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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

桶づくりは、木と人間のチームワークの産物

桶師 上芝雄史

2023.12.18

text by Atsushi Nakajima / photographs by Satoshi Shiozaki

清酒や味噌、醤油などを醸造する30石(約5400リットル)規模の仕込み木桶を製造できる工房は、国内では今や、上芝さんが代表を務める堺の藤井製桶所しかない。

木桶の全盛期から大逆風の時代に

「百年前の大正6年には、堺では桶樽の業者が47軒あったんです」。堺は酒どころの灘・伏見と、桶樽に最高の材質となる吉野杉の産地からほぼ等距離の場所にある。近世から近代にかけて、多くの街道から物資が供給され、堺で製品に姿を変えて大坂や京、江戸へと運ばれた。

上芝さんの祖父で創業者の藤井清春さんは六甲山の奥にある農家の次男坊。冬場は灘の酒蔵へ桶屋の修業に出ていたが、夏は仕事がない。そんな中で堺は酒造関係の木工が盛んだと聞いて居を移し、大正時代に堺で創業した。

木桶の全盛期から大逆風の時代に「通常は1haに約3千本の苗を植えますが、吉野は1万本以上植えます。直径50㎝の杉が通常30年で育つところ、吉野では百年かかる。その代わり年輪が密で、色が浅く、香りも素晴らしい材木になる」。吉野杉が桶になって酒蔵や味噌蔵、醤油蔵などで活躍する期間は150年。桶師は250年にわたる時間の継ぎ手と言える。

桶に接着剤は使われないが、中身が漏れないのは側板同士をつなぐ「正直面(しょうじきめん)」がぴたっと揃い、それらが竹を編んで作った箍たがでしっかり締められ、接した側板が膨張してくるから。四百年続く基本構造だ。

4mもの竹がこのような箍(たが)に。右上の仕込み桶の箍には15mもの竹が使われる。

「ところが太平洋戦争を境に、桶樽業者が一気に廃業に追い込まれます。建築需要で木材の価格が高騰したのと、仕込みにホーロータンクが主流になっていったのと両方で」。桶屋が花形産業から一気に斜陽化した時代の中で、上芝さんたちは、化学・薬品工場用に必要とされた木桶の受注を始め、ホーロータンクの改修も行った。全国の桶屋から古い桶を買い取ったり、廃業寸前の店からは材料や道具を譲り受けるなど、全国を回って糊口をしのぐ。「取引先を回り、何を求めているかを聞き、職人の手でやれることを拾うんです。映画やドラマ用に桶を作り、毎年修繕したことも収入の支えでした」

21世紀に入ると、風向きが変わり始める。技術革新で駆逐されたはずの仕込み木桶が、にわかに日の目を浴びてきたのだ。現在は新桶の発注も含めて実に多忙だ。

きっかけは長野県小布施町の枡一市村(ますいちいちむら)酒造場が、当時取締役だったセーラ・マリ・カミングス氏の強い推しで「木桶仕込み」を復活させたことに始まる。桶には無数の木肌の孔に微生物が行き来して付着するが、これらが日本酒に「計算して造られた旨さ」とは違う複雑な味わいをもたらす。その味に魅せられた人々が木桶仕込みの蔵の品を応援するようになり、その追い風に乗るように、豊かな社会で育った若い造り手たちが、木桶の導入を推進した。今や日本酒・味噌・醤油のみならず、魚醤、酢、鮒寿司、すぐき、ハム、そして国産ウイスキーにも藤井製桶所の木桶が使われる。

こうして活躍の場は広がったが、その結果、桶の工房や桶職人が増えたかというと、残念ながらそうではない。桶は百年以上保つので買い替え需要はなく、側板を一部取り換えるような「修繕」「組み直し」のほうが圧倒的に多い。だが納品した桶の面倒を見るだけでは商売にならない。

「木桶に初挑戦する蔵からの新規注文も来るようになりましたが、新調なんてここ10年の話。桶の仕事は技術的にはとても魅力がありますよ。でもそれに携わって生活できるかどうかは、また別」


22世紀の桶と桶職人に向けて

広島・竹原の竹鶴酒造より、平成21年度に造られた木桶が修繕のため到着した。側板を取り換えた後、再び底板を入れる。上芝さんが桶に入り、上芝さんの弟・藤井泰三さんと、青島正知さんが桶の縁に立つ。高さは6尺5寸(約195㎝)、縁の幅は5㎝ほど。そして中にいる上芝さんの掛け声に合わせて、二人が息を合わせながら重さ100㎏以上ある「胴突き」の縄を持ち、指示された底板の縁にほぼ垂直に振り下ろす。「ドンッ!」。腹にひびく衝撃音だ。「街なかから引っ越した一番の理由がこの音と振動でした。ご近所の苦情がすごくて」

「や~そ~れも~やさ」。底板を「胴突き」で入れる際の掛け声。体操の平均台も真っ青になる高さと不安定な足場での作業だ。

クレーンやフォークリフトで、桶を担ぎ、動かす作業は楽になった。でも最終的に桶を仕上げるのには、熟練した人間の「力業」がいる。それができる人の数は、「桶仕込み」の需要の高まりとは逆に減っている。人間は歳を取る。桶の寿命よりずっと早く。

「今は上手な“店じまい”を考えています。納品先では一緒に作業してもらうし、“桶の面倒が見られるよう教えるから従業員を送ってくれ”と言っています」

視線の先には、木桶の食文化が続くために桶を造る人、桶の面倒を見る人をどれだけ次世代につくれるか、がある。その向こうに木桶仕込みの酒や発酵食品を、未来の人々が機嫌よく味わう光景も映っている。

▶2023年12月編集部追記:上芝さんは、2020年頃から日本酒の麹づくりに使われる麹蓋(こうじぶた)の製造も行っています。

日本酒桶から味噌樽、醤油桶まで全国から様々な桶樽が修繕に集まってくる。これは京都・一休寺納豆の仕込み桶。また、木桶醸造復権に伴い、麹蓋や半切桶などの注文も増加。

その昔は桶屋が蔵の造りの最中に出入りし、洗いや修繕などの面倒を見た。現在は蔵内の衛生環境も改善。また物理的な面からも「桶師が見なくてすむ」状況を整える工夫も。こうしたバルブ口を設けることで衛生メンテナンスも楽に。



◎ 藤井製桶所 
大阪府堺市西区上115
☎072-271-2002

(雑誌『料理通信』2016年09月号掲載)

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