畑の思い出を瓶に詰めて持ち帰る
農と食のコーディネーター 西村千恵(にしむら・ちえ)さん
2022.03.28
畑で過ごした時間を瓶に詰めて持って帰る。そんな素敵な塾がある。畑作り、野菜栽培、収穫、加工(瓶詰め)までをフィールドワークで体験できるスクール「ファーム・キャニング」だ。キャニングとは直訳すると「瓶詰め」、つまり脱気保存する技術のこと。代表は西村千恵さん。湘南自然村で5ヘクタールの畑を持つ「森と畑の学校」(農業生産法人パラダイスフィールド)が仕事の舞台だ。
また並行して行なっているのが、同農場や提携農園の規格外品を買い取り、瓶詰めにして製造・販売する「らくちんオーガニック」。ここの瓶詰めはひと味違う。コリンキーは塩麹を加え、バーニャカウダ風ソースに。青菜は醤油とゴマ油で炒め煮にし、ご飯に混ぜるだけ、うどんにかけるだけはもちろん、餃子に混ぜるなど料理材料にもなるという優れもの。「瓶詰めといえばジャムやピクルス。そうじゃなくて、瓶を開ければすぐ使えるようなものを」。忙しい日常の中、ちゃんとしたものを食べたい、食べさせたいというニーズに応えた商品だ。
地球のために何をすべきか考える
東京生まれ東京育ち。でも気がついたら、畑や自然は常に身の回りにあった。中高では畑作業が授業に組み込まれ、留学時にはドイツの田舎の元ヒッピーの家庭でホームステイ。「修行みたいな1年でしたが(笑)、帰国後、強く影響を受けた自分に気づきました。私のためでなく地球のために何をすべきかを考えるきっかけにもなった」
型にはめられたことは好きじゃない。自分がしたいことを求めてがむしゃらに突き進んだ20代を経て、結婚・出産した時に、いつのまにか無理をしている自分に気がついた。「子どもとの時間は少なく、常にくたくた。都内に住んでいて、自然も少なかった。これは自分が求めている生活じゃない、と、第2子出産を機に仕事も辞めて、引っ越しもしました」
その前後に、青山ファーマーズマーケットを運営する友人から「あなたならきっと好きな場所がある」と紹介されたのが、湘南の「森と畑の学校」。山を拓いた広大な敷地には、今や自然が力強く繁殖していた。ここにもっといたい。畑で何かできたら。摘んだヨモギをその日のうちにお団子にし、畑の運営者たちの元へ持って行き、そこから畑通いが始まった。
この出会いと前後して、西村さんは米カリフォルニアのアリス・ウォータースを訪れている。彼女の活動の素晴らしさを肌で感じた旅の途中、写真に惹かれて土産にした『Home Canning』という1冊の本が彼女の熱意の芯に触れ、着火した。
「畑で野菜を作って、それを保存できるように持って帰る。そうしたら家に帰って、瓶を開けた時に、畑の記憶も風景もそこに立ち上らせられるのでは。その体験は、都会に住んでいた頃の自分だったらきっと嬉しいだろう、って」
まず始めたのは、周囲への徹底したヒアリング。「理想のライフスタイルは何?」という質問から入り、「本当はしたいけどできていない事は?」と進め、3食何を食べているか、食材の購入先は・・・と詰めてゆく。無理がなく事業が回ること。大勢に響かなくても、何人かに深く確実に響くこと。そう事業を練り上げるうち、自分の目的もまた輪郭が見えてきた。「私は一次産業が当たり前に持続できる世界にしたいんだな。そのためにも、食べ手にもっと畑を日常に感じて欲しい。都会の同世代の人たちも、土を身近に感じたいはずだ」と。
1年後の2016年、初めての「ファーム・キャニング」クラスが開講。参加者は20組。今では、予約待ちが後を絶たない。
食を通して豊かな人生を
ファーム・キャニングの生徒たちは、始めに何を栽培したいか話し合い、畑の年間計画を立てる。そして月に1度畑に集まり、畑作業をした後に、畑のそばで採れたて野菜のランチを一緒に食べ、瓶詰め作業をする。また収穫した野菜セットが月に1度宅配されるため、離れていても常に生活のどこかで畑を感じていられる。
1年ごとに事業拡大し、現在は社会貢献事業にも意識的に取り組む。持続可能な社会や、食べものの安全性などの目指すべき世界はあるが、それを「楽しく、ゆるく」広げることが大事、と西村さんは言う。
「究極的には、食べることを通して、一人ひとりが、人生を祝福して愛してほしいし、楽しんでほしい。豊かな人生のための食を広げたいです。そのためには、まず私たちも心から楽しまなくちゃ!」
そう、肩肘張った「正しい」だけではムーブメントは広がらない。楽しい、嬉しい、おいしい!というポジティブな感情の伝播が、21世紀の食革命の引き金になる。
◎FARM CANNING
https://www.farmcanning.com/
(雑誌『料理通信』2018年1月号掲載)
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