日本 [東京]
樋口敬洋シェフが発見する「東京宝島」の魅力
vol.1 利島、式根島に息づく無形文化財のような暮らし。
2020.03.10
ヘリから利島を望む。すり鉢をひっくり返したような美しい円錐形。
東京には人々の暮らす11の島があります。太平洋の波に磨かれながら独自の時を刻んできた個性的な島々です。総称して「東京宝島」。
人気イタリア料理店「SALONE TOKYO」の樋口敬洋シェフが、東京の島ならではの風土、人、食材を求めて、神津島、式根島、利島の3島を訪れました。
面積も人口もコンパクトな利島と式根島には、時代の波に洗われずに生き続けるサステナブルな暮らしがありました。
獲ると守るを同時に行う利島のイセエビ漁。
樋口敬洋シェフは、2002年からの3年間、シチリアで働いた。「シチリア自体が島ですが、さらに離島のファビニャーナ島へよく行っていましたね」。ファビニャーナ島は地中海有数のマグロの水揚げ地。「マッタンツァと呼ばれる伝統的な囲い込み漁が行われていて、マグロの加工工場もあったんですよ」。
樋口シェフのイタリア料理人としての根っこには、シチリアの島文化や魚文化が潜んでいる。そんな樋口シェフの眼に、東京の島々はどう映るのだろう。イタリアの島を知るその眼で東京の島の魅力を発見すべく、シェフは島へと向かった。
最初に訪れたのは利島である。島の周囲8キロ、面積が4.12km²、人口 約320人という小さな島だ。
調布飛行場から19人乗りの小型飛行機で大島まで25分、そこからヘリに乗り換えて10分で利島に着く。空から行くとさほど時間はかからないが、これが海から入ろうとするとけっこうな難所である。
というのも、太平洋、つまり外海に浮かんでいる小島だから、絶えず荒波に洗われていて、「葛飾北斎の富嶽三十六景みたいな波がしょっちゅう見られる」と言う人もいるほど。着岸困難による船の欠航が少なくない。「東京の秘境」との呼び名もある。
しかし、その波の荒さが利島の漁業を特徴付けていることもまた事実である。
「黒潮の真っ只中にあって荒波にもまれて育つ利島のイセエビやサザエは身が引き締まって格別の味わいになる」と語るのは、利島村漁業協同組合参事の川村健太さんだ。
刺し身で食べるとよくわかる。ぷりぷりとした歯応え、噛めば舌にねっとり絡み付く濃密さ、口いっぱいに広がる甘味と旨味。しかもサイズが大きい。
「サイズが大きい理由のひとつは、小さい個体は獲らないからでもあります」と川村さん。
利島村漁協では、200g以下のイセエビは獲らないという独自ルールを決めている。資源保護のためだが、それが結果的に利島のイセエビは大きいという評判にもつながった。資源保護について語るなら、サイズ制限だけでなく、漁期の自主規制も定めていて、産卵期にあたる6~8月は禁漁、さらに9~5月の間でも月の満ち欠けに従ってひと月に10日間(旧暦15日の前後10日間、すなわち月が太る期間)は禁漁だという。樋口シェフが訪れた前日からちょうど禁漁に入ったところだった。「夜行性のイセエビは夜になると岩場から出てくる。エビ刺し網でそこを捕らえるのですが、月が明るいと隠れて出て来ないという理由もあるようです」。川村さんが漁協の職員になった15年前にはすでに漁期制限が当たり前のように実施されていたそうだ。ちなみに他の魚介にはサイズ制限を設けており、アワビは殻長13cm以下、トコブシは殻長4.5cm以下、サザエ殻長5cm以下・200g以下、タカベ全長13cm以下が禁漁。サザエに関しては一人当たりの漁獲量の制限も壁に張り出されていた。
海の未来のために徹底した姿勢を貫く利島の漁師に、樋口シェフは感動の表情を隠さない。
油、炭、灰、酵母……様々に活用できる椿。
利島でイセエビ漁が島の産業になったのは大正時代以降のことだという。それ以前は椿が産業の中心だった。
利島の椿栽培の歴史は200年以上、江戸時代までさかのぼる。島の8割が椿林に覆われ、その数20万本、冬には島中で咲き誇る。
