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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

石井英史さんが語る造り手の肖像

2018.01.22

石井英史さん

photograph by Masahiro Goda

「ブレッサン」フルヴィオ・ブレッサン(右端)

ブレッサンのワインは、とっつきにくい。静かで、でもとても強くて、ちょっとわかりにくい。
本人に会ってみると、熊のような見た目。それとは裏腹に、優しく、繊細で、よく観察して、とても人に気を遣う。家業を継ぐ前に就いていた仕事は、小児がんの末期患者さんたちのケア。当時の体験から、「神なんていない」と言い放つ。
「工業的なワイナリーより、エセ自然派の方が、タチが悪い」。流行に左右され、儲けに走り、搾取し、搾取される、つぎはぎだらけのワインだから。
一本一本手作業で貼るラベルは、ちょっと曲がっていたりする。ボトル一本一本が、ユニークな生き物なんだと言う。
「子どもと同じですね」と言うと、笑って、すぐ真面目な顔になって、「そうだ」と答える。
「小さい時から、もしくは生まれた時から病気で、誰よりも生きるのにまっすぐで、一所懸命な子供たちと同じように、このワインたちも、畑で病気になったり、虫や鳥にやられたブドウたちも、一所懸命なんですね」と言うと、涙を流した。
だから、彼のワインは、静かで強い、祈りのようなワインなんだと思う。


「ボー・ペイサージュ」岡本英史(右から2番目)

八ヶ岳南麓の津金、標高800mほどの畑で、岡本英史によって、なるべく化学農薬や化学肥料に頼らずに栽培されたブドウたち。そのブドウや畑、土地に生息する微生物による自然発酵を促し、亜硫酸も極力添加せず、できる限り人為的な関与を排した方法で、彼のワインは造られる。
師である麻井宇介氏に「自分の中の教科書を捨てなさい」と言われ、「常識」と考えられていることを捨て続け、自らの体と頭で感じ、考え続けて、造り続けられるワインたち。
「風林火山」のそれぞれをフランス語にした銘をつけた赤ワインやピノ・ノワール、今はもうない畑で造られていた、「雲水」の名を冠したソービニョン・ブランやシュナン・ブラン、そして圧巻のシャルドネ。
極めてナチュラルではあるが、破綻した香りや味わいを感じさせることは稀で、ほとんどの人が、素直においしいと感じることの多いワインだと思う。
変化し続ける自然を、その一部だけ人の都合で切り取るのを良しとせず、同じ瞬間は一つとしてない自然そのものとして、常に変化し続けるものとして、ワインを捉え、造る。
初めて飲んだ場合、日本のワインと言い当てることは困難だが、一度味わえば、香りをひと嗅ぎしただけで、ボー・ペイサージュのワインと判断しうる、美しく、人間的で、感動的なワイン。


「クリスティアン・チダ」クリスティアン・チダ(右から3番目)

オーストリア東部、ハンガリー国境付近の造り手。 ウィーンでグラフィックデザイナーをやっていたが、2007年に帰郷して家業を継ぐ4代目、40歳前後。 
伝統の上にあぐらをかいて自分で考えることをしないことを嫌う。写真のワインの名はまさに「ノン・トラディション」。 
なぜそうやるのか、なぜやらないのか、どうしたらいいかを、根本的なところから問う(radicalize)姿勢はボー・ペイサージュの岡本さんに似ているように思う。 一例として、世界的に有名な野鳥保護区域のこの地方では、ブドウなどを鳥害から守るために空砲を使うのが一般的だが、クリスティアンはそれを嫌い、猛禽類が止まれる高い「止まり木」を畑の中にいくつか設え、鷹や鷲に睨みを効かせてもらうことで小鳥に対策する。 
植樹方法、植密度、仕立て方、剪定、あらゆる場面で「アンチ伝統」的な考え方をする(全部否定するわけではなく、自動的にそれを選択することを嫌う)が、基本姿勢は、「レッセ・フェール(管理しない、自由放任、あるがままに)」。 

「カンティーナ・ジャルディーノ」アントニオ・グルットラ(左から3番目)

