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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

ワインの良き差し出し手

サービスマン 永島 農

2024.11.28

text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda
(写真左)Barolo riserva Monfortino 1974 / Giacomo Conterno 「このワインでしか表現できない圧倒的な世界(酸、エキス)があります。現在と未来の人間にこれほどアジャストできる古典は “偉大”と表現して差し支えないと思います。イタリア赤ワインの金字塔」
(写真右)vitovska 1997 / Paolo vodopivec「膨大なミネラルと集中力のある味わいにも関わらず、柔らかく丸い味わいが混在する衝撃のデビュー作。 近年のワインは懐かしい未来の味。現在と未来のイタリアのスタンダード」(共に永島によるコメント)

2017年4月9日、「フェリチタ」が閉店した。優れたリストランテの数少ない1軒が消えゆく知らせは、業界に少なからぬ動揺を与えた。と同時に、支配人を務めていた永島農の身の振り方に関心が集まった。
永島は28歳から43歳にわたる15年間、フェリチタに在籍し、的確なワイン選択眼とプレゼンテーション力で高い評価を得た。そのワインの捉え方は大局的にして同時代的。何よりも思索的で、ワインに潜む多様な側面を浮かび上がらせる。


1974年、東京都生まれ。高校時代からイタリア料理店でアルバイトをする。95年、六本木「サバティーニ」でサービスマンとして本格的に働き始める。97年、麹町「ラ・スカーラ」に入り、研鑽を積む一方で、「ヴィーニ・ディ・アライ」などでもイタリアワインの知識を深める。99年からは代官山「キアッケレ」。02年、表参道「フェリチタ」へ。閉店まで支配人を務める。17年9月に四谷に紹介制のワインバー「HIBANA」をオープン。24年、六本木に移転。専門のイタリア以外にも世界各地のワインや自然派ワインに通暁。


真っ当なワインを正しく届ける

「自分にできることって何だろう? フェリチタがクローズしてから、ずっと考えていました。思い至ったのが、人にどんなふうに酒を差し出すか、それはもしかしたら他人よりできる部分があるかもしれない、ということでした」

永島はDJに喩えて説明する。いまや手に入らない音楽なんてない時代。あらゆるアーティストの演奏をなんらかの形で聴くことができる。けれど、曲をかけるシチュエーションや順番を誤れば、どんなにいい曲も瞬時に雑音になりかねない。ワインも一緒だ。サーブするシチュエーションや順番を間違えれば、真価は発揮されない。

「良き差し出し手になりたい」と永島。真価を発揮させる差し出し手になりたい。そのためには「真っ当なワインを正しく届けること」。それが永島の目指す姿だ。

人間がコントロールしないワイン

真っ当なワインとは何か? 永島いわく、「ちゃんと発酵させたワインですね」
あまりにも当たり前に聞こえるが、この言葉が指すところを丁寧に手繰り寄せると、彼の見ているものが浮かび上がる。

「ワインとは土地と年を表現する飲み物です。ラベルには土地と年が表記される。ならば、土地と年がボトルに詰まってなければいけない。そのためには、ブドウの実の皮に付着している野生酵母で醸すことが大切です。その酵母の働きを人間が制御することなく、彼らに仕事をさせ切るのです」

それが永島の求めるワイン像だ。皮に付着している酵母を使う以上、当然、農薬は少なくなるなど、健全なブドウを得るための畑との向き合い方が必須となる。「ちゃんと発酵させたワインを継続的に生産していこうと思うと、自ずとナチュラルになります」

代表例として挙げるのが、イタリアのヴォドピーヴェッツの造るヴィトフスカ。スロベニアとの国境近くにあるカルソというマイナー産地で、ヴィトフスカというマイナー品種で造られる。

「初めて飲んだ時は『なんだ、これ?』という印象でした。飲んだことのない味わいで」。しかし、身体は明らかに喜んでいる。その不思議な感覚にショックを受けた。
「僕にとって、大事件でした」

ワインがグローバルに流通する商品であり、しかも永島のキャリアをもってすれば、わかるワインのほうが多い。ボルドーの典型だな、カリフォルニアらしいな。品種や天候も推測できるし、造り手の個性も理解できる。でも、このワインは何度飲んでも「わかった」と思えなかった。「人間がつくり上げたキャラクターはわかりやすいし、酸度やpHなどは数値化できる。そういうことではないのでしょう」

なぜ、わからないワインになるのか?「ヴォドピーヴェッツがコントロールすることを一切せず、勇気を持って酵母に任せているからだと思います」

液体の中にわからなさを内包できることが凄いと永島は思う。わからないけれど突き動かされる、おいしいを超えて人間のエッセンシャルな部分を刺激してくる。ヒエラルキーから外れた土地で、こんなワインが生み出されることが永島はうれしい。

何のためのワインか

ワインには波があると人は思っている。当たり年という言葉がいい例だ。「いや、波があるのは人間のほうですよ」と永島。「人の味覚は、体調や心理状態、環境によって変わる。食歴など文化的要因によっても変わる。極めて相対的なものなんです」

つまり、おいしさとは定まらないもの、不確かなもの。と同時に、生き物はみな生命維持に必要な成分をプラスに受け止めるようにできている。たとえぱ、糖質、タンパク質、脂質など。ワインであれば、果実味の強いタイプへなびきがちだ。

「おいしさって何だろうって、思うのです。だからこそ、ヴォドピーヴェッツのように、
おいしさ以上の何かを目指しているワインに惹かれるのだと思います」

長い歴史の中でいつしかワインは嗜好品になり、投機の対象にもなった。しかし、元をたどれば、生きていくために必要だったからワインはあるのではないか?

「イタリアの至る所に緑色の海のようなブドウ畑が存在するのを見て思いました。これは水なのではないか? 日本は水が潤沢だからこんな必要はなかったけれど、もし、水が潤沢でなかったら、ブドウを栽培してワインにすることが、保存可能な水分を得る方法だったのではないかって」

その水は栄養があって、消毒もできる。共に飲めば、人と人をつなぐことができて、人と神をもつなぐ。これほど人間にエネルギーを与えてくれる水もない。

「最近おいしかったワインは何ですかって聞かれて、一人で飲んだロマネ・コンティを挙げる人なんていないですよね(笑)」

何のためにワインはあるのか。そこを見通しながら、永島はサービスマン人生の後半戦に挑む。

木製ハンドルのラギオール、水牛の角製のライオール。前者は20年来使い込んできたため、スクリューが不安定になっているが、自分のクセが染み込んでいて、手に馴染む。デリケートに扱う必要がある古いワインはこちらで開ける。

◎ HIBANA
東京都港区六本木6-1-7大沢ビル6F
☎050-1808-7540
instagram:@hibana_roppongi

(雑誌『料理通信』2017年8月号掲載)

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