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PEOPLE / クリエイター・インタビュー

リオネル・ベカシェフが写真で訴える“生命の循環”「TRANSVERSALITÉ 生命縦断」

2019.10.01






東京・銀座のレストラン「ESqUISSE」のリオネル・ベカシェフによる写真展「TRANSVERSALITÉ 生命縦断」が2019年12月22日まで開催中だ。フランス料理のシェフとして日々調理する中で、“生命をいただく”という側面に着目し、9カ月にわたって厨房で写真を撮り続けた。料理人が料理ではなく写真という手段によって試みた表現は、食べるという行為の裏側を力強く浮かび上がらせている。


料理人の仕事の光と闇。


「闇の部分を切り取った」とリオネルシェフは言う。 「レストランの料理はテーブルで輝く。甘美とか優美といった言葉で表現される華やかな世界です。反面、厨房で行われるのは、生き物の生命を奪うという、ある意味、残酷な行為です。つまり、料理人という職業には、光と闇、対照的な2つの側面がある。ESqUISSEでは通常、後者を見せることはありません。今回はあえて闇の部分を切り取って見せた」

食材がすべて“生き物=生命”であることは誰もが理解している。しかし、「料理」という言葉が当てはめられた時点で、切ることも焼くことも、明るく前向きで健康的な活動になる。殺しているという感覚、残酷という意識は欠落していく。が、実のところ、生命を奪っている事実に変わりはない。リオネルさんはそんな表裏一体の裏側に光を当てた。

「テーブルやお膳で自分の前に置かれた箸は、自然界と人間界の境界を示すと言われます。箸を手に取って、私たちは自然界の生命をいただく。生き物の生命を自分の体内に取り込んで生き永らえるわけです。『いただきます』とは“生命の循環”を意味する言葉。その事実をリオネルシェフは料理人の視点で表現した」と語るのは、会場となった「ESPACE KUU 空」のキュレーター、太田菜穂子さんだ。
リオネルシェフは、「写真を撮っていて、料理とは残酷な行為であると再認識し、それを料理人として伝えるべき責任があると思った。責任を感じていっそう撮ることに夢中になった」と言う。
太田さんは、キュレーターステートメントの中で、「料理人の視界から見つめたさまざまな生命の持つ神々しいまでの美しさと複雑な構造を、ベカが日々格闘する厨房を舞台に、彼自身の優しくも鋭い眼差しの下で辿ってゆこうと思います」と記している。


生命を宿すがゆえの美しさ。


卵、ニンジン、ニンニク、タケノコ、鯛の頭、豚の頭……。
リオネルシェフの写真が映し出すのは、自然の神秘と言っていい。卵はなぜこうも完璧なフォルムなのか? ウズラの卵の殻の模様にひとつとして同じものがないことにも圧倒されるし、ニンニクの外皮の薄紙のような繊細さたるや! 鴨の羽根の豪華さは美術品にも匹敵するほど。すべては生命を宿すがゆえの美しさだが、しかし、これらが客前に出ることはない。卵の殻は割られ、ニンニクの外皮は剥かれ、鴨の羽根はむしられて、姿を消す。
「厨房に届いてくる様々な動植物を見ていて、彼らはどうやって生きているのか、どのように生かされているのか、と思いを馳せた。そして、自然が作り出した造形の美しさに心が震え、彼らによって構成される地球とはどれほど美しいものかと思った」
リオネルシェフの頭の中で、生命を写し出すことは地球の美しさを映し出すことでもあった。


© Lionel Beccat



© Lionel Beccat
ひとつの食材をモノクロとカラー、2つの手法で表現。同じ写真を2つのトーンでプリントしたのではなく、別々に撮影したという。



料理とは残酷なものだからこそ、残酷さを覆い隠す方向へと文化は形づくられてきたのだと気付かされたのが鯛の頭の写真だった。
鯛の頭がバットか何かの中に多数ゴチャッと入れられた様が写っている。いくつもの鯛がギョロギョロと目をむいて生々しい。おそらく日本人であれば撮らないであろうシチュエーション。
「鯛を祝いのシンボルとする日本人にとっては禁じ手」と太田さんは指摘する。
日本人にとって、鯛とは尾頭付きで一尾完結した姿を見せるもの。鯛の様式美というものが存在する。考えてみれば、鰻には鰻の、秋刀魚には秋刀魚の、目刺しには目刺しの様式美があって、動物ほど食卓に上る時に様式美をまとう。それはきっと生命の生々しさ、食べる行為の生々しさを遠ざける人間の文化なのだと、リオネルシェフの写真が示唆する。