南イタリア、カンパーニア州のナチュラルワインの生産者の中ではめずらしく、自分で畑をほとんど持っていない造り手。
元々、この地方の大手ワイナリーに勤めていたアントニオ・グルットラは、ブドウ買い付けの際に、古くから続く農家が、生産性や企業合理性、国際的な流行を理由に、樹齢の高い地品種を引き抜いてカベルネやシャルドネに植え替えていくのを目の当たりにして強い疑問を感じた。
そこで、彼は仲間と共に出資して醸造チームを作る。農家に、高樹齢の地品種を残して、できれば有機的に栽培してもらうように依頼かつ指導し、彼らのブドウは大手ワイナリーより高く買い取ることを約束。農家が「自分でワインを造りたい」と思うようになったら、指導もする。でき上がったワインには名前をつけて、その土地の若いアーティスト達と一緒に飲み、イメージを分かち合って、彼らにラベルを作成してもらっている。
好奇心旺盛で、毎年実験的な醸造も行い、長期間のマセラシオン、ギリシャ時代からこの地方で使われていたと考えられる小型のアンフォラ(素焼きの壷)での発酵、亜硫酸無添加など、古いことと新しいことを、ダイナミックに使い分ける。

彼のワイン造りを見ていて、何が「伝統」なのだろう、と思う。お祖父ちゃんは30年前こうやっていた、戦前はこうだった、100年前は、1000年前は・・・・。どこの部分が「伝統」なのか? 近代化で断ち切られてしまった遥か向こうの過去は、伝統ではないのか。 そんなことを考えさせられる。


「ポデーレ・イル・サント」エウジェニオ・バルビエリ(左から2番目)

エウジェニオは、エンジニアとして比較的リッチな都会的生活を送っていた(出張で来日した時には、銀座の高層ビルレストランで食事したという)が、ある時から、彼の祖父が住んでいた田舎の家に強く興味を持ち、奥さんに無理を言って(子供が2人いるにもかかわらず)仕事を辞め、移住。鶏や牛や、飼料となる穀物や野菜、サラミ(実は違法らしい)などを作り、ブドウ畑を持ち、そしてワインを造っている。

ワインは、今まで僕が見た中で最も「粗野な」造り方をしていた。家の外に2台の小さなセメントタンクがあって、昔使っていたのかなと思ったら、まさにその中にワインが入っていた。中蓋の木の板には、カビが生えていたりもする。
「エノログ(醸造技術者)が見たら卒倒しちゃうだろうね」と言って笑う。しかし、当然、ワインにそんな気配は微塵もない。力強く、野性的だが、透明感のある味わい。誰のワインに似ているかと聞かれたとしたら、ロレンツォ・コリーノ博士のワインに似ている、と答えると思う。

「僕は、僕がいいと思うことを、そして僕にできることを、できる範囲でやる。だから、今後、ヒサト(インポーターのヴィナイオータ 太田久人社長)や他のみんながおいしいと思わないワインを造るかもしれない。それが自分のやれること、やりたいことだと思う」と言う若いエウジェニオに対し、我が意を得たり、という満面の笑みの太田社長。「それでいいんだよ~!それがいいんだよ~!」。

飼っている牛は、斜面で育つ赤牛、「生産性が低い」ために絶滅しかけた種だ。地元の農家や獣医と協力して、数十頭まで減ったのを300頭以上にまで数を増やした。

僕らが訪ねた2012年には、3人目の子供が産まれていた。
その子を抱えて畑を案内してくれた時、言っていたこと。 
「生活するのは大変で、妻にはとても苦労をかけてしまっている。 でも、自分は世界で一番幸せな男だと思っている」
何にもないように見える所で、大事なものをすべて手にしているようなエウジェニオ。家族と、大地と、食べるもの飲むものを育て、造り、日々を淡々と着々と営む彼のその言葉には、強い覚悟と深い肯定がある。

「金井醸造場」金井一郎、祐子(左端)

現在の日本のワイナリーの多くが、自分で選んだ土地と畑でブドウを栽培し、ワインを造っているのに対し、金井さんは100年以上も代々続く家の、万力という土地で、3代目として家業を継いで、自分の考え、自分のやり方でブドウを育て、ワインを造っている。
自分で土地を選べないことについては「宿命だから」と言う。
子供の頃に遊んだ土地、両親に連れられて行った畑を、未来につなげていくために、ワインとして表現する。その土地、風土がより反映されるように、化学農薬などを使用せず、できるだけ自然な農法を志向する。本人はメカニックマニアなのに「ブドウや虫が嫌がるから」と、草刈機を使わない。
スギナやイラクサを煎じたものを畑に散布することもある。面白いのは、「それも農薬だ」と考えているところ。農作業のための薬だから、金井さんにとってはれっきとした農薬なのだという。
使ったものに関しては、素人が聞いてもとてもじゃないが理解できない細かい数値まで、教えてくれる。
そんなふうに、包み隠さず、人に接し、ワインに接し、ブドウに接しているように見える。それを金井さんは、「ブドウを育てることは、ブドウと会話すること」と言う。