「川や湧水がなくて稲作ができなかったため、江戸時代には年貢として幕府に上納されていたんですよ」とJA東京島しょ農協 利島店の加藤大樹さんが教えてくれた。加藤さんは、地域に役立つ仕事がしたくて、農業法人を退職後に利島に移住してきた。ちなみに利島は移住者が多く、320人を数える人口のうち、約半数が移住者とその家族だという。
椿林は約40軒の農家が所有し、各々が管理しているというが、なんと手入れが行き届いていることか。島中至る所、石垣と椿林が連なって、島全体が椿園と言いたくなるほど美しい。
「かつては5軒あった搾油所が、今は1軒になってしまって……」と加藤さん。すると、樋口シェフ「共同の搾油所があるんですね。シチリアのオリーブオイルと同じだ」。加藤さんが「椿の種から搾った油はオレイン酸を多く含み、加熱に強く、酸化しにくく、固まりにくい。無味無臭でクセがなく、食用にも化粧用にもなります。また、椿の幹や枝から櫛が作られ、炭としても利用されてきた。花で酵母を起こしてパンを焼く人もいれば、椿の葉の灰を釉薬に使う陶芸家もいると聞きます。椿をもっと資源として活用して利島の活性化につなげたい」と椿に託す思いを熱く語った。
加藤さんによれば、大変なのが種拾いだという。加藤さんは総務省の「ふるさとワーキングホリデー」*の制度を活用して、種拾いの人材確保に努めている。
「素敵な取り組みをやられているんですね」と樋口シェフは加藤さんの熱い思いに心を動かされた様子だった。
島で伝え継がれるサトイモ。
利島は、時代の波に洗われず侵されず、昔の暮らしを留めてきた“手付かずの島”だ。加藤さんが案内してくれた前田千恵子さんの暮らしはその典型と言えるだろう。
代々受け継がれてきた島のサトイモをはじめ、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツ、グリンピースなど野菜を育て、剪定した椿の幹や枝で作る炭を囲炉裏にくべて暖をとる。
「炭を自分で焼くんですか?」と驚くシェフに、「役場が所有する炭焼き小屋があって、椿の炭を焼くことができるの」と前田さん。細孔径が小さく緻密で硬い椿の炭は火持ちが良いそうだ。
サトイモ畑で樋口シェフが芋掘りを手伝う。実った芋を傷つけないよう、茎から半径30cmくらいの所に外堀を作り、株ごとそっくり掘り起こす。
「畑を持っている人は大体みなサトイモを育てています。基本的に自分たちが食べるための芋ですが、試しに東京のおでん屋さんに送ってみたところ、大好評。毎年リクエストされるんですよ」と前田さん。「煮崩れせず、軟らかく、粘りがあって、味が染みる」のが特徴らしい。食べ方を聞く樋口シェフに「親芋はコロッケ、子芋は煮っころがしに」と教えてくれた。
「お正月にはお餅と一緒にサトイモを神棚にお供えします。親芋、子芋、孫芋と連なるサトイモは子孫繁栄の象徴ですね」と前田さん。実際、種を絶やさぬよう家ごとに継承し、途切れそうになると互いに融通し合って、島の中で伝承されてきたという。出来の良い芋を土付きのまま藁にくるみ、段ボールで眠らせ、翌春、種芋として植えるそうだ。
式根島ではアメリカ芋が人々の命をつないできた。
魚は海で釣って来る。野菜は庭で栽培する。島の暮らしは自給自足が基本だ。
式根島でもそれは変わらない。
料理自慢の宿「美松屋旅館」で出された料理がそうだった。
「食糧難であった昔は山に罠を仕掛けて鳥を獲っていたそうです」と話すのは、新島村商工会の下井勝博さん。
「火山灰土の式根島では米が栽培できない。島民はアメリカ芋と呼ばれるサツマイモを栽培して、ごはん代わりに食べていた」という。アメリカ芋とはサツマイモの一種で、「白芋」と呼ぶ地方もあるように、皮が白い。やせ地を好み、貯蔵性に優れる。名前の由来は「アメリカから導入されたから」など諸説ある。ごはんが主食となった現代でも、「島の人は今も自分で栽培しています。収穫すると10℃以下で保存して1年かけて食べる。ふかして、マッシュ状にして、乾してから、もち米と合わせて芋餅にしたり」。
パン工房「帆風(パンプー)」の藤井悠子さんは、アメリカ芋から起こす酵母でパンを焼く。もちろんアメリカ芋は自分で栽培している。
