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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

佐藤英之さん(さとう・ひでゆき)地産品加工スペシャリスト

第2話「町の宝を探す」(全5話)

2016.09.01

2度の転機

Iターン……いや、正確にはVターンとでも言うのでしょうか(そんな言葉はありませんが)。
東京で生まれ育った佐藤さんにとって、実は竹田市は2度目の移住先なのです。
そして、起業も2回目。





Photographs by Masahiro goda,Text by Kyoko Kita




自分の手で人生を動かす





最初の移住先は、沖縄県西表島でした。27歳の時のことです。

大学卒業後にノベルティグッズを企画販売する広告代理店に就職。2年後に大学生協に転職。
ものづくりがしたい、いつか店を持ちたい、そんな思いを胸に抱きつつ、「何となく、その場、その場で生きてきた」と振り返ります。
転機が訪れたのは3年目。初めて旅した沖縄本島で、その風景に魅了されたのです。「こんなきれいなところで、ゆっくり暮らしたい」。

「今、ここで動かなかったら、何もしないで終わってしまう」、何かに駆り立てられるように、夜な夜な沖縄での就職口を検索。西表島のリゾートホテルに職を得て、移住を決意しました。
半年ほどたった頃、仕事の傍ら、カヌーガイドの手伝いを始めます。四季と共に移り変わる自然の豊かさと、それを観光客に案内する面白さにのめり込んだ佐藤さん。
「やるなら自分で」と、転職ではなく、独立を決意。先輩移住者と共に、ガイド会社を立ち上げました。

8代目の使命感





移住して4年、独立から1年。島での暮らしにも慣れてきた頃、竹田に住む祖母の訃報が舞い込みました。
幼い頃、夏休みになると遊びに行った古い家。
久しぶりに親族の集まった席で、佐藤さんはこの家の歴史を改めて聞かされることになります。
そして、喜多屋8代目としての自分の存在に気が付くのです。
「このままでよいのか?」
使命感がむくむくと湧き上がってきました。

動くなら、今





移住に迷いがなかったわけではありません。
ガイドの仕事にはやりがいを感じていたし、家族のような島の人たちの温かさは何より心地よかった。
けれど、「もし喜多屋を復活させるなら、その歴史を知っている世代が健在なうちでないと、ただの新しい店になってしまうと思ったんです。80歳を超える祖父からも、家のことをもっといろいろ聞いておきたくて」。
西表島から、大分県竹田市へ。31歳、2度目の移住を決意しました。

この町の“宝”は何か?





改めて歩いたその町は、しかし記憶の中の風景とは違っていました。
通りには人気が少なく、シャッターを下ろしている店もちらほら。ご多分に漏れず高齢化と人口流出の波が押し寄せ、町全体がひっそりとしていました。

もはや、喜多屋だけの問題ではないと思い至ります。
この家を次世代に継承していくためには、竹田という町そのものを、もっと元気にしなくてはならない。
西表島には、原生に近い自然と、密な人間関係という、強烈な魅力があった。
では竹田には、何がある――? 
地元の人たちは当たり前すぎて見過ごしている“宝”があるはず。

魔法の大根





地元の老舗和菓子屋さんの紹介で、隣町の老舗温泉旅館で働くことになった佐藤さん。竹田周辺地域の情報を得て、地元の人との繋がりを作るには、とてもよい環境でした。社長は当時県議会議員でもあり、竹田をはじめ大分県内のキーマンとの面識もできました。

しかし何よりの収穫は、地元で作られている素晴らしい食材との出会いでした。
たとえば、紅時雨大根。断面が薄紫色で、すりおろしたところにカボスをかけると、なんとも美しいピンク色に変わる不思議な大根。
「面白い!」

竹田市は県内有数の農業地域で、日本百選に選ばれる名水の里でもあります。
「都会育ちの僕にとって、竹田の野菜のおいしさは衝撃的でした」。
これこそ、竹田の宝ではないか……?
新生・喜多屋の輪郭がぼんやりと描けてきました。

模索の日々





2年半後、旅館を退職。開業に向けて、いよいよ本格的に動き出します。
とはいえ、まだまだ手探り。

市が主催する食の特産品開発や、旅や定住をテーマにしたツーリズムの研究会に参加したり、様々な調査や研究を通じて市の観光資源を発掘する研究所のメンバーになったり。縁あって、県内企業の社長が集まる産業クラスター協議会へも参加を認められ、地域のこと、ビジネスのことなど多くを学ぶ機会に恵まれます。

情報を得ては、様々なプランを思い描きました。
こだわりの生産者の野菜を直送する宅配業(諸々のコストを計算したら、ほとんど利益が出ないことが判明)。
地元の野菜料理を食べさせる商家民泊(……なんか違う)。
廃鶏が処分されていると聞けば、それで鶏油を作れないかと農場から持ち帰ってみたことも(毛をむしって、裁いて、洗って……とても手におえないと断念)。

人と会うことで、繋がる





この時期の佐藤さんは、とにかくいろいろな人と会っていました。
会って、思いを語り、アイデアやアドバイスをもらう。

「サラリーマン時代は出不精だったんです。
でも、ここでは知らないことだらけだったから、出ていかざるを得なかった。
すると、いろんな人やコトが繋がっていくんです。

自分が動けば動くほど次が繋がって転がり続けるし、壁にぶつかっても動いていると思わぬ解決策が見つかったり、次の新たな策が生まれたりして、また転がることができる。

インターネットが発達して世界の距離がグッと近づいたとは思いますが、人と人の距離を縮める方法はやっぱりアナログで、足を使って近づいて、話して触れていくことだと思います」。

畑で生まれたビジネスモデル





農家の手伝いに通うようになったのも、この時期です。
「野菜で何かできないかと考えているのに、農業のことを何も知らない。まずは農家さんと共に手を動かし、汗を流して、何がどのように作られているかを知ることから始めようと」。
県の担当者から紹介を受けたり、インターネットで検索してヒットした農家に直談判し、時間を見つけては足を運びました。
通うほど、話をするほど、彼らがどれほど手間と愛情をかけて育てているかがよくわかりました。
「彼らを応援できる存在になりたい」。

そして、畑に立って初めて知った現実がありました。
間引き野菜や、規格外の野菜が無残にも畑に放置されている。
「これを加工し、付加価値をつけて売ってはどうだろう」。
自分のやるべきことが見えてきました。




佐藤英之(さとう・ひでゆき)
1974年、東京生まれ。広告代理店、大学生協での勤務を経て、西表島に移住。ホテル業に就いた後、カヌーのネイチャーガイドの会社を起業する。2005年、大分県竹田で、江戸時代には武家宿、明治以降は郵便電信事業などで町の中心的役割を担ってきた父方の実家「喜多屋」の相続を決意し、移住。農業地域である竹田の魅力を発信するため、地元の食材に付加価値を付けて加工品を製造・販売。竹田の活性化を目指す。

























































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