リオネルシェフは、コルシカで生まれ、マルセイユで育った。父方の祖母はチュニジア人、母方の祖母はシチリア人。地中海の太陽と海が彼の身体を作った。味覚も嗅覚も触覚も聴覚も地中海に養われた。2006年、東京の「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」シェフとして来日。13年間日本に住み続けるうちに、日本人の感覚がずいぶん染み込んできたというが、それでも民族固有の文化的感覚、暗黙の了解とも言うべき領域の感覚には差異があるのだと、この写真が伝えてくる。

「日本料理のテクニックはすばらしい。魚の捌き方には惚れ惚れする。殺している事実を忘れるほどだ」と彼は言う。確かに活け締めや神経締めで鮮度を保ち、血が流れていたことを忘れさせるほど鮮やかにおろすプロセスは、工芸作家の仕事に近いかもしれない。
だが、それはフランス料理における肉の仕立てでも言える。
「フランス料理のテクニックはすばらしい。ジビエの捌き方には惚れ惚れする。殺している事実を忘れるほどだ」と、そっくり同じ言葉を返せると断言できる。味の追求の行為と美の追求が重なり合うところも近しい。
日本の刺し身が切って盛っただけなのに「お造り」と呼ばれるほど精緻なように、フランスのジビエ料理のシンメトリーな盛り付け(頭も胴も真っ二つに割って開いて盛り、内臓と血のソースを流して、1羽すべてを皿にのせる)はあまりにも造形的でアーティスティック。
それは、リオネルの作品にも表れている。まるで絵のような鴨の写真。そこに生き物の生々しさはなく、日本人にとっての鯛が彼らにとっての鴨であるとわかる。

© Lionel Beccat
あまり見ることのない角度から食材を見ると、今まで気付かなかった造形にはっとさせられる。




厨房から発するもうひとつのメッセージ。

「ESPACE KUU 空」は大正大学内のギャラリースペースで、開設以来、仏教系の大学ならではの「生命とは何か? 今、なぜ、私たちはここにいるのか?」を考える展示を行なっている。
仏教における五戒の第一が「不殺生」であることは精進料理が示す通り。とりわけ禅宗では道元による「典座教訓」という教えがあり、生き物の生命をいただく料理こそ“修行”と捉えられる。
9月15日には、大正大学学長の大塚伸夫氏とリオネルシェフによって、「生命をいただく」をテーマとするトークセッションも行われ、宗教や東西の枠を超えて食べる行為の意味を問うた。

レセプションで自らの作品の説明をするリオネルシェフ。



リオネルシェフは厨房で「2度殺すな」とスタッフに告げるという。
食材は料理になって2度目の生を生きる。料理として2度目の生が輝けば、奪った生命も報われる。けれど、食材の価値を下げるような調理をしたり、皿の上にのることなく廃棄されれば、その生は無駄になる。 「生命を奪う仕事をしている分、その生命を無駄にする仕事はしたくない」
食材とは生命であり、肉も魚も野菜も果物も、そのすべてが生命の塊であり、生命のかけらであると意識した時、なぜ、無駄にしてはいけないかが見えてくる。フードロスが許されないのは、食糧危機がやってくるからではなく、食べ物とは生命であるからだ。

料理人が厨房から外へ出て、社会に働きかけるシーンが増えてきた。料理人の言動は食や農の世界を動かす一助となる。生命を直に扱う仕事であって地球の営みと直結しているからこそ、その言動には説得力がある。
リオネルシェフは外での活動が多いタイプの料理人ではない。が、これらの写真は厨房の中から発する、料理とは異なる手段による社会へのメッセージだ。

レセプションでは「ESqUISSE」によるフィンガーフードがふるまわれた。









TRANSVERSALITÉ 生命縦断
Lionel Beccat


会場 ESPACE KUU 空
大正大学5号館1階
東京都豊島区西巣鴨3-20-1
会期 2019年9月13日(金)~12月22日(日)
開場 10:00~19:00
料金 入場無料

Lionel Beccat(リオネル・ベカ)
1976年、フランス・コルシカ島生まれ。マルセイユで育ち、20 歳を過ぎて料理の世界へ。ミッシェル・トロワグロのブラッスリー「ル・サントラル」、ミシュラン一ツ星「ギィ・ラソゼ」「ペトロシアン」を経て、2002 年から4年半、三ツ星「メゾン・トロワグロ」でセカンドシェフを務める。2006年、東京「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」のオープンに伴い来日、5年半同店のエグゼクティブシェフを務める。2011年、フランス国家農事功労賞シュヴァリエ授勲。2012年、「ESqUISSE」エグゼクティブ シェフ就任。2013~19年、同店はミシュランガイド東京にて二ツ星、2018年にはゴ・エ・ミヨ ジャポン「今年のシェフ賞」を受賞し、2018~19年はゴ・エ・ミヨ ジャポンで5トック。
























































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