HOME 〉

PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

「良い“職”は、良い“食”から」を目指して。

「MONOSUS社食研」 荒井茂太

2023.04.27

「良い“職”は、良い“食”から」を目指して。「MONOSUS社食研」 荒井茂太

text by Sawako Kimijima / photographs by Ayumi Okubo

2022年10月に開業した東京都千代田区の「九段会館テラス」は、登録有形文化財・旧九段会館の保存・復原部分と新築の地下2階・地上17階建てオフィスビルから成る。IoTの活用や健康経営のサポートなど現代ニーズを具現化するオフィスビルの地下1階に位置し、皇居のお濠を臨む絶好の環境で存在感を放つのが「九段食堂 KUDAN-SHOKUDO for the Public Good」だ。企画・運営は「MONOSUS社食研」、中心となって進めてきたのが事業開発ディレクターの荒井茂太さん、社食・給食の改革者である。


荒井茂太(あらい・しげた)
サッカー選手、プロバリスタとして活躍した後、2007年10月よりGoogle Japanの初代フードマネージャーを務める。 約10年間、Google Japanフードチームのリーダーとして革新的な社食を作りあげ、世界から注目を集める。16年10月、 株式会社nonpiに参画し、三菱地所、GSK、LINE、Indeedなどの社食の企画・運営に携わる。20年、徳島県神山町フードハブ・プロジェクトの親会社である株式会社モノサスへ入社、MONOSUS社食研を立ち上げる。フードハブ・プロジェクトを推進する真鍋太一さんと連携しながら、社食・給食の改革に邁進中。


「九段食堂」は小さな農家の東京ハブ

耳慣れない言葉かもしれないが、「九段食堂 KUDAN-SHOKUDO for the Public Good」(以下、九段食堂)は“職域食堂”である。職域食堂とは、働くエリアを同じくするワーカーのための食堂を意味する。九段食堂の場合、「九段会館テラス」に入居する複数の企業の“共有社食”という位置付けだ。そのメリットを、「会社ごとに社員食堂をつくらないで済む分、ビル全体として無駄がない。各企業は社食を設置・運営するコストを社員への実質的な補助に充てられる。ディベロッパー側は他のオフィスビルとの差別化が図れる」と荒井さんは説明する。
九段食堂は同時に地域に開かれた食堂でもあって、ビルワーカーでなくとも利用可能だ(料金は100円高いが)。実際、近隣の住民や近くの病院に通院する人々が多く訪れ、利用者の層は厚く、年齢は幅広い。1日の利用者数は約500人を数えるそうだ。

「“社員食堂=会社の福利厚生施設”という考え方から脱したほうがいい」と荒井茂太さんは言う。

「“社員食堂=会社の福利厚生施設”という考え方から脱したほうがいい」と荒井茂太さんは言う。

社食というより美術館などパブリック施設のカフェのような雰囲気。花見や歓送迎会のケータリングにも対応してくれる。

社食というより美術館などパブリック施設のカフェのような雰囲気。花見や歓送迎会のケータリングにも対応してくれる。

お濠と北の丸公園の土手に面した絶景スポット。春にはご覧の通り、花見をしながら食事ができる。

お濠と北の丸公園の土手に面した絶景スポット。春にはご覧の通り、花見をしながら食事ができる。

「大切にしているのは“公益食堂”であること」と荒井さんは言う。
公益食堂としての性格は、利用サイドのワーカー、企業、ディベロッパー、地域に対して発揮されるのみならず、提供サイドに立つ食材のサプライヤー、生産者や専門店にもあてはまる。
食券の券売機の前に置かれた立て看板を見てほしい。
「本日の食材産地」として書き連ねられている生産者、特に野菜はいかにも「小規模農家です」という名前が並ぶ。オーガニックで栽培する一人農家や夫婦二人農家もいれば、志を同じくする数人のグループ、京都の「坂ノ途中」のように新規就農者の収穫物の受け入れ先として機能する“小さな農家の取りまとめ役”もいて、しかも顔ぶれは日によって季節によって変わる。荒井さんたちは彼らから直接仕入れる。つまり、九段食堂は何十軒という全国の小さな農家とのつながりを持ち、その東京ハブになろうとしているわけだ。

魚は恵比寿の鮮魚店「魚キヨ」にその日の入荷状況に応じて納入してくれるように託し、米は調布の米穀店「山田屋本店」が選んだ兵庫県の特別栽培米「コウノトリ育むお米」を使う。

魚は恵比寿の鮮魚店「魚キヨ」にその日の入荷状況に応じて納入してくれるように託し、米は調布の米穀店「山田屋本店」が選んだ兵庫県の特別栽培米「コウノトリ育むお米」を使う。

