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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

群馬・高崎「コンベ製粉所」

今部文彦 Fumihiko Konbe

2021.08.16

text by Sawako Kimijima / photographs by AKANE

「製粉所」という言葉のイメージからはほど遠い。なにせ古い製粉機が1台あるだけだから。けれど、果たしている役割を知れば、これから必要なのはこういう人や場所かもしれないと思えてくる。今部文彦さんが製粉に取り組み始めたのは2018年。経済的に成り立つかどうかはわからず、福祉施設勤務の傍らでスタートしたが、依頼は年々増加。今では週の半分以上を製粉に費やす日々だ。



小さな経済を回す歯車。

「栃木県・上野長一さんの農林61号の全粒粉で焼いたカンパーニュです」「滋賀県・廣瀬敬一郎さんのディンケル小麦を使っています」・・・パン屋さんで、生産者名と小麦品種が記された商品プレートを見ることは珍しくなくなった。ブーランジェが焼き上げるパンの向こうに小麦農家の存在が感じられて、味わいは倍増する。
しかし、その麦を誰が挽いたのかに焦点が当たることはあまりない。自家製粉と書いてあれば、店で挽いたんだなと思うけれど、書いてなければ意識は及ばないのが正直なところだろう。

麦は製粉しなければパンにできない。パン職人が地元の小麦でパンを焼きたい、農家から直接小麦を仕入れてパンを焼こうと思った時、ハードルになるのがこの製粉という工程だったりする。 「日本で生産者限定の小麦を使おうと思った時、農家が製粉して販売するか、パン屋が製粉機を店に備えて製粉するかのどちらか」と語るのは、群馬県前橋市で「クロフトベーカリー」を営むパン職人、久保田英史さんだ。

「収穫物をJAに託さずに自力で販売しようと考える農家さんは、そもそもが手間のかかる農法で作物を育てている。僕たちからすれば、彼らには栽培に専念してほしい。かと言って、パン屋が製粉から手掛けるのは、設備、時間、粉の使用量から言って限界がある」
アメリカ西海岸では土地に根付いた小さな製粉所があって、地元産の小麦の挽きたてを届けてくれることを、久保田さんは毎年訪れる向こうの仕事の中で知った。「日本でもこういう存在があるといいのに」。そう思っていたところに知り合ったのが、コンベ製粉所の今部文彦さんだった。



オーガニック農家を支えるために。

コンベ製粉所は高崎市の市街地はずれ、住宅が立ち並ぶ一角にある。工務店が作業場として使っていた建屋に製粉機と扇風機と冷蔵庫を置いただけの超ミニマムかつ超アナログな製粉所だ。

今部さんが製粉業を営んでみようと思ったきっかけは、古い製粉機との出会いだった。「話し始めると長くなりますが」と語ってくれた経緯をかいつまむと――。

元々は東京でIT関係のシステムエンジニアをしていたという。仕事が忙しくて、コンビニに頼り切った食生活を送っていたら、身体を壊した。「食べるものによって、気持ちが悪くなったり、アレルギーが起きたりして」。食の大切さを思い知り、農業への関心が高まったちょうどその頃、友人が群馬県藤岡市で就農。毎週末、手伝いに赴くようになる。「友人――福田農園の福田俊太郎さん――は、夏は米、冬は麦を栽培していたのですが、収穫した麦を製粉してもらうため、精米所に通っていました。そこに使われなくなった製粉機があって、それを譲り受けたんです」。
福田さんと2人、分解して軽トラに載せて運び、今の場所に設置して、2018年開業に至るというわけだ。


日本を代表する製粉機メーカー柳原製粉機製で50年以上前に製造されたロール挽き機。高さ4mのこの機械が入る建物を探すのに苦労したという。


右レバーでロールの間隔(粒のサイズに関わる)を、左レバーで小麦が上から落ちてくる量を調節する。


動力はモーターひとつ。ベルトによって、ロールが回り、篩(ふるい)が動く。いたってシンプルな構造だ。


レバーは目盛りで調節。昔の機械はアナログな分、壊れにくくて長持ち。

「この辺りは小麦文化圏で粉食文化圏。その昔、“米は売り、麦を食べた”という土地柄です。かつては農作業から帰ると、麺を打って食べたそうです。お切り込みという郷土料理にその名残りを見ることができる。なにしろ製麺機が一家に一台あるほどなんですよ」
当然、製粉ニーズは高く、製粉所がたくさんあったが、担い手の高齢化により減少の一途をたどった。今部さんは「譲り受けた製粉機で製粉を請け負ったら、土地の人々の役に立つのではないか」と考え、製粉業へと乗り出していったのだった。

