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PEOPLE / クリエイター・インタビュー

青木良太(あおき・りょうた) 陶芸家

2017.02.05

photograph by Hiroaki Ishii
『料理通信』2012年10月号掲載

「陶芸界の日本代表を目指して」、名刺には日の丸を刷っている。
陶芸業界と現代社会との違和感を埋めるべく、若手陶芸家グループ「IKEYAN★」を組織するなど、その活動は活発だ。年間の展示会数が20を数える一方で、注文にも応える。陶芸の世界に新しい局面を切り開こうとする意志は強い。

オリジナルの釉薬レシピ

すしが世界に浸透した理由はいろいろあろうが、主たる要因は「シンプル」と「オリジナル」ではないか、と思えてならない。

「ネタ+シャリ」というシンプルな2パーツ構成とアイコンにしやすいデザイン化されたビジュアルは、フォークロアのはずなのにグローバル。カジュアルかつ洗練された姿の中に、日本オリジナルの

「魚食文化+米食文化」が詰まっていて、ヘルシーなファストフードという現代性もあるとなれば、世界中で流行るのもわからないではない。

若き陶芸家、青木良太さんの作品にも、すしと共通する要素があるように思うのは私だけだろうか。シンプルでオリジナル。フォークロアなのにグローバル。カジュアルで洗練された姿の中には紛れもなく日本独自の陶芸文化が詰まっていて、海外での評価が高いのも納得である。

自力本願に近づくために

海外以前に国内での人気が圧倒的だ。個展を開けば初日で主要な作品が売れてしまう。若い女性やモダンアート好きなど、その客層は昔ながらの陶芸愛好家の範疇をはるかに超える。フォークロアなのにグローバル――土着を超えたテイストが〝いわゆる陶芸〞からはみ出して、オブジェやアートの領域に踏み込んでいるからだろう。

陶芸は、柳宗悦が言うところの他力本願的な美術である。火がもたらす偶然性が生む美だ。従来、日本人はその偶然性を尊んできた。

が、青木さんの作陶は限りなく自力本願と言ってよい。火に委ねてしまうのではなく、火の作用を徹底的に研究して、コントロールする。オブジェやモダンアートに近い様相を呈するのは、そんなところにも理由がある。
写真で彼が手にしているのは、ゆるやかな歪みを持たせたフォルムの碗にオリジナルの釉薬をかけたシリーズのひとつ「太陽瓷BOWL」。他にも釉薬によって「黄金瓷」「プラチナ瓷」「赤金瓷」「深海瓷」「真珠瓷」など様々なバリエーションがあり、釉薬が醸し出す色味と質感のイメージで個々の名を持つ。彼のレパートリーの中でも人気が高く、NYでも好評を博した作品である。

「釉薬の調合は長い時間をかけて研究してきました。配合の微妙な違いでまったく変わるんです。年間で約2万パターン、多ければ2万5千パターンのテストをします。自分の想像もつかない色が上がってくることも少なくない。同じ配合でも土との組み合わせによって別物になりますし、テストを重ねるしかないんです」

土の性質、釉薬の配合、フォルム、窯の温度と時間・・・それらの組み合わせによって生まれる色彩を確実にデータ化した上で制作に入る。このデータの蓄積が彼の作品を他力本願から自力本願へと変える。「自分が欲しいものしか作らない」という明快なヴィジョンのもとに徹底コントロールして作られる作品が、デザインとしての完成度の高さを持つのは当然の結果かもしれない。

「渋いじゃん!」からのスタート

青木さんを語る時、必ず触れられるのが、ユニークな経歴である。「1日24時間のうち、8時間が仕事、8時間がプライベート、8時間が睡眠という配分ならば、好きなことを仕事にしよう」と思い立ったのが大学生20歳の時。

「1万円で中古のミシンを買って、『装苑』などを見ながら、服作りを始めたんです。置いてくれる店が徐々に増えたものの、手間暇かかって、採算が合わない」。次に手掛けたのがアクセサリーの制作。名古屋、豊橋、岡崎などの店で扱われるようになり、思いのほか順調だったが、金属加工に伴う痛みや匂いが肌に合わず、これも辞めた。次は美容師になるべく美容院でアルバイト。が、その頃、たまたま雑貨店で見た陶器に「何これ、渋いじゃん!」と感銘を受け、陶芸教室へ。「土に触った時、その感触に触発されて」、大学卒業後、多治見市陶磁器意匠研究所へ入った。「そこからは陶芸と心中する覚悟で勉強しましたね。昼食時、仲間がサッカーの話をしている間も、深夜のコンビニでバイトしている間もずっと釉薬の本を読んでいました」。

今はもう好きなことしかやっていないから、ただ楽しいだけという境地にある。その境地が、新旧の垣根やジャンルの境目、そして国境をも超えさせるのは確かだ。

彼のテーブルウェアを使うレストランが軽井沢にある。「ブレストンコート ユカワタン」。
ここは、世界料理コンテスト「ボキューズ・ドール」の日本代表を務めるシェフが腕をふるう
フランス料理店だが、用いるのは地元食材と日本ワイン。輸入文化からの脱却を目指す中で、テーブルウェアも日本発でと彼の器を選んだ。青木さんの作品が日本の陶芸の代表として海外で認知されていく一方で、国内では洋の器に取って代わるポジションも手に入れようとしていることが興味深い。

青木良太(あおき・りょうた)
1978年富山県生まれ。2002年多治見市陶磁器意匠研究所卒業後、岐阜県土岐市にスタジオを持つ。2004年ジュネーブのEcole des arts decoratifs に研修生として招かれる。2002年テーブルウェアフェスティバル最優秀賞・東京都知事賞、朝日現代クラフト展奨励賞、2004 年Sydney Myer Fund Australian International Ceramics Award(オーストラリア)銀賞、2005 年International Triennial of Silicate Arts(ハンガリー)銀賞、2007年4th World Ceramic Biennale 2007 Korea(韓国)銀賞、2008年TAIWAN Ceramics Biennale 2008(台湾)特別賞など受賞多数。トレードマークのターバンは10年前から。

 

本記事は、「EATING WITH CREATIVITY」をキャッチフレーズとする雑誌『料理通信』において、各界の第一線で活躍するクリエイターを取材した連載「クリエイター・インタビュー」からご紹介しています。テーマは「トップクリエイションには共通するものがある」。

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