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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

農業は「問題」より「可能性」に満ちている。

映画『百姓の百の声』 柴田昌平監督インタビュー

2022.11.04

柴田昌平監督

text by Sawako Kimijima / photographs by Ayumi Okubo,Production Asia

2022年11月5日公開のドキュメンタリー映画『百姓の百の声』は、「食べている限り、誰の隣にも『農』はある。なのにどうして、『農』の世界は私たちから遠いのか」という問いかけから始まります。野菜や米といった農作物に日々囲まれながら、その生産過程を知っていると言えない私たち。それでいいとは誰も思っていません。熱心に生産者を訪ねたり、畑を耕すシェフが増えているのは、その証と言えるでしょう。製作者の柴田昌平監督は3年にわたって93歳から21歳まで、全国の農家の声を聞き、独創的な知恵と工夫、しなやかで強靭な精神力、極めた人間特有の面白みにあふれる姿を映像に収めました。


柴田 昌平(しばた・しょうへい)
1963年、東京都出身。東京大学卒業(文化人類学専攻)後、NHK(沖縄放送局、報道局特報部)、姫田忠義の民族文化映像研究所を経て、1995年に独立。沖縄やアジアに目を向けた映像作品を作り続ける。テレビではNHKスペシャルなどを多数手掛け、ドキュメンタリー映画では『ひめゆり』『千年の一滴 だし しょうゆ』(第6回辻静雄食文化賞/2015年)などで高い評価を得てきた。


近くて遠い「百姓国」を旅する。

――なぜ、農業の映画を撮ろうと思ったのですか?

大学時代に一年間休学して、山梨の山村で農家の手伝いをしながら、古老たちの人生の聞き書きをして過ごした経験があります。そんな僕にとって、農への理解を「点」から「面」へ深めていくことは、30年来の夢でした。

農業を取り上げようと決めた当初、しきりに統計数字を見ている自分がいました。農業問題に農家はどう対処しているかを聞くことになるのかな、などとイメージしていた。でも、いざ取材を始めてみると、「問題」以前に、知恵と技術の積み重ねの上に生きている農家の力強さに圧倒されてしまった。

――取材を開始した当初は、農家の言葉を理解できなかったそうですね。

ええ。丁寧に説明してくれるのですが、言葉の意味がわからず、時に自慢されても、なぜそれが自慢になるのかがわからない。でも、ある時、「ここは百姓国という、近くて遠い異国なんだ。その異国を農家でない僕が旅をする。それが今の日本人にとって気付きになるのではないか」と思い至った。そこで制作のスタンスが固まりました。

――まだ日本人に馴染みの薄かった1946年からトマト栽培に挑み、観察ノートが本人の背丈よりも高くなった若梅健司さん(千葉県)。品種と作付け時期をずらすことでディズニーランド3つ分の田んぼをたった1台の田植え機で稲作する横田農場(茨城県)。高校時代からバケツでイネの栽培実験を重ね、どんな悪条件下でも実らせる稲作の巨匠、薄井勝利さん(福島県)。昔ながらの“作物の心を読む目”と最新データ農業を組み合わせて世界に類を見ない栽培技術を確立したキュウリ農家、山口仁司さん(佐賀県)・・・。いずれ劣らぬ個性派揃いです。

農家は知恵のかたまりであり、クリエイティブです。道を作るところから始まって、水路を作り、水を引く。それは立派な土木工事ですが、どんな田んぼでも行われています。栽培にあたって彼らは生物学者のように徹底的に観察する。日記もつけるし、データが重要だから数値を記録する。その姿勢は科学者にも通じます。雲の動きや風の流れを捉えて天候を読む能力は、気象の専門家並みでしょう。機械や道具を使いこなすばかりでなく、エンジニアばりに自作してしまう人もいる。さらに経営者でもあって、会社の規模感で営むタイプ、家族単位を大事にするタイプ、それぞれですが、最先端のデータ農業のように何千万円という投資をする人もいます。百姓が百の仕事をやるって本当だと、僕は再認識しました。

