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PEOPLE / 寄稿者連載

なぜ「農場」なのか?

目黒浩敬さん連載「アルフィオーレの農場日記」第1回

2016.02.17

ワイナリーを中心としたコミュニティ構想。

12年前の2005年、仙台に1軒の小さなイタリア料理店「AL FIORE」を開店させました。

みんなを魅了させ続ける1輪のお花が、やがてタネをこぼし、いつかもっともっと多くのみんなの心を魅了するようなお花畑になったらいいなと思って、「AL FIORE(花の意)」と名付けたこのお店。
気づけば、とってもたくさんの温かいお客様に支えられ育てられてきました。

そして、お花畑を作るための次のステージへと移るために、2015年9月、レストランを閉店。
「Fattoria AL FIORE」という新たな名前で農園を開きました。
宮城県川崎町という所です。

Fattoria は、イタリア語で農場を意味します。
なぜ 「ファットリア 」という冠を「アルフィオーレ 」にかぶせたのか?

連載:目黒浩敬さん連載





2014年、2015年と植樹祭を開催しているので、僕がぶどう畑を耕していることは、すでにご存じの方も多いと思います。
でも、「この場所でワイナリーを設立することが夢なんです」というわけではないのです。
それでは、私のためにしかならない、私の自己満足にしかなりません。

耕作放棄地と過疎化が同時に進んだ現在の場所を、なんとか、人が集まる場所にできないだろうか?
「ファットリア 」という言葉を付けて、農園にしようとしているのは、そんな思いからなのです。

2011年3月11日 、東日本大震災。





私の生まれ故郷である福島県相馬郡新地町、太平洋に面した、宮城県境の小さな町でやりたかったのが本音です。そのための計画も立てていました。
しかし、震災によって、町の1/3は津波の被害に遭いました。原子力発電所も近い所です。

長年温めてきた思いが、仙台市内を巻き上げる埃と共に、一瞬にして何もかもを奪い去っていってしまったのです。
仙台市内を一望できる所に立って見た風景から、もうしばらくはお店ができないことが一目瞭然でした。
スーパーからはすべての商品がなくなり、みんながパニックに陥り、そして私は雪がちらつく停電の夜、これからどうしようかと車の中で考えていました。

「みんな食べるものがないのだから、とりあえず、私が今持っている食材を駆使して料理を作ろう」
停電のせいで冷蔵庫の食材も保存がききません。すべて使ってしまわなければならない。ならば、冷蔵庫にあるジビエを寄せ集めてカレーを作ろう。幸い、プロパンガスなので、次の日から開栓して使用できる状態でした。
猪、鹿など、熟成をかけていた枝肉をすべて手でミンチにして、カレーを作りました。
ただでは継続できないとわかっていたから、せめて次につながるお金くらいはと、300円でふるまいました。

近所の人たちがたくさん集まり、涙を流しながら食べてくださった記憶は、今も鮮明に覚えています。その時ほど、料理を作れてよかったと強く思ったことはありません。
まもなくニュースも届くようになり、仙台にも食材が出始めてきた頃に、沿岸部の被害の大きさを知りました。

同時に、沿岸部の方々に少しでも温かい料理をふるまいたいと思いました。そこで、つながりのある全国の生産者や同業者に声をかけ、本当にたくさんのご縁といろんな支援をお預かりして、炊き出しをすることができたのです。
のべ10,000食にも達したでしょうか。

記録を残していませんので、正確ではないのですが、半年間でそのくらいだったと記憶しています。
料理人・目黒浩敬として、一番やりがいを感じる出来事でした。

その時、確信に変わったことがあります。
己れの技術や小さなプライドより、もっともっと大切なものがあること。
誰のために料理を作るのかこそ本質であること。

どんなにいい腕があっても、どんなに良い食材が揃っていたとしても、食べ手がいなければ、料理はできませんよね? 料理を作るということは、人を喜ばせる手段にほかならないのです。

