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PEOPLE / 生産者・伴走者

大地からの声――17農場を“人と人との交流の場”に。「Ferme Cadet-Roussel」池田達哉さん(アトリエノマド)

2020.07.17

連載:大地からの声

11年間、長野県佐久市で有機農業を営んだ「アトリエノマド」の池田達哉さんが、家族と共にカナダへ移住したのは2019年4月。ケベック州最大の都市モントリオールから車で40分ほどの距離にあるバイオダイナミック農場「Ferme Cadet-Roussel」で野菜づくりに励んでいます。気候風土もスケールも異なる環境で体験したコロナ禍の中で、池田さんが考えたこととは?



問1 現在の状況

食料を生産するって凄いことだと実感。

モントリオールでは、都市封鎖はなかったものの、外出自粛が敷かれて、学校や飲食店は休業に入りました。営業している食料品店のレジはビニールで遮られ、現金は受け取らずにカード支払いのみに。警官が絶えず見回り、公園でサッカーをしていた人が相手との距離を2m以上空けなかったために罰金を取られるなど、パトロールは厳格でした。

新型コロナウイルスの感染拡大によって引き起こされた人々の行動は、日本と大きくは変わらないと思います。
私たちの作物の主たる販売方法は半年契約のセット売りで、夏の野菜セット(6~11月)、冬の野菜セット(12~5月)を、シーズン2カ月前に受注して前払いしてもらうのですが、例年アナウンスを繰り返すところ、今年はすぐに完売。キャンセル待ちが100人を数えるほど注文が殺到しました。食にさほど関心が高くなかった人たちも、何かを感じ、何かを考えたのではないでしょうか?
卸し先である15軒のレストランへの出荷が止まる一方、農園に付随する直売所では、週末のみの営業にも関わらず、売り上げが2倍に。ステイホームの影響と同時に、前述のような意識の高まりが関係しているのかもしれません。

私自身、「食料をつくるって凄いことだ」とこの仕事の尊さや意義を感じました。食料を作っている安心感は何ものにも代えがたい。戦後、第三次産業が脚光を浴びる時代が続き、第一次産業は重労働で苦労が多いと敬遠されてきましたが、今回、第一次産業の強さを実感したのも事実です。

最後列左から2番目が池田さん。バイオダイナミック農場「Ferme Cadet-Roussel」は、牧草地や森も含めて約30haの敷地と様々な国籍のメンバーから成る。モントリオールから車で40分ほどの距離にあり、環境を守りつつ、都市生活者に良質な野菜を届ける。


問2 気付かされたこと、考えたこと

便利すぎると、生きる力が弱くなる。


ここには、日本の宅配便のような物流システムがありません。私たちが都市部までトラックで運びます。受け渡し場所であるオーガニックショップなど数カ所へ届けると、お客さんが引き取りに来てくれるというシステムです。受け渡し場所では、すばらしい団結力を持ったボランティアチームやお客さんが率先して手伝ってくれて受け渡しが完了します。
自粛期間中、政府の指導で室内が受け渡し場所として使えないため、5℃にも満たない寒空の下、ポリスが見守る中で、野菜の受け渡しが行われました。いつにもましてボランティアやお客さんのおかげで滞りなく終了したのですが、こうした消費者との生の交流が励みになっています。毎回起こる人間ドラマも楽しい。お客さんと直に交流できるひとつのシステムとして日本に持ち帰りたいと、いつもながらに思います。

3密を避けて、寒空の下で野菜の受け渡し。ボランティアやお客さんが率先して働いてくれる。

日本では自粛期間中に宅配便がフル稼働したと聞きます。店は閉まり、人はステイホームという状況下、宅配便やデリバリーが活発になるのはわかる。でも、心配でもあります。便利すぎるのです。
便利さを追求しすぎると、奪われるものも多くなります。とどのつまり生きる力が弱くなる。これ以上、スピードは要らないし、より多くの電力も要らないし、5Gは必要ない、と思う。
こちらは物流が発達していない分、手渡すところまで自分たちでやらなければなりません。労力も時間もかかるけれど、お客さんと協力し合って作業する中で、相手の気持ちや考えを汲み取ることができるし、結び付きが強くなります。

問3 これからの食のあり方について望むこと

農場を“人と人との交流の場”に。


私は農業学校に行かなかった代わりに、現場で経験を積もうと、国内外、有機・慣行問わずいろいろな農場で働きました。2001年にフランスへ渡り、農業体験と交流のNGO「WWOOF(ウーフ)」*のリストをたどりながら各地を回った。ピレネー山脈の麓にある有機野菜農場に1年いたほか、そこを拠点としてワイン用ブドウやキーウイの収穫、ブルターニュにある100haの大農場ではジャガイモの収穫など、農業修業時代は徹底的に現場にこだわりました。

*World-Wide Opportunities on Organic Farms

ピレネーでの経験が私の野菜作りのベースになる一方、もう1軒、私に影響を与えたのがブルゴーニュのバイオダイナミック農場です。景色も野菜も農場主の人柄もすばらしく美しかった。そこで私は「農業とはアートである」との啓示を受けた。畑のデザインや色、発散するエネルギー、すべてが心地良く、こういう作品を作りたいと思ったことが、バイオダイナミック農法への入り口であり、「アトリエノマド」の始まりです。

佐久時代、野菜を使ってくれるシェフたちは作品づくりのパートナーであり、シェフたちには畑に来てもらい、私も店へ食べに行くという関係性を大切にしていました。使い手や食べ手との距離を縮めたいとの思いもあり、就農当初は販売方法をマルシェ中心にと考えました。ピレネーで日曜日に出店していた小さな村のマルシェが、これまた絵に描いたような、理想郷のような空間だったんです。売り手も買い手も様々な国籍で、老若男女が週1回集っては英気を養い、それぞれの場所に戻っていく……。そんな場所が日本にもあればと、まずは自分たちがマルシェで生計をと目論んだ。当時はまだそんなにマルシェが開かれておらず、あちこちへ遠征しました。

