半、13時半~16時


マルナオ


元々、初代は仏壇彫刻師であり、寺社を装飾する彫刻を施す会社として1939年に創業した。現在では、黒檀や紫檀など、家具や仏壇に使われる最高級の硬木を使用して作る箸を中心に、スプーンやエスプレッソカップ、ステーショナリーを製造している。シンプルモダンな外観で、お洒落なブティックを思わせる店内には、細く華奢な作りの箸が美しくディスプレイされている。


工場は、ショールームのガラス越しに見ることができる。一人一人の職人が、細い木をさらに細く削っている。木を荒削りにした後、形を整え、先端を極細にしていく繊細な作業のため、一人の職人が1日に作ることができる箸は40セット。極細に仕上げつつも、面と面で滑らずに物をつまむため箸先を八角形にする。手元と箸先を八角形にし、真ん中を十六角形に削るという特殊な形は、使いやすさを追求し結果生み出された。


マルナオの特徴である細くて軽い箸は、その存在を感じさせず、持った瞬間に違和感なく手にしっくりと馴染む。細く仕上げられた先端は、どんなに小さな物でも難なくつまむことができる。小さい頃から、マルナオの箸を使えば、箸さばきの楽しさが身体に染み付き、食べること自体を楽しく感じられるに違いない。

マルナオ
三条市矢田 1662-1
☎ 0256-45-7001
店舗の営業時間:10時~19時
工場見学が可能な時間:9時~17時半






※本プロジェクトは、経済産業省関東経済産業局が実施する「平成28年度地域とホテルコンシェルジュが連携した、新たなインバウンド富裕層獲得のための支援事業」と連携して、グランド ハイアット 東京 コンシェルジュ/明海大学ホスピタリティ・ツーリズム学部教授 阿部佳氏のアドバイスを得て実施しています。



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