もちろん、おいしい料理をプロフェッショナルとして提供するには、たくさんの経験と技術、華やかさ、個性は必要です。
しかし、「誰のために料理を作るのか」という、第一義の要素を決して忘れてはいけないと思うのです。
日頃より私は、どうやったら来店されるお客様が喜んでくださるかな?と、そればかり考えながら過ごしています。
野菜のタネを蒔く時も、料理の仕込みやハムを作る時も・・・・・・。
お客様の笑顔を自然と思い描けるからこその行動なのです。

みんなで集まる、みんなで育てる。





それは、野菜畑。たけしくんの放牧場。ぶどう畑。ワイナリー。パン屋さん。酪農。
志を持ったたくさんの人たちが、いずれこの場所に集うことが、第1の目標です。

今、農園を訪れてくださった方、誰もが「いい場所だね」と口を揃えて言ってくれます。
でも、コミュニティは1業種では成り立ちません。
たくさんの仲間が、それぞれの役割を持って集まり、プロとしての仕事を全うする。
たくさんの訪問者が集い、草の上で昼寝をしたり、ファーマーと話をしたり、農業体験をしたり、子供と遊んだり、歌を歌ったり・・・・・。

自然豊かな環境があって、それに敬意を払って、自然の恵みをいただき、豊かな心を育んでいく。
そんな人たちがたくさん集まってこそ、コミュニティが生まれるのではないでしょうか?
農園を耕すのは、私やスタッフのような農家だけでないほうがいい。
みんなで作っていきたいのです。
みんなが集まれる、この空間をみんなの手で。

だから、作業小屋も自分達で作りました。
ぶどう棚の杭も、ステンレスじゃなく、木を使いました。
この空間には、木がよく似合うから。

アルフィオーレの名前は、もう私、目黒浩敬だけのものではありません。
「ファットリア アルフィオーレ」というこの場所を、みんなで共有していきませんか?
ここに来て、野菜を作りたければ、趣味でも、プロとしてでも、お貸しします。

バーベキューをしたければ、天気のいい日に自由に使ってください。
作業を手伝いたければ、いつでもいらしてください。
イベントしたければ、いつでも使ってください。
昼寝をしたければ、小屋の縁側を使ってください。
みんなの心が豊かになることであれば、何も問いません。

「Growers Club Members」の名前でファットリア アルフィオーレメンバーを募ったところ、たくさんのアクセスがありました。結局、みんなが求めても、誰もやらなければ、希望は叶わないのです。
「大変な仕事だけ手伝ってほしい」なんて、シェアできないような、つまらないお誘いでは、ありません。
何年もかけて、みんなでこの空間を「農園」として育てていきたい。
もちろん、作業は大変ですよ。
きちんとした、丁寧な手仕事ですから。
でも、その分だけ、喜びを大勢の人達でシェアしたいと思います。
「ここに集まること」、ただそれだけが目的でもかまいません。
大変な手仕事も、バーベキューも、草刈りも、みんなまとめて楽しみましょう。
心から楽しんで、子供のように疲れて、みんなでその価値を共有して。

そんな人たちみんなのために、アルフィオーレという私個人のお店を辞めて、みんなのものにしたかったのです。
理想論かもしれません。
でも、やれるし、やります!!
なぜなら、誰にとってもいいことだし、対等だからです。

目黒浩敬(めぐろ・ひろたか)
1978年福島県生まれ。教師を目指して大学に入るが、アルバイトで料理に目覚め、飲食店などで調理の基本を身に付ける。2004年渡伊。05年、仙台市青葉区に「アルフィオーレ」を開店するも、いったん閉めて、2007年現在地に再オープン。自然志向を打ち出した創作イタリアンとして評価を得る。2014年から宮城県川崎町の耕作放棄地にぶどうを植樹。2015年、店を閉め、農場づくりに本格的に取り組み始める。 https://www.facebook.com/hirotaka.meguro



























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