「ドメーヌ アツシ スズキ」鈴木淳之(あつし)(手にしているボトル)

鈴木淳之さんに会いに行って強く感じたのは、共感と憧れだ。
北海道で生まれた淳之さんは、余市の曽我貴彦さんのワイナリー「ドメーヌ タカヒコ」で研修し、2014年、奥様の友恵さんと独立。2015年に醸造設備が整って、本格的なスタートを切った。ドメーヌ タカヒコから引き継いだヨイチロゼ、友恵さんの名を冠したトモブラン(うさぎラベル)、自らの名のアッチルージュ(亀ラベル)など、ワインはどれも優しく柔らかく、クリーンで明るく、そしてそれぞれ際立った個性を持っている。

畑に行って感じたのは、何だかずっとそこにいたくなるような、ここで仕事をして、ここで生きたいと思わせる場所だということ。いろいろな人の畑に行ったが、自分でも畑をやりたいと思ったことはおそらく一度もなかった(そんな情熱は自分にはとてもじゃないけどない、と思ったことはある)。でも、淳之さんの畑に立つと、こういう仕事(や生き方)がしたい(かも!)、と思ってしまう。
なぜだろう……。
畑に立った第一印象は、スロヴェニアのヴァルテル・ムレチニックさんの畑に似ているなあ、というものだった。それは、ちょっとした傾斜の感じだったり、日当たりだったり、見晴らしの良さだったりするし、穏やかさや、また同時にある厳しさだったりもした。そんな印象を伝えたら、「ムレチニック、いいワインですよね。彼のマセラシオン(果皮ごとの発酵)したレブーラ(イタリアではリボッラ)なんか、すごくおいしくて、その必然性がよくわかる」「でも最近、必然性のないワインが増えている気がする」などという話になった。
必然性。
長い年月をかけて、そこでなければ生まれなかったであろう、そして育たなかった、残らなかったであろうもの、根付いてきたもの、伝統、歴史、文化、土着、背景、存在理由……。

鈴木さんの造るトモブランは、貴腐の混ざったブドウ(ミュラーやケルナー)を多く使う。貴腐とは、ブドウの果皮がボトリティス・シネレアという菌に感染することによって糖度が高まり、芳香を帯びる現象だ。感染するタイミングが早ければ、「灰色かび病」と呼ばれ、基本的には醸造には使えないと言っていい。
鈴木さんの畑は、ブドウが「貴腐」になりやすい畑だという。訪ねた9月には、実際にすでに何割かのブドウが貴腐化していた。そのブドウから、すっきり爽やかな白ワインは造れない。じゃあ、どうするのか?
造られたトモブランは、友恵さんが好きなアルザスのとあるワインのように、アルコール度数の高い、ややヘビーで少し甘味の残る、だがとても香り高く、非常に奥行きのある味わいのワインになった。当然、余市に「昔から」伝わるワインとは別のものだ。だけど、これはこの畑から淳之さんと友恵さんのワインとして生まれた必然性の結果じゃないだろうか。

訪問時、畑でもセラーでも、ブドウの話やワインの話以外に、社会問題や政治や、人生などいろいろな話をした。淳之さんたちと同じく北海道でブドウとワインを造るブルース・ガットラヴさんの本に、自然農法を提唱した福岡正信さんの言葉が引いてあった。
「農業をやるのは、いい人間になるためだ」
僕も、接客業を始めたのは、いい人間になるための訓練や実践の場だ、と考えたからだった。
社会のことや政治のこと、世の中のこと、普段のちょっとした生活のこと、疑問、良かった点、改善したい点などを、一つ一つゆっくり丁寧に考えながら、自分の活動範囲でできることを、一歩一歩着実にやっていこうとする。そういうことを、鈴木さんは畑での作業から「自然と共に」「自然に」やろうとして、ワインという形で発信している。
ブドウを育てることや、ワインを造ることが、ごく普通の日常生活にしっかり結びついている感じがちょっといいなと感じた。自分の日常生活と仕事が、それぞれ強く結びついて、理想や実践につながっているということに、強く共感し、そのすばらしい場である彼らの畑は、ちょっと羨ましいなあ、と思う。



祖餐
神奈川県鎌倉市御成町2-9
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平日17:00~22:00LO
土曜14:00~22:00LO
日曜14:00~20:00LO
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鎌倉駅から徒歩2分

石井英史さん(いしい・ひでふみ)  鎌倉「祖餐(そさん)」店主 はコチラ

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