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JOURNAL / JAPAN

日本 [北海道] アイヌの文化が色濃く残る土地 

北海道東部 阿寒・摩周地域を訪ねて

2018.08.22

弟子屈の農業の明日を担う若者たち。左から郷司幸広さん、星川将一さん、藤本慎平さん、高橋学さん、川口美紗貴さん、猪狩大智さん、平岡琢磨さん。

北海道東部の中心に広がる阿寒摩周国立公園。阿寒、摩周、屈斜路のカルデラ地形と湖は、度重なる火山の大噴火で形づくられました。3つの湖を囲むように広がる針広混交樹林の原生林は今も原始的な姿を残し、エゾシカを始めとする野生動物が数多く生息しています。
阿寒湖周辺は、北海道の中でも伝統的なアイヌの文化が残る地域。弟子屈町(てしかがちょう)では北海道の高い食料自給率を支える農業が若い世代の就農者に受け継がれ、土地の価値を高める挑戦が続けられています。

小さな産地だからこその強みを活かして。



見渡す限り一面の畑。白い花が咲き誇る蕎麦の畑と黄金色の麦畑が美しいコントラストを織りなしながら広範囲に広がります。スケールが桁違いに感じられる、さすがは北海道という景色ですが、摩周湖の山麓に広がる弟子屈町は、千島系火山脈に属する丘陵地帯で、平地が少なく起伏が多いのが特徴。この地が今、北海道でも高品質な蕎麦の産地として注目を集めつつあると同時に、活用度の高い小麦栽培を目指して様々なチャレンジが行われています。

畑では7人の若者が作業をしていました。平均年齢、27~28歳の、入植者の三世世代。幼い頃から一緒に育った仲間たちです。
「北海道は十勝ブランドが有名だけれど、弟子屈も農作物の品質では負けていない。小さい産地だからできるやり方で、弟子屈産の小麦や蕎麦をもっとアピールしていきたい」
チームの中では最年長、31歳の平岡琢磨さんはそう話します。



弟子屈の農業の明日を担う若者たち。左から郷司幸広さん、星川将一さん、藤本慎平さん、高橋学さん、川口美紗貴さん、猪狩大智さん、平岡琢磨さん。



弟子屈の蕎麦栽培には大きな特徴があります。蕎麦は種まきから100日ほどで収穫するのが一般的ですが、弟子屈では約80日で収穫。まだ青いうちに収穫された蕎麦は、畑で地干しされます。乾燥工場では、農家ごと、畑ごとの蕎麦が混ざらないよう、ゴミ取りや選別が丁寧に行われ、石臼での製粉で蕎麦粉に仕上げます。
小麦は麺用のきたほなみが中心。パン業界でも国産小麦のニーズが高まる中、地域の意欲ある製パン業者とタッグを組んで、きたほなみでのパンづくりにもトライしています。

「毎日見ている景色だけれど、見飽きることがない。この環境で仕事ができることが幸せです」と、26歳の猪狩大智さん。
後継者不足が常態化し、40代でも「若手」といわれる日本各地の農村を思い浮かべると、若い担い手がいきいきと働く様子は、一筋の光のよう。入植者によって拓かれた農業大国・北海道の歴史は、確実に次の世代へ受け継がれています。




弟子屈町産の蕎麦粉を使った摩周そばは、近年、ご当地グルメとして観光客の人気を集めています。町内には摩周そばを提供する数軒の店がありますが、母子二代で切り盛りする繁盛店が『両国食堂』です。こちらには通常、母の斎藤澄子さんが打つ平打ちと、娘の美知代さんが打つ細打ち、2種の蕎麦があります。





左が澄子さん、右が美知代さん。「母の打つそばを楽しみに今もたくさんのお客様がいらっしゃるんです」と、美知代さん。



澄子さんは、昭和13年生まれ。透き通るように白な肌と穏やかながら整然とした語り口が、80歳という年齢を感じさせません。澄子さんは母が昭和26年、足寄町で創業した店を18歳で引き継いで今に至ります。店の名の由来は、十勝と釧路の境に当たる創業の地にあった「両国橋」という橋の名前。37年前、現在の場所に移転しましたが、場所は変わっても、一貫して「変わらぬ味」にこだわります。

「母に教えられた通り。観光地でも手を抜かず、材料を惜しまず。創業時の味でおつくりしています」




名物はかしわそば。弟子屈にはそばといえば伝統的に親鳥が用いられてきた歴史があり、どの店もかしわそばに力を入れているのです。『両国食堂』のそれは厚削りのかつお節と根昆布、2種の煮干しを贅沢に使った出汁に鶏の旨みが加わった満足感の高い一品。弟子屈摩周そばならではの緑がかった色調と香りを楽しみたいなら、ざるもおすすめです。そばをすすると、香ばしい香りが鼻に抜けます。
地域でも屈指の歴史を持つ店ながら、母娘経営ならではの温かな雰囲気。清々しいそばの味が、より深く舌と心に刻まれます。




