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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

佐藤英之さん(さとう・ひでゆき)地産品加工スペシャリスト

第5話「仕事年表」(全5話)

2016.09.01


仕事年表





1974年

・東京に生まれる。

1996年

・大学卒業後、広告代理店に就職。企画営業職に従事する。

1997年

・大学生協に転職。PC、家電担当に。市場調査、仕入れ、販売までを一貫して経験し、流通の仕組みを一通り学ぶ。

2001年

・旅行で訪れた沖縄に強く魅せられ、沖縄県八重山郡西表島に移住。ホテルのフロントマネージャーなどを経験した後、会社を立ち上げ、カヌーのネイチャーガイドなどを手がける。




2005年

・大分県竹田に住む祖母が亡くなり、江戸時代の武家宿であり、明治には郵便電信局を設置するなど、由緒ある歴史的建造物として地域に親しまれてきた実家「喜多屋」の相続を決意する。
・大分県竹田に移住。隣町、長湯温泉の老舗旅館に、企画営業部長として勤務。

2006年

・「喜多屋」が登録有形文化財となる。




・「喜多屋」の文化財修復を開始。


2008年

・10月
「喜多屋」開業。竹田の野菜をドレッシングにした「KaKeVegee(カケベジ)」を製造&販売。(生産量:約4,000個/年)
商品ロゴ、パッケージ作り、充填など製造に関するすべての作業を一人でこなす。「何でこんな手の掛かること考えたんだろう」と自問自答してしまうほど、加工作業に時間をかける。
初めて商品化した時のパッケージ。段階的な改良を経て、現在はキャップやラベルデザインなどが変わっている。




竹田のカボス生産者。手間と愛情を掛けられた野菜を加工して付加価値をつけることで、生産者を応援できる存在になりたい、というのが喜多屋のビジネスモデル。




・福岡の「岩田屋」に常設でラインナップされることが決まり、「岩田屋」定番コレクションに初出店。




2009年





・「明治屋」の都内数店舗での取り扱いがスタート
・豆乳をベースに切干大根、味噌など和素材で作るタルタル「和TaRu(ワタル)」を製造&販売(生産量:約4,000個/年)。
photograph by Tsunenori Yamashita




2010年

・「喜多屋」の修復作業が完了。週末は「カフェ清炉(SEIRO)」として喜多屋を開放。竹田の野菜を使った料理などを提供する(商品開発&販売に注力するため、2012年に一時閉鎖)。

2011年

・初めての助成金、新商品開発・販路開拓支援事業(おおいた食料産業クラスター協議会)の交付を受け、新商品開発に使用。
・大分県産あまおうを使った季節限定のシロップ「Naturop(ナチュロップ)」を製造&販売(生産量:約400個/年)。
・伊勢丹のオンラインショップ“I ONLINE”内、全国おとりよせグルメ、Web物産展“大分特集”で「和TaRu」セットが発売。
・伊勢丹新宿店『第2回チアアップ!ニッポンの“食”展』に初出店。大きな催事での初めてのプロモーション販売で、期待と不安が入り混じる。お客さんの反応が喜びになり、学びに繋がる。
・自然食品店「F&F」での取り扱いが始まる。
・大阪三越伊勢丹、博多阪急デパートなどでの催事に初出店。
・料理通信社主催「第3回全国お宝食材コンテスト」にて、「和TaRu」が選定品となる。
『料理通信』2012年1月号に掲載。




・大分県産どんこ干し椎茸をピクルスに仕立てた「nava na pickles(ナバ・ナ・ピクルス)」を製造&販売(生産量:約600個/年)。

2012年





・出展先を、百貨店の物産展などの催事から地下1F食品売り場へと、シフトチェンジを考え始める。
・大分県地域活動支援事業費補助金(大分県豊肥振興局)の交付を受け、地元生産者らと共に新商品開発や共同研究を行うことができるよう加工場の設備を整える。




・大分県国東市の生産者とのコラボで生まれたオレインリッチひまわりオイル「SUNFLOWER OIL」を製造&販売(生産量:約1,000個/年)。

2013年





・国産野菜のだしで炊き込む「“VEGEE”ご飯のもと」を製造&販売(生産量:約1,000個/年)。
・大分県・奥豊後で古来から親しまれてきた伝統食であり、保存食でもあった焼き米を、和の玄米ミューズリー「yaccome(ヤッコメ)」として商品化。

2014年





・要冷蔵だった「和TaRu」の常温化への変更に伴い、委託製造へ(生産量:約6,000個/年)。
・冷蔵商品「KaKeVegge」も常温化。
・10月にはシンガポールへ輸出、11月には代々木公園で開催される「東京ベジフードフェスタ2014」へ参加。




佐藤英之(さとう・ひでゆき)
1974年、東京生まれ。広告代理店、大学生協での勤務を経て、西表島に移住。ホテル業に就いた後、カヌーのネイチャーガイドの会社を起業する。2005年、大分県竹田で、江戸時代には武家宿、明治以降は郵便電信事業などで町の中心的役割を担ってきた父方の実家「喜多屋」の相続を決意し、移住。農業地域である竹田の魅力を発信するため、地元の食材に付加価値を付けて加工品を製造・販売。竹田の活性化を目指す。

























































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