経営的に成り立つかどうかなんてわからない。少なくとも福田さんは依頼してくれるけれど、食べていける見通しははっきり言ってない。だから、福祉施設に勤務しながら、週の半分は福祉、半分は製粉というスタイルでのスタートだった。
それでも、絶対に譲らないと決めていたのは「オーガニック限定の製粉所」であることだ。
オーガニック栽培農家は概して規模が小さい。加えて自分の手で売ることを大切にする。そんな生産者が無農薬栽培した小麦をパン屋さんやうどん屋さんに卸したり、小麦粉をネット販売する手伝いができたらいいなと今部さんは考えた。もちろん福田さんが無農薬栽培農家だったということもある。


「製粉機は農機具だと思っている」

「この土地でしか焼けないパンを焼こうと思った時、今部さんの存在は重要」とクロフトベーカリーの久保田さんは言う。専門の挽き手がいることで、農家やパン職人が各々の職分に集中できるばかりではなく、小麦の個性を生かす製粉が可能になるからだ。
「大規模流通を前提としない小さな製粉所は、安定供給や保存性といった制約から解き放たれているため、酸化や劣化の防御目的で表皮(ふすま)や胚芽を徹底的に除去しないでいい。自ずと農家さんの畑の個性や品種の個性を生かした製粉になってくる」

ちなみに、久保田さんが使う地元の麦は、福田農園の農林61号やライ麦、高崎市・すみや農園のシロガネコムギ、農林61号などだが、「全粒粉は農家さんによる石臼挽き、精選度を上げる場合はコンベ製粉所挽き」と求める粉の性格に合わせて製粉者を分けている。
小さな経済圏だから立ち上がる土地の味わい。コンベ製粉所は小さな経済を回していく大事な歯車のひとつと言える。


オーガニック栽培の小麦しか扱わない。農林61号、シロガネコムギ、ゆめかおり、ハナマンテン、ユメシホウなど品種は様々。


精白度合いは依頼主の要望に合わせるが、一般的には7~8割。ふすまは、養鶏場の飼料や農家の堆肥になる。

有機栽培の小麦をオーガニック小麦粉として販売しようと思ったら、製粉環境もオーガニックでなければならない。コンベ製粉所の存在は人づてに伝わり、今では新潟県の村上市や茨城県つくば市、千葉県の自然食品流通会社などからも依頼が来るようになった。小さな経済圏はじわじわ広がり、最近は週末の作業ではまかないきれず、週3~4日、製粉に勤しむ。

今部さんは製粉の傍ら、富岡市で開かれる「おかって市場」や前橋市の「ノマド市」など、定期的にマルシェに出店する。
「農家さんのことを知ってほしくて、僕が製粉した小麦粉や、その粉で焼いてもらった南部煎餅を売っています」
作り手である農家と使い手であるパン職人や生活者をつなぐのが今部さんの役割だが、「どちらかと言うと農家寄りの立ち位置」と今部さん。
「福田農園を手伝っていた頃、実は、思い描いていたのは自分自身の就農でした。縁あって製粉の道を選んだけれど、気持ちは農家寄り。僕は製粉機を農機具と思っているんです」


福田農園の農林61号を使って、青森県の老舗「川越せんべい店」に南部煎餅に仕立ててもらっている。




今部文彦(こんべ・ふみひこ)
1976年、東京都生まれ。大学卒業後、IT関連企業のシステムエンジニアとして働く。不摂生な食生活の影響で体を壊し、食の大切さに目覚める。就農した友人を手伝うため、毎週末、群馬県藤岡市に通い始め、8年前に藤岡市に移住。藤岡から東京へ通勤しながら、農業の手伝いを続ける中で古い製粉機と出会い、2018年から製粉に取り組み始める。

◎コンベ製粉所
群馬県高崎市沖町26
https://www.facebook.com/kombe.flour.mill/




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