ただ、借りた土地で農業を営んでいたため、永続的な場所ではないと思うと、場づくりを突き詰められなかった。アトリエノマドの方向性を定められずにいた時にちょうど立ち退きと娘の誕生が重なり、ならば、人生寄り道しよう、農業そしてバイオダイナミックを学び直そうと海外へ。今の自分がどれだけ通用するのか試したい、そんな思いもありました。
「Ferme Cadet-Roussel」とはネットでの出会いです。「1.レストランとのつながりがある農場、2.世界的なバイオダイナミックファーム」を条件に検索してヒットしたんですね。Noma、アラン・パッサール、ボブ・カナード(シェ・パニースに野菜を納めている農家)のグリーンストリングファームなどにも手紙を書いた。それらの中で「いつから来られる?」という返事をくれたのがここでした。

モントリオール シュタイナ学校8年生の生徒たちと赤栗カボチャ収穫。農場は教育の現場でもある。

私は“農場=文化センター”として捉えています。農場を“人と人との交流の場”にしたい。
そんな私にとって、ここで学ぶものは多い。野菜セットの受け渡しもそうですが、お客さんと農場との間に垣根がないのです。40分ほど時間をかけてやってきては作業を手伝ってくれる人たちがいます。対価を求めるわけでもなく、作業が終われば「じゃあね」と帰っていく。その距離感がいい。

以前、この農場で働いていた友人のエマニュエルが「BACH IN A BARN(納屋の中のバッハ)」というプロジェクトを立ち上げました。音楽と農業、ふたつの道の狭間で悩み、音楽を選んだ彼がコロナを機に、うちの農場の納屋でバッハを演奏してYouTubeで発信した。農場にはそういう可能性もあります。


「モノの流通はローカルに、人の交流はグローバルに」が実践されているこの農場で、まだしばらく働くつもりです。世界中の農家の人々が交流できるようになったらいいなという思いを抱きながら。

池田達哉(いけだ・たつや)
大学卒業後、東京日仏学院(現アンスティチュ・フランセ東京)に住み込みの管理人として勤務。庭仕事を通して土との関わりに目覚め、農業へ。農業修業として、八丈島のフリージア球根収穫バイトを皮切りに、沖縄のキビ刈り、群馬のコンニャクイモ収穫、長野の高原野菜バイト、また、ビオファームまつきなど有機農場への援農にも通う。2001年渡仏、農業体験と交流のNGO「WWOOF(ウーフ)」のリストをたどってフランス各地の有機農場で研修を重ねる。2007年、長野県佐久市で就農。「アトリエノマド」の名称で当時はまだめずらしかった野菜を栽培し、フレンチやイタリアンのシェフたちから高い評価と支持を得る。2019年4月より家族と共にカナダへ。ケベック州モントリオール近郊にあるバイオダイナミック農場「Ferme Cadet-Roussel」で働く。

アトリエノマド
https://www.facebook.com/ateliernomade228
「Ferme Cadet-Roussel」
http://fermecadetroussel.org/
https://www.facebook.com/Ferme.Cadet.Roussel




大地からの声

新型コロナウイルスが教えようとしていること。




「食はつながり」。新型コロナウイルスの感染拡大は、改めて食の循環の大切さを浮き彫りにしています。

作り手-使い手-食べ手のつながりが制限されたり、分断されると、すべての立場の営みが苦境に立たされてしまう。
食材は生きもの。使い手、食べ手へと届かなければ、その生命は生かされない。
料理とは生きる術。その技が食材を生かし、食べ手の心を潤すことを痛感する日々です。
これまで以上に、私たちは、食を「生命の循環」として捉えるようになったと言えるでしょう。

と同時に、「生命の循環の源」である生産現場と生産者という存在の重要性が増しています。
4月1日、国連食糧農業機関(FAO)、世界保健機関(WHO)、関連機関の世界貿易機関(WTO)、3機関のトップが連名で共同声明を出し、「食料品の入手可能性への懸念から輸出制限のうねりが起きて国際市場で食料品不足が起きかねない」との警告を発しました。
というのも、世界有数の穀物生産国であるインドやロシアが「国内の備蓄を増やすため」、小麦や米などの輸出量を制限すると発表したからです。
自給率の低い日本にとっては憂慮すべき事態が予測されます。
それにもまして懸念されるのが途上国。世界80か国で食料援助を行なう国連世界食糧計画(WFP)は「食料の生産国が輸出制限を行えば、輸入に頼る国々に重大な影響を及ぼす」と生産国に輸出制限を行わないよう強く求めています。

第二次世界大戦後に進行した人為的・工業的な食の生産は、食材や食品を生命として捉えにくくしていたように思います。
人間中心の生産活動に対する反省から、地球全体の様々な生命体の営みを持続可能にする生産活動へと眼差しを転じていた矢先、新型コロナウイルスが「自然界の生命活動に所詮人間は適わない」と思い知らせている、そんな気がしてなりません。
これから先、私たちはどんな「生命の輪」を、「食のつながり」を築いていくべきなのか?
一人ひとりが、自分自身の頭で考えていくために、「生命の循環の源」に立つ生産者の方々の、いま現在の思いに耳を傾けたいと思います。

<3つの質問を投げかけています>
問1 現在のお仕事の状況
問2 新型コロナウイルスによって気付かされたこと、考えたこと
問3 これからの私たちの食生活、農林水産業、食材の生産活動に望むことや目指すこと
























































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