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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

宮内隼人さん(みやうち・はやと)

フードキュレーター

2020.02.01

フードキュレーターという職業

素材ありき。
その考え方は今、食の世界でいっそう強くなっている。
ならば、素材と向き合うことを専門にしたら、何か提示できるものがあるのではないか?
宮内隼人はそう考えた。
期間限定の野外レストラン「DINING OUT」を企画・運営する株式会社ONESTORYで食材発掘を手掛け、シェフたちのクリエイションの前提となる開拓作業を担う。
「キュレーター」を名乗り、この仕事をひとつの職業として確立させたいと目論む。





text by Sawako Kimijima / photographs by Jiro Ohtani
『料理通信』2017年11月号掲載








開催地が決まると、宮内隼人は数カ月かけて生産者と食材を徹底的に調べ上げ、現地入りして延べ1カ月、実地に見て歩く。風土やストーリーが感じられ、シェフの創作意欲をかきたてる食材リストを作ること。それが宮内のミッションだ。
この仕事をするまで、宮内は料理人だった。大阪「HAJIME」に5年半、その前は東京のフランス料理店やカフェで12年。料理人として働いた経験が、今の宮内の武器である。最近では、椿の葉や松の葉といった地元の人々が食材として認識しない天然素材が使われるケースが少なくない。シェフの求めるクオリティを理解し、シェフ個々人の作風を把握し、彼らのテンションを上げる食材を提示する。宮内のセレクトがシェフたちのクリエイティビティを左右すると言っても過言ではない。

一人よりチームのクオリティ





食材のプロフェッショナルになろうと決めたきっかけは「HAJIME」にある。宮内の人生はそこで大きく旋回した。
元々、宮内は独立を目指していたという。料理の世界に入って12年、修業も仕上げだなというタイミングでたまたまHAJIMEを訪れ、「脳髄を衝かれた」。味もプレゼンテーションも想像だにしないレベル。しかも、どう調理されているのかわからない。完全に打ち砕かれた。独立前に日本料理の修業もしておこうと思っていた心積もりを急遽変更して、宮内はHAJIMEに入る。
「仕上げどころか“ふり出しに戻る”でした。2年間、まるで使い物にならなかった。シェフの要求に応えられなくて」

それでもしぶとく居続けるほうが得るものが大きいと考え、踏ん張った。たとえば、HAJIMEで意識するようになったのが右脳と左脳の使い方だ。「営業が始まれば、考えて動いていては遅れを取る。考えずとも的確に動ける必要がある。“意識の左脳”より“感覚の右脳”がフル回転する状態にあったほうがいい。そのためには技術の鍛錬と同時に、準備を完璧にして何の気掛かりもなく営業に入ることが大事なんです。営業前に左脳全開でヌケモレチェックを慎重に行ない、営業が始まれば右脳全開、目の前で起きている事柄に対して無意識に身体が動く状態をつくるのです」

ハイレベルなアウトプットを経験して、宮内は独立願望が薄らいだという。自分でオムレツを焼くより、自分がシェフになるより、優れたチームの一員として機能するほうが質の高い仕事に関われる。
「グッチのようなブランドって、職人の集合体ですよね。皮職人がいて、テキスタイル職人がいて、タッセル(房)や紐の職人がいて……。チームだから生み出せるクオリティがある。僕も鞄のタッセルでいいと思うようになった」

HAJIMEに入って3年目、宮内は食材調達係を任された。リサーチして、リストにして、シェフにプレゼンする。と、米田から「お前のリストはわくわくしない」と言われる。シェフをその気にさせるリストとは何かを考え始めた頃、米田が徳島県祖谷でのDINING OUTに参加。宮内もスタッフとして米田に付いて祖谷に入った。食材を求めて祖谷の山奥深くに足を踏み入れ、祖谷に伝わる物語や情景を米田が皿の上に描き出し、異業種の専門家と共に唯一無二の体験を生み出すのを見て、宮内は思う。食材調達の専門家としてDINING OUTのチームに加わり、レストラン単体では実現できないアウトプットを生み出したい。

これから求められる役割





今、ONESTORYに籍を置き、「フードキュレーター」を名乗る。キュレーターとは専門知識をもって収集・鑑定・研究・管理を行なう仕事だ。一般には美術館や博物館の学芸員を指すが、宮内はそれを食の世界で位置付けたいと願う。
「現地入りする前に食材情報をネットで最大限検索する」。その上で地元情報を聞き込み加味しながら絞り込んでいく。実際に生産現場を見て食べてセレクトして、シェフへのプレゼン資料を作成。クオリティが高いことはもちろんだが、思わずテンションが上がるような個性的な食材を選ぶことも重要。




2017年10月28日~29日、愛媛県内子町で行われたDINING OUT UCHIKOの準備のため、生産者のもとへ、ラ・シーム高田裕介シェフを案内した時の様子。
「内陸で山がちで傾斜地が多い内子は、柿、栗、ブドウなどの果実が優れている」と宮内。




21世紀に入って、ガストロノミーは食材開拓の時代が続く。「noma」が日本やメキシコに遠征して食文化をフィールドワークしては自国へ持ち帰る様が、かつて欧州各国が世界各地からフォークロアアートを持ち帰り、自国文化に取り入れてきた様を連想させる。今後、キュレーターの名にふさわしい役割は必ずや求められてくるだろう。

数多くの生産現場に立ち会ってきたが、とりわけ広島の猟師・横田幸典の仕事に惚れ込んだ。自然界の生き物と料理人の技術の間を丹念に埋めていく精緻な仕事が、自然の味を生かそうと思えばこそ手を尽くす必要があると教えてくれた。そんなことを伝えるのも自分の仕事なら、歴史や民間伝承を掘り起こして、シェフが料理を発想する糸口を提示するのもまた宮内の仕事。「宮崎では江戸時代の藩体制に沿って食材を整理し、ニセコでは徳吉洋二シェフからの『ニセコの色をください』というオーダーに応えて食材を色分けして提示した」。
「キャンピングカーで暮らしたい(笑)」と宮内。食材とその背景を知るべく、もっと土地の奥深くへ、人の懐深くへとの思いは尽きない。 


宮内隼人(みやうち・はやと)
1977年東京都生まれ。18歳の時、海外経験のために訪れたカナダの日本料理店でのアルバイトで料理に目覚める。半年後帰国し、居酒屋で働きながら調理師免許を取得。系列のフランス料理店に異動。その後都内のカフェで働いた後、2001年から3年間「ラ・ビュット・ボワゼ」で本格的なフランス料理に触れる。株式会社HUGEの「ダズル」の立ち上げを手伝うなどした後に、2010年「HAJIME」に入り、5年半の経験を積む。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2015年より現職。


◎ ONESTORY
http://www.onestory-media.jp/



























































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