3月24日のC定食「本マグロと本マスのミックスフライ」。魚は大ぶりでかなりのボリューム。タルタルソースがたっぷり。

3月24日のC定食「本マグロと本マスのミックスフライ」。魚は大ぶりでかなりのボリューム。タルタルソースがたっぷり。

“社食=大量仕入れ”のイメージがあるかもしれない。大量に仕入れて価格を抑え、街場の飲食店よりも安く食事を提供するというイメージ。しかし、「それでは社食に備わるせっかくの機能を発揮させられない」と荒井さんは考える。
「社食の特性のひとつが“日替わり”です。グランドメニューやレギュラーメニューがあるわけでないから、毎日メニューを変えられる。それって、仕入れの中身を固定する必要がない、仕入れの制約がないということなんです。届いた食材の種類や量に応じてメニューを調節でき、余れば翌日に組み込めばいい。だから、数が揃わない収穫物や小売りでは売りにくい品も受け入れられる」
200人分の魚のフライを提供するのに、200尾すべて同じ魚種でなくていいし、300人分のサラダに使うキュウリがすべて同じ産地でなくていい。大量に使うが、使い方は厨房の裁量次第。それでこそ社食の本領が発揮されるという。
「しかも、特定多数が相手の社食は、運営が安定しています。データを取れば予測もしやすい。生産者に買い取り量を約束できるということです。オーガニック農家も安心して栽培に専念できるでしょう。社食は生産者に対しても良いサイクルを生み出せるんですよ」


食が健康をもたらし、コミュニケーションを促し、イノベーションを起こす

Google Japanの初代フードマネージャーを10年近く務め、“職と食”のあり方を模索し続けてきた荒井さんが、徳島県神山町のフードハブ・プロジェクトの親会社、モノサスに入ったのは2020年。コロナ禍の真っ只中に「MONOSUS社食研」を立ち上げた。オフィスにおける日常の食をより良くすにはどうすればいいのかを思案する中でフードハブ・プロジェクトの真鍋太一さんに相談。その勢いで飛び込んだ。

ここで少しだけ、Google時代の荒井さんの仕事を紹介しておこう。
荒井さんが関わり始めた当初、Google Japanにはまだ社員食堂がなかったという。「会議室を使って毎日違う食事を提供するところからのスタートでした。5社と契約し、ケータリングによるビュッフェ形式でのランチでしたが、データを取り、毎月5社の担当者を集めてミーティングを開いた。ゴールを設定し、各社の共感を呼び起こしつつ、クオリティを上げていったんですね」。
オフィスが六本木ヒルズに移転する際に社員食堂がつくられ、会社の成長と共に食堂やカフェ、キッチンといった食ファシリティが増えていくが、それらのコンセプトワークやゾーニング、メニューづくりなどを手掛けるフードチームを荒井さんが率いた。

「Googleでは、各国のオフィスにGoogle Food Teamと呼ばれるセクションがあって、社員や家族の健康、仕事のパフォーマンスを向上させるミッションを担っています。今日明日だけでなく30年後も健康であるように、社員間のコミュニケーションを図り、仕事のイノベーションに寄与するように、つまり、食でGoogleの企業文化を後押しするという考え方です。世界中からフードチームが集まってサミットを開いたり、各国のチームに対する評価が世界ランキングではじき出されたり、食の力を高めることが企業の力を高めるという認識の上に立っている」
食堂やカフェは、食材、メニュー、テーブルウェア、席の配置に至るまで、利用者たちの会話が生まれるようにデザインする。個食を生まないためにカウンター席は設けない。フードロス軽減のため食べ残しは自分で捨ててもらう。サラダバーのドレッシングのレードルのサイズを半分にして使用量を減らす。生産者を招いてワークショップを開く、等々。ユネスコ無形文化遺産に登録された和食の4つの特徴を知る食堂をつくったりもした。

九段食堂のオープン以降、「同じような食堂をつくりたいので手伝ってほしい」という声が荒井さんのもとへ寄せられている。

九段食堂のオープン以降、「同じような食堂をつくりたいので手伝ってほしい」という声が荒井さんのもとへ寄せられている。

一方の真鍋さんは、徳島県神山町で「地産地食」――地域で育てられたものを、その土地で食べることで、地域での関係性を育て、農業と食文化を次の世代につないでいく――を掲げて地道な活動を繰り広げてきた。農業をベースとしながら、食堂を営み、パンを焼き、食材を加工して販売する。そして直近では、小中学校の学校給食も手掛け始めた。その根底にあるのは、「小さいものと、小さいものをつなぐ」というポリシーだ。少量生産と少量消費をつなぐことで日本のどこの田舎にもある課題を解決していこう。そんな真鍋さんたちの取り組みは、中山間地域再生のモデルケースとして注視されてきた。

地域という特定多数の日常の食を支えるフードハブ、社食という都市における特定多数の日常の食を支える荒井さんの仕事、両者には共通するものがあると2人は意気投合。MONOSUS社食研の立ち上げへと至る。社食研として掲げるキャッチフレーズ「Good Food, Good Job ! 良い“職”は、良い“食”から。」はまさに荒井さんの仕事を物語る。
「事業には、深掘りしてブランディングする縦軸の動き、広げてスケールする横軸の動き、そのバランスが大切です。真鍋は前者でゼロイチの発想タイプ、僕は後者で整理して拡張するタイプ。両輪で社会に働きかけられたらいい」


