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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

“器”に暮らしを合わせ直す。

漆の伝道師 貝沼航

2023.05.25

“器”に暮らしを合わせ直す。漆の伝道師 貝沼航
text by Noriko Horikoshi / photographs by Hide Urabe
漆、存続の危機

漆の器は日本人が縄文時代から使ってきた暮らしの道具。だが自分も含め、果たしてどれだけの日本人が漆のことを知っているだろうか。殊に国産の天然木と漆を使い、職人たちのたくさんの手間ひまをかけて作られる本物の漆器となると、その存続は危機に瀕している。

そんな非常事態に“待った”をかけるべく、日本有数の漆器産地のひとつ、福島の会津で新事業を立ち上げた若武者がいる。貝沼航さんが、その人。会社名は"漆とロック"という。その心は!?と間髪入れずに聞きたくなるインパクト抜群のネーミングだが、種明かしの前に、まずは活動内容の紹介から話を進めよう。


"うるしスイッチ"をオンにする

事業の要をなす柱は2本。地元会津の漆器工房をめぐる産地ツアーと、自社開発による新しい漆器の販売だ。

ツアーでは自らガイドに立ち、まず漆の木の植林地を、次に木地師、塗師、蒔絵師などの工房を回りながら、工程を詳しく解説する。職人たちとの会話の時間も、たっぷり取る。かつて漆器について無知だった自分自身が、工房での体験と対話を通じて漆に開眼した経緯があるからだ。

「漆器は外見からだけでは良さが見えにくく、高価で近寄りがたいイメージを持っている人も多い。でも、器の裏側にある“手間ひま”のプロセスを知ると、ぐっと距離が近づく。一気に面白くなる。メンテナンスしながら長く使える楽しさがあり、だからこそ高くても価値があることを、実感として理解するようになるんです。側で見ていてわかりますね。あ、この人は今“うるしスイッチ”が入ったな、って(笑)」

産地ツアーが“知”のスイッチであるなら、自社プロデュースによる漆器「めぐる」は、“感”のスイッチというべきだろう。一汁一菜をテーマにデザインされたという、外連味(けれんみ)のない、すがすがしい美しさの三つ組の器。1年半にわたる商品開発は、暗闇での体験型ワークショップを運営する団体「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下DID)で案内を務める視覚に障がいのある女性たちとセッションを重ねながら進められた。なぜ、DIDだったのか。漆ならではの“気持ちよさ”を極めた製品にしたいと考えたからだ。

確かに、漆器には他の器以上に、五感に訴えるテクスチャーがある。たとえば、手にしたときの軽やかさと温もり。柔らかく、ひたっと添ってくるような口当たり。耳障りな音が立たない心地よさ。

「伝統工芸うんぬんの前に、使ってシンプルに気持ちいい器であること。そこに、漆器が立ち返るべき原点があると思う。じゃあ、どうやって形に落とし込むのか。“気持ちよさ”のプロフェッショナルである彼女たちに聞くのが、一番だと思いました」

誰にもわかりやすく、面白く、漆の魅力を伝えていくこと。それが自分のミッションだと考えている。

漆器「めぐる」には、拭き漆と呼ばれる技法で仕上げたバージョンも。下地をせずに木地に透明の漆を直接摺り込むため、木目を生かしたナチュラルな風合が備わる。

漆器「めぐる」には、拭き漆と呼ばれる技法で仕上げたバージョンも。下地をせずに木地に透明の漆を直接摺り込むため、木目を生かしたナチュラルな風合が備わる。

漆器の工程は大きく分けて、木地、下地、漆塗り、加飾の4つ。貝沼さんは常々「木地は骨、下地は筋肉、漆は皮膚」と説明する。土台の木地づくりだけで数年を費やすことも。

漆器の工程は大きく分けて、木地、下地、漆塗り、加飾の4つ。貝沼さんは常々「木地は骨、下地は筋肉、漆は皮膚」と説明する。土台の木地づくりだけで数年を費やすことも。

「めぐる」のデザインは、シャープな造形の「水平」と、ほっこり温かみのある「日月」の2タイプ。飯椀、汁椀、菜盛り椀を一揃いとする入れ子式の器だが、単品でも購入できる。

「めぐる」のデザインは、シャープな造形の「水平」と、ほっこり温かみのある「日月」の2タイプ。飯椀、汁椀、菜盛り椀を一揃いとする入れ子式の器だが、単品でも購入できる。


震災が教えてくれたこと

今は「漆の伝道師」を目指している貝沼さんだが、迷走の時期がなかったわけでもない。コンサルタントとして独り立ちしたばかりの頃は、美大生とのコラボや現代風のデザインなど、“伝統工芸あるある”のキャッチーな話題性に傾きがちだった。方向転換の一つのきっかけになったのは、東日本大震災である。

「身近に原発事故が起き、自分たちの価値感がガラリと変わった。安く、早く、便利な暮らしの、なんともろいことか。次の社会のあり方を考え直すタイミングに自分はいるのだと、はっきりと自覚しました」

哲学する時間が増えるにつれ、漆に対する向き合い方も変化し、深化してゆく。大量消費社会のアンチテーゼとして、漆器が持つ価値と潜在力の大きさに、改めて気付かされたのだ。

「それまでは、現代の生活に合わせた漆のデザインを提案してきたけれど、むしろ逆だな、と。漆器を通して今の暮らし方を少し整え直していく方が時代が潜在的に求めている本質的なことではないか」

貝沼さんは全国各地に足を運び、飲食店や料理人、カフェなどと連携して、食と器のイベントを開催している。初心者でも漆器のことを面白く理解できるトークと実際に「めぐる」の器を使った食体験が人気だ。

そういえば、種明かしを忘れていた。漆とロック、その心は?「大量消費社会に物申すロック魂。衰退産業といわれても、信念をもって仕事に向かい続ける漆職人たち。どちらも、時代にのまれず、いいものを残していこうとする反骨精神で一致しているから」

貝沼さんの“うるしスイッチ”も入りっぱなし。オフになる時はたぶん永遠に来ない。

漆の魅力を広く伝えるため、誰にでもわかりやすい説明、プレゼンテーションを工夫している。最近は漆 の森の再生活動にも参画。講演やイベントで全国を周る機会も増えている。


◎漆とロック株式会社
http://urushirocks.com/

(雑誌『料理通信』2017年8月号掲載)

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