稲作の巨匠、薄井勝利さん、83歳。バケツを使った栽培実験でイネが健康に育つ育て方を極めた。全国に弟子がいる。

稲作の巨匠、薄井勝利さん、83歳。バケツを使った栽培実験でイネが健康に育つ育て方を極めた。全国に弟子がいる。

「いろいろ米」で知られる栃木県上三川町の上野長一さん。600種に及ぶ在来種のイネや麦を育てる。パンの世界でも有名。

「いろいろ米」で知られる栃木県上三川町の上野長一さん。600種に及ぶ在来種のイネや麦を育てる。パンの世界でも有名。

秋田県大潟村の斉藤忠弘さんは、稲刈りが終わった後の田んぼに米糠を撒いて土ごと発酵させることで、土壌を良くしている。

秋田県大潟村の斉藤忠弘さんは、稲刈りが終わった後の田んぼに米糠を撒いて土ごと発酵させることで、土壌を良くしている。

――タイトルに使われている「百姓」という言葉、実は放送禁止用語だそうですね。

農業に対して近代の日本人が抱いてきた、ぬぐいがたい差別意識のようなものが横たわっていると感じます。つらそう、泥まみれ、儲からない、肉体労働・・・。明治以降の近代化や戦後の高度成長の中で、教育もメデイアも、都市的・工業的なものに価値があるという意識を醸成してきた。第一次産業よりも、どう加工するか、どう売るか、経済をどう廻していくかのほうが未来的でカッコいい、生産者はカッコ悪いとまでは言わないけど大変そうだし、みたいな感覚です。先日、僕の甥っこが就農したのですが、親戚から反対されていました。そういう風潮がまだ残っているように思います。


教え合い、共有する、その理由とは。

――百姓国を旅する中で、どんな発見がありましたか?

知恵と技を惜しげもなく公開し、みんなで共有する姿勢です。優れた農家であればあるほど、それは強い。

30年間勤務した国連を退職して帰国し、出雲で農業を始めた先輩がいるのですが、先日、彼を訪ねたところ、近隣の農家の人たちが毎日夕方になると、畑仕事の帰りに立ち寄ってはなにかれとアドバイスしてくれるのだそうです。「信じられないくらい何でも教えてくれる」と言います。

なぜ、そこまで知識を共有するのか? 2つの理由があると、僕は考えています。

ひとつには、農業とは、基本的な知識や技術にもまして応用力が必要だから。田んぼも畑も道一本隔てれば、地層や地質が違って、水はけも違う。ひとつとして同じ条件の土壌はありません。異なる条件に合わせて土づくりや栽培法を工夫する応用力が求められる。それはすぐには身に付かないものなんですね。ああ、今年は育ちが悪かったとか、実の粒が小さかったとか、肥料をやりすぎちゃったとか、追肥のタイミングが悪かったとか、失敗を繰り返す中で習得していく。

チャレンジのチャンスが限られていることが、もうひとつの理由でしょう。農作物は基本的に年一作。おおざっぱに言って、たとえば30年で30回しかトライができない。しかも自然条件は毎年変わります。加えて最近は気候変動で過去の常識があてはまらない。でも、3人が3通りの経験を持ち寄って意見交換すれば、3年分の情報が得られる。10人集まれば10通りの試行錯誤をしたことになる。

農家の人たちが自分の発見を惜しげもなくオープンにする背景には、自然を相手とする農業の特質があるように思います。

種には先人の生命が凝縮して宿る。種を継ぐことが永続的な営みにつながる。「農業技術という共有財産の象徴が種」と柴田監督。

種には先人の生命が凝縮して宿る。種を継ぐことが永続的な営みにつながる。「農業技術という共有財産の象徴が種」と柴田監督。


農家は可哀そうじゃない。

――柴田監督の目に、農家の暮らしはどのように映りましたか?

米や野菜など自分たちが食べる食材の多くを自給できる農家の暮らしは、彼らのレジリエンシー(復元力)の一因を成していると感じます。変な借金さえしなければ、絶対に生き延びられる。

コロナ禍で花の需要が激減して出荷が止まったある花農家さんは「仕方がないや。小さな畑と田んぼでとりあえずは生きていける」と言っていました。台風でビニールハウスが倒壊した農家をたくさん知っていますが、みなさん、わりに淡々と体制を立て直すんですね。食べていくには困らない強さがあるからでしょう。茨城県の横田農場でも僕が取材に入る前年は台風や病気にやられまくって、収量が例年の2~3割だったらしい。それでも、次はどうやろうかと課題を見つけて、新しい課題にどう取り組むかを話している時は生き生きとしているんですよね。もちろん大変だけど、何年に一度かはそういうこともあるって織り込み済みで、それくらいのことには耐えられるという自信もある。