決して採り過ぎず、自然の「分け前」をいただく。

食も含めた北海道の文化を語る上で、忘れてはならないのが先住民族であるアイヌの存在。阿寒湖温泉の西側には北海道最大のアイヌコタン(「コタン」は村、集落の意味)が今も残ります。『民芸喫茶ポロンノ』は、その一角に。アイヌの伝統料理を提供する、全国でも貴重な店です。

メニューには馴染みのないアイヌ語が並びますが、山海の恵みを活かした素朴で滋味深い味は、初めて食べてもどこか懐かしく感じるような味。ユク(鹿)やチェプ(鮭)は、アイヌの食文化の軸となる食材ですが、それらを昆布だしと塩で炊いたオハゥは、古くから親しまれているアイヌの味。ほかにも畑に取り残して越冬し、凍ったじゃがいもを使う料理に起源を持つポッチェイモなど、伝統の味を今に伝えます。





(写真右上から時計回りに)昆布のタレをかけた米粉団子「コンブシト」、オオウバユリのチーズ焼き「トゥレプチーズ」、「蝦夷鹿のたたき」、凍らせた状態で食す姫鱒の刺身「チェプ ルイペ」、凍らせたじゃがいもで作る「ポッチェイモ」、豆、いなきびなどを使ったほのかに甘い炊き込みごはん「アマム」、鮭の血合いの塩辛「メフン」、鹿の「オハゥ」。オハゥとメフン、アマムは定食1000円でも提供する。



凍らせたじゃがいもで作る「ポッチェイモ」。擦り鉢の中で潰して混ぜ、布で濾して不純物を取り除き、でんぷんを抽出。溶ける過程で進む発酵が、独特の風味をもたらす。




店主の郷右近 好古さんは、自ら山に入り、採取した山菜やキノコを料理に使います。郷右近さんは、実は岩手県水沢市(現 奥州市)の出身。20代のときに旅したインドでアイヌの妻・富貴子さんに出会い、富貴子さんとともに先代が始めた店を継いでいます。
「民族衣装やチセという住居、数々の祭や音楽、舞踊など、アイヌには独特の文化がたくさんあります。それらも守り伝えなければなりませんが、何より僕が惹きつけられたのは、アイヌの人々の自然観です」



「民芸喫茶ポロンノ」Facebookページより


もっとも深く心に残っているのは、初めてアイヌの年配の女性と山に入ったとき、木々に「あんた立派だねぇ」と、倒木には「よく頑張ったんだね」と子供や孫に話しかけるように声を掛けながら歩く姿だといいます。山菜を採る様子からは、かつて読んだネイティブアメリカンの本にあった「森の庭師」という言葉を思い出したとも。決して採り過ぎず、弱っているところから間引いて「いただく」ことで、他を活かす。

「狩猟採取で生きてきた人間の土台ともいえる姿。普遍的な営みが、阿寒湖周辺のアイヌの人々の暮らしにはまだ、残っている。それは本で読んできた“かわいそうなアイヌ”とは別の、心の底から羨ましくなる人間の姿だったんです」
山に入り、自然の「分け前」を頂き、一皿の料理に。アイヌの伝統的な暮らしと食を最大限にリスペクトしながら、音楽あり、アートありな「民芸喫茶」は、誰もが立ち寄り、寛げる雰囲気。根っこは深く、間口は広く。若い世代が担う店が、ユニークな食文化を幅広い層に伝えているのです。



郷右近好古さん、富貴子さん夫妻。富貴子さんが着ているのはアイヌの民俗衣裳だ。



次の十年は、道東から。

近年、成熟しつつある日本ワイン市場において、北海道は最重要産地のひとつ。函館、余市を中心とした道南エリアは、ここ数年で数多くの小規模ワイナリーが誕生し、ワイン産地としての様相を強めています。そこへ「次の十年は、道東から」と名乗りを上げたのが髙木浩史さん。地域おこし協力隊として弟子屈に移り住み、ぶどうの栽培から自分で手掛け、日本最東端の産地である弟子屈のテロワールを感じられるワインづくりに挑んでいます。



