小倉 崇さん(おぐら・たかし)
渋谷の農家/編集者
2019.11.01
畑作りは街作り。
職業は「渋谷の農家」。もともと編集者である小倉崇さんが、そんなキャッチーな肩書きを名乗るようになったのは、2011年3月の震災がきっかけだ。
「あの時、東京のスーパーには、食料も水もなくて。このまま物流が止まったら、東京では食べ物も飲み物も手に入らないのか、と愕然としました」
「あの時、東京のスーパーには、食料も水もなくて。このまま物流が止まったら、東京では食べ物も飲み物も手に入らないのか、と愕然としました」
30歳を過ぎてから、いつかは農業に関わりたいとぼんやりと憧れを抱いてきた小倉さんだが、震災直後の脆弱な東京の姿を目の当たりにして、「いつか」は「今じゃないか」と思ったのだという。
家族が食べる分の野菜だけでも、自分で育てるスキルを身につけなければ。そんな思いで、神奈川県・相模湖で自然農法を実践するゆい農園の門を叩く。そこで期せずして知ったのは厳しい現実だった。油井敬史さんが作るホウレン草は肉厚で、甘味と滋味が沁み渡るおいしさ。でも売上げに苦戦している。「僕がすべきなのは、農家になるんじゃない、彼の存在を知らしめることだ」。
いつしかそんな思いで相模湖通いを続けるうち、程なく仲間たちが同行し始めたのだった。週末、皆で畑に足を運び、農作業後、収穫した野菜を畑で食べる。「農」を媒介にした人の輪は緩やかに増えていき、2014年、「ウィークエンドファーマーズ」の立ち上げへとつながってゆく。現在、小倉さんが代表理事を務めるNPO法人「アーバン・ファーマーズ・クラブ」の前身だ。
渋谷の繁華街で畑を耕す
気付けば都会を農家目線で眺めるようになっていた小倉さん。土があれば、渋谷にも野菜が植えられるのに。でも地面はコンクリートだらけ……。「そうだ、地上がだめなら、屋上に畑を作ればいい」。
折しも、渋谷・円山町に位置するライブハウス「O-East」から、屋上活用の依頼が来る。仲間たちとで計6トンの土を屋上に担ぎ込み、畑作りに励み、15年8月より作付けを開始する。
1年目はトライ&エラーの繰り返し。まず収穫できたのは、ルーコラやサラダ菜などの葉野菜。ニンジンも同植したが、ネキリムシの被害に遭った。「あの時はまだ土が未成熟だった」と振り返る。量販店の土7割と油井さんの土3割を混ぜていたが、それならばと炭素を多く含んだ萱を土に混ぜ込んだところ、徐々に改善に向かったという。
翌年の夏には、たわわに実ったトマトでトマトソースを作り、大人も子どももみんなで味わう収穫祭を開催。また使用済みペットボトルを切り貼りし、プランターに見立てて、育てた土を入れ、稲を植えたことも。ペットボトル3本分の稲がちょうど茶碗一杯分の米となった。そんな活動の日々を、16年に自著『渋谷の農家』にまとめた
折しも、渋谷・円山町に位置するライブハウス「O-East」から、屋上活用の依頼が来る。仲間たちとで計6トンの土を屋上に担ぎ込み、畑作りに励み、15年8月より作付けを開始する。
1年目はトライ&エラーの繰り返し。まず収穫できたのは、ルーコラやサラダ菜などの葉野菜。ニンジンも同植したが、ネキリムシの被害に遭った。「あの時はまだ土が未成熟だった」と振り返る。量販店の土7割と油井さんの土3割を混ぜていたが、それならばと炭素を多く含んだ萱を土に混ぜ込んだところ、徐々に改善に向かったという。
翌年の夏には、たわわに実ったトマトでトマトソースを作り、大人も子どももみんなで味わう収穫祭を開催。また使用済みペットボトルを切り貼りし、プランターに見立てて、育てた土を入れ、稲を植えたことも。ペットボトル3本分の稲がちょうど茶碗一杯分の米となった。そんな活動の日々を、16年に自著『渋谷の農家』にまとめた
畑はソーシャルメディアだ!
いつしか、「渋谷の屋上で畑を耕している面白い人がいる」と人が訪ねてくるようになっていた。一般的な畑に比べたら猫の額ほどの面積。でも、大切なのは農地の広さではない。「僕が提案するのは、農業ではなく、あくまでも日常に農がある、農的な暮らし。都会の真ん中にプランターを置くことで、皆が、あ、自分もやりたかったと気付いたら嬉しい」。
この活動は、自身と街との関係も変えた。
「僕にとって渋谷は消費の場所だった。それが、畑を持ち、コミュニティが生まれたことで、野菜を育み、人間関係も育めるようになった。消費と真逆です」。
この活動は、自身と街との関係も変えた。
「僕にとって渋谷は消費の場所だった。それが、畑を持ち、コミュニティが生まれたことで、野菜を育み、人間関係も育めるようになった。消費と真逆です」。
18年3月には、NPO法人「アーバン・ファーマーズ・クラブ」を発足。同月、原宿「おもはらの森」にも畑を開き、その後の半年間で恵比寿、渋谷と計6つの畑を管理するまでになった。
と言っても、小倉さんは野菜作りを教える先生ではない。ここはあくまでも、各自が家庭で野菜を育てるスキルを身に付ける、大人の部活動のようなコミュニティだ。農的暮らしを発信するメディアといってもよいだろう。小倉さんは、メンバーたちがフラットに意見交換できるよう、SNSのグループページを立ち上げ、今も変わらず管理運営などの裏方仕事を担っている。
最近では、企業の依頼で都心に畑の設計や設置なども手がけるようになった。折しも追い風が吹く。昨年9月1日に都市農地貸借法が制定された。以前と違い、小倉さんのようなNPO法人が都内の農地を借りやすくなり、畑の運営のノウハウを活かせるチャンスが広がる。
畑作りは街作り。そこで学んだ子どもたちは、将来、自分が食べる野菜は自分で作れるような逞しさを。世の中の枠組みにはまらず、「Do it yourself」の精神を携えて。
元パンク少年だった小倉さんは、ベースギターを鍬に持ち替えて、今、渋谷の土を、街を、掘り起こしている。