横田さんが言っていました、「農家っていうと、“可哀そうな人”“弱い人”という目線でメディアに載ったり、政策議論されることがほとんどだけど、実際はそうじゃない」。マスコミのニュースの多くは都市の目線で作られています。農家はいつだって災害弱者であり、被害者として描かれがち。でも、彼らの復元力は、私たちが思う以上です。

茨城県龍ケ崎市で800年続く農家、横田農場の横田修一さん。多品種分散栽培に加えて、直播栽培にも挑戦中。

茨城県龍ケ崎市で800年続く農家、横田農場の横田修一さん。多品種分散栽培に加えて、直播栽培にも挑戦中。

――今回、100年の歴史を持つ農業雑誌『現代農業』の出版元である農文協(農山漁村文化協会)が制作協力に入っていますね。

学生時代からの友人である農文協の編集局長、百合田敬依子さんに協力を仰ぎ、『現代農業』の取材チームと一緒に全国の農家を訪ねるところからスタートしました。編集においても、百合田さんに様々な助言をいただいています。

農文協のみなさんと仕事をしていると、「農家力」という言葉が頻繁に出てきます。彼らにとってのキーワードなんですね。なにせ日頃から百姓の百姓たる所以を目の当たりにしている人たちです、「農家は力強くて、創意工夫に富んでいて、学ぶこことだらけなんだよ」って言う。彼らに同行し始めたばかりの頃、失礼ながら僕の目にそれは「農文教」という宗教のようにも見えました。

僕自身は映画の中で「農家力」という言葉を使うことに最初は抵抗があった。なぜって、観察力や復元力といった、ここまで語ってきたような農家の特質が全部ひっくるめられてしまっていて、茫洋とした言葉だからです。「食の力」同様、何かを指しているようで、何も指していないのではないか、と感じられた。でも、編集を重ねていった最後の最後、「使ってもいいかな」という心境になっていました。百姓がテーマであれば、百姓の百姓らしさとは何かを再定義していくのが映画です。百姓って、こういうことなんだって、自分なりにわかったことを映像という旅を通して再定義していくわけですが、僕の中で「百姓とは何か」が積み上がっていった時、「農家力」という言葉に対して腑に落ちたというか、受け入れられた。確かに「農家力」と呼びたくなる総合的な力がある。もしかしたら、「農文教」に染まってしまったということなのかもしれませんが(笑)。


農業女子の映画を撮ってみたい。

――これからの食について思うことをお聞かせください。

先ほどもお話しした国連を退職した出雲の先輩から、「30年ぶりに帰国して、驚くことが多すぎる。日本って希望があるのかな」って言われた時、思わず「農家には希望があると思うんですよ」と答えていました。3年前だったら、考えられなかったと思います。この映画を撮る中で百姓に未来を感じたせいでしょう。それがもっと若い人に受け継がれていったら、この国はもっと良くなるのにと思う。

これからの食のあり方を考えるには、まずは誰もが野菜を自分で作ってみるのがいいと思っています。農作物とは生命体であると実感するはずです。種を蒔くためにどんな準備が必要なのか、蒔いたら何をしなければいけないのか、一回でもやってみると、いろんなことが見えてくる。スーパーに並んでいると、生命体であるはずの野菜もただの商品になってしまいます。商品として扱われるから、1円でも安いほうがいいという発想にもなる。我が家では栽培指導付きの貸農園で野菜作りをしているのですが、採れたてのナスの甘さに驚いたり、料理をしなかった僕が自作の野菜は自分で料理するようになったり、少しずつ変化が起きています。

農地には、生物多様性や治水、日本独自の景観など、環境全般を守る機能もある。

農地には、生物多様性や治水、日本独自の景観など、環境全般を守る機能もある。

――農業を題材とした映画を今後も撮られますか?

今回、ナレーションを農家さんにやっていただこうと、女性の声は「農水省農業女子プロジェクト」のメンバーからオーディションを行ないました。彼女たちの話を聞いて、いつか農業女子の映画を作ってみたいと思いましたね。百姓国の住民でも、男性は技術に意識が向くのに対して、女性は、消費者とどう向き合うか、どう売っていくか、地域や社会とどう付き合うかに意識が向く。百姓国の内側を向いて生きものと戦っている男性、その男性たちを外側へ向けようとしている女性。因習から脱した社会を目指す農業女子の気概に希望を感じています。
一方、出荷はしないけど、「おいしいから」と自分で食べるために多様な野菜を作るのも女性たち――在来種の多様性を守ってきたのも女性たちで、農にとっては母なる存在ともいえます。



◎「百姓の百の声」公式サイト
https://www.100sho.info/

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