樹齢3年の山幸(やまさち)の畑。髙木さんは、1980年生まれ。日本ワインの次代を担う世代だ。

「美幌峠から見下ろす、弟子屈町や屈斜路湖の景色が大好きで。いつかこの場所に帰ってきたいと思ったんです」
そう話す髙木さんは福岡県の出身。網走にある東京農業大学オホーツクキャンパスで生殖工学を学んだ大学時代に、すっかり北海道、とりわけ道東エリアの自然の雄大さに魅了されたといいます。道が主宰する「北海道ワインアカデミー」でワインづくりの基礎を学び、町や地元農家と協力しながら、耐寒性に優れた山葡萄系のワイン専用品種・山幸の栽培拡大に努めています。2015年からリリースする「葡萄色の旦(えびいろのよあけ)」は現在、年産わずか300本。販売を地元の飲食店に限っているのは、まずは地元の人々に楽しんで欲しい、そして弟子屈を訪れた観光客には、地産食材で造られる土地の料理とともに味わって欲しいという髙木さんの強い想いから。

空が広く、風の通りがいい。周辺には蕎麦やじゃがいもなどの畑が広がる。



醸造は、現在、十勝ワインに委託していますが、近年中に自社畑の近くに小さな醸造施設を建設するのが目標。最新ヴィンテージの2017年は、仕込みの段階で亜硫酸を使用せずに低温でじっくりと発酵させ、濾過も最小限必要な状態に留めることで、ぶどう本来のフレッシュさを味わえるナチュラルなつくりへと大きく舵を切りました。道東・屈斜路に「葡萄色の旦(えびいろのよあけ)」あり。日本ワインの愛好家たちが髙木さんのワインを目指して弟子屈を訪れる日は、そう遠くなさそうです。



北限のマンゴーにかける夢。

弟子屈町には髙木さん以外にも、これまで町になかった新しい農業に挑戦する生産者がいて、注目を集めています。『ファーム・ピープル』の村田光宗さんと息子の陽平さんです。弟子屈町は、冬はマイナス20℃前後まで気温が下がる、北海道の中でも厳寒の地です。そんな寒い地域で、なぜ南国フルーツの代表格であるマンゴーができるのでしょうか。秘密は、屈斜路のカルデラが生み出す温泉にありました。『ファーム・ピープル』では、この温泉熱を使い、ビニールハウス内の温度管理をしてマンゴーを育てているのです。

「農業をやるなんて夢にも思わなかったし、栽培し始めるまでマンゴーを食べたことさえなかった」と話す陽平さん。



マンゴー栽培に必要なエネルギーを温泉熱でまかなうための施設を数年かけて整えたのだそう。



「もし暖房を重油燃料でまかなうと、とてもじゃないけれど商売になりません。うちのマンゴーは温泉熱、つまりは屈斜路の自然の賜物です」
農場を案内してくれた陽平さんは、そう話します。とはいえ、経験ゼロからの挑戦。最初の数年間は失敗の連続だったといいます。開花不良、結実後の微妙な温度変化による果実へのダメージ、マンゴー特有の虫の問題。これまで「ありとあらゆる失敗を経験した」とのこと。鹿児島の生産者に教えを乞い、何度もトライ・アンド・エラーを繰り返し、弟子屈町産マンゴー「摩周湖の夕日」が誕生しました。





1年目の苗木。マンゴーは、地植えすると水を欲して根を伸ばしすぎるため、ポット栽培が適しているといわれる。



数年前から雲丹や北寄貝の殻、昆布の粉を土に与え始め、マンゴーの食味が劇的に良くなったという。海の幸の副産物が存分に使えるのも、大きな地の利だ。



「マンゴーは2年で3回の収穫が可能。ただ、開花時の気温が20度前後と冷涼でなければならないので、南国では年に一度しか収穫ができないんです。ここ弟子屈は、真夏も冷涼なので花が咲く。8月に開花したマンゴーは、真冬の12月から1月に完熟するんです」

完熟した果実の凝縮感がありながら、えぐみはなくどこかさっぱりとした味わい。極寒の地で育まれる南国フルーツは、北海道の農業の新たな可能性を示しているのです。



Data

◎ 両国食堂
北海道川上郡弟子屈町中央2-9-6
☎ 015-482-3064
営業時間:11:00~18:00 /不定休

◎ 民芸喫茶 ポロンノ
北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4-7-8
☎ 015-467-2159
営業時間:(夏期5-10月)12:00-22:00 (冬期11-4月)12:30-21:00
https://www.poronno.com/
http://www.facebook.com/Ainuryouriporonno

◎ 弟子屈町ブドウ・ブドウ酒研究会
https://www.facebook.com/ebitan.2014.teshikaga/

◎ ファームピープル
北海道川上郡弟子屈町字鐺別原野41線西32-1
https://sites.google.com/site/mangofarmpeople/







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