「島の素材を使ってパンを焼こうと思ったんです。いろんな素材を試してみたのですが、耐熱性のビタミンCが豊富でクセのないアメリカ芋がよく合っていた」
食パン、クロワッサンやデニッシュ、菓子パンなどバラエティ豊かに焼き上げて、式根島のみならず、新島や利島でも販売する。変化に乏しくなりがちな島の暮らしに「帆風」のパンは新風を吹き込んだ。棚に並ぶとあっという間に売り切れるほどの人気を誇る。
時期外れの下り鰹と自慢の郷土料理「たたき」。
港へ行くと、カツオの水揚げの最中だった。朝6時に出港し、港から1時間ほどの近海で漁をして戻ってきたところ。今年は海の水温が下がらないためか、下りガツオがいまだに島近辺にいて獲れるそうだ。にいじま漁協式根島事務所副組合長の大沼清志さん、山本功二さんらが、水揚げしては重量を計り、一尾ずつ速攻で箱詰めして氷詰め。明朝には豊洲へ発送されるという。この日の収穫は3~4kgのカツオが40尾ほど。「少ないほうだね。多い時は60~70尾獲れる」と大沼さん。
男性陣が海へ出る一方で、漁協女性部は「たたき」作りに励む。たたきとは地元で獲れた魚のすり身。主にトビウオとアオムロアジが使われ、たたき揚げやたたき汁にして食べる。各家庭で作られてきたたたきを35年前、漁協女性部が商品化した。全漁連シーフード料理コンクールで農林水産大臣賞を受賞した秀作だ。
助け合う、支え合う。そうして島は守られる。
「式根島には消防署もなければ葬儀屋さんもありません。でも、消防団があって、隣組がある。とにかくみんな助け合う」。昨夏の台風では多大な被害を受けたが、島民同士が互いの家に赴いて屋根を直したり、倒れた木を片付けたり、自力で復旧に努めたそうだ。20年前に移住した下井さんはそんな島の人々の生き方に惚れ込んだ。
「借りた手間は手間で返す。お金のやりとりじゃないんですね」。
島の暮らしそのものがもはや無形文化財と言いたくなる。
島を離れる日の朝、式根島観光協会に田村修一さんを訪ねると、「これからみんなで遺跡の発掘と椿林の手入れをするんです」と言う。
こっそりその場所を覗いてみた。10人ほどの人たちが黙々と作業していた。
こうして島は守られる。正真正銘のサステナビリティがここにある。
樋口敬洋(ひぐち・たかひろ)
1976年生まれ、東京都出身。2002年からシチリアで3年間修業。帰国後は銀座「リストランテ シチリアーノ」のシェフを務めて以降、サローネグループをイタリア料理界のトップランナーに引っ張り上げてきた。2011年から統括総料理長、18年からは「サローネトウキョウ」エグゼクティブシェフも兼任。サローネグループは、昨年の「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ」で世界1位に輝いた横浜「サローネ2007」の弓削啓太シェフ、2017年の「RED U-35」でゴールドエッグを獲得した「イル テアトリーノ ダ サローネ」の山口智也シェフなど、イタリア料理界を担う人材を次々と輩出中。
◎ SALONE TOKYO
東京都千代田区有楽町1-1-2
東京ミッドタウン日比谷3F 316
☎ 03-6257-3017
12:00~13:00LO 18:00~20:00LO
無休
http://salone.tokyo/
◎ JA東京島しょ農協 利島店
東京都利島村13
☎ 04992-9-0026
◎ 民宿しんき
東京都利島村51
☎ 04992-9-0028
◎ オレンジ
東京都利島村53
◎ 利島ふぁーむ
www.利島さくゆり.tokyo/
◎ 美松屋旅館
東京都新島村式根島291−2
☎ 04992-7-0037
◎ パン工房「帆風(パンプー)」
https://www.facebook.com/panpu2016/
◎ おくやま
東京都新島村式根島281−1
☎ 04992-7-0211
◎ みやとら
東京都新島村式根島283-2
☎ 04992-7-0304
◎ 池村商店
東京都新島村式根島348-1
☎ 04992-7-0016