今注目の「神山まるごと高専」の食事を手掛ける

九段食堂の話に戻ろう。
「本日の食材産地」の立て看板に小さな農家の名前がずらりと並ぶ背景には、フードハブ・プロジェクトの「小さいものと、小さいものをつなぐ」精神を九段食堂で生かしたいとの思いもある。フードハブ・プロジェクトが運営に関わる東京・神田のレストラン「The Blind Donkey」(2023年夏頃に清澄白河に移転予定)のジェローム・ワーグシェフが以前、こんなことを言っていた。「日本のオーガニックの生産者は孤立しているように感じる」。5年前の話だから、もうそんなこともないのかもしれないが、オーガニック農家に独立独歩タイプが多いのは事実だろう。それらの農家が九段食堂でゆるやかにつながっていくことは、日本のオーガニック促進の上でも意味がある。

九段食堂のメニュー数は少なく、価格も決して安くない。定食3種(900円前後~1300円前後、一般は+100円)、丼とカレーが1種ずつ(いずれも700~800円、一般は+100円)、サラダボウル3種(1100~1200円、一般は+100円)、以上。
「利用者数が多いからと言って、メニューを増やす必要はありません。社食の出数を分析すると、2~3割のメニューで出数の8割を占めていたりする。メニューが増えれば、作業が増えて、料理の基本が疎かになる。大事なのは、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、ジューシーなものはジューシーに提供すること。そのためには、メニューを絞り込み、オペレーションを整理することが大切です」
MONOSUS社食研の総料理長であり、九段食堂の料理を取り仕切る飯野直樹さんいわく「社食ではあり得ない食材を使っている。野菜はオーガニック、肉は国産、魚はフレッシュ、冷凍食材を使わず、だしもゼロからとる。ハンバーグは手ごね、火入れも数個ずつ」。それができるのは、ひと皿ひと皿のクオリティを上げることに心を砕けるオペレーションになっているからだ。

3月24日のL定食「群馬県産せせらぎポークのハンバーグ」。肉がみっしり詰まって、満足度が高い。

3月24日のL定食「群馬県産せせらぎポークのハンバーグ」。肉がみっしり詰まって、満足度が高い。

厨房を預かる総料理長の飯野直樹さんはGoogle時代から荒井さんと共に働いてきたベストパートナー。社食や給食をおいしくするプロ。

厨房を預かる総料理長の飯野直樹さんはGoogle時代から荒井さんと共に働いてきたベストパートナー。社食や給食をおいしくするプロ。

Google時代の知人が運営するJASオーガニック認証の焙煎所からハイクオリティーのコーヒー豆を仕入れている。コーヒー豆をこんなに安く提供してくれるのは荒井さんに共鳴すればこそ。

Google時代の知人が運営するJASオーガニック認証の焙煎所からハイクオリティーのコーヒー豆を仕入れている。コーヒー豆をこんなに安く提供してくれるのは荒井さんに共鳴すればこそ。

フードハブ・プロジェクトの人気商品「カミヤマメイト」をカフェで販売。ワーカーたちの栄養補給食だ。

フードハブ・プロジェクトの人気商品「カミヤマメイト」をカフェで販売。ワーカーたちの栄養補給食だ。

社食や学校給食、病院食など、専門業者によって委託・運営される食事をコントラクトフードサービスと言う。会社対会社の契約の上に成立する性格上ややもすると閉じた世界になりがちで、契約獲得のため安く請け負おうとして食材や食事の質が上がらない、依頼する側は丸投げするといったケースも少なくない。荒井さんはそんな業界の意識改革を図りたい。

今年(2023年)4月、神山町で「神山まるごと高専」が開校した。ソフトウェアやAIなどの情報工学をベースにデザインや起業家精神について学ぶ「デザイン・エンジニアリング学科」のみの単科高専、1学年40~44名の少人数教育で5年間の全寮制、民間企業11社の出資・寄付約100億円を資金とする学費実質無償化、校歌の作曲者は坂本龍一(生涯最後の作曲作品)等々、新しい時代の学校として全国から熱い視線が注がれている。
革新的とも言える同校の学生たちの食事をフードハブ・プロジェクトとMONOSUS社食研が担う。と聞いて思うのは、その食事には授業で学ぶカリキュラムと同じだけの重みがある、ということだ。「食は社会をイノベーションする力を持つ」と実感させる種を、荒井さんや真鍋さんたちはきっと1日3食に仕込んでいくだろうから。その種は学生たちの心と身体に根付き、やがて旅立った先で花開き、実をつけるはずだ。


◎九段食堂 KUDAN-SHOKUDO for the Public Good
https://kudan-kaikan-terrace.jp/facility/cafeteria/

料理通信メールマガジン(無料)に登録しませんか?

食のプロや愛好家が求める国内外の食の世界の動き、プロの名作レシピ、スペシャルなイベント情報などをお届けします。