緻密な計算に土地と感性を重ねる
ジェラート職人 茂垣綾介
2024.05.27
※こちらは2011年7月号に掲載した記事です。
取材の日、茂垣綾介(もがき・りょうすけ)さんはいくつものジェラートを抱えて現れた。ラズベリーはカカオバターを入れて奥行きのある風味、ブロンテ産ピスタチオは濃厚な味わい。適度に空気を含んだジェラートは、深い余韻を残してすっと溶けていく。
これが2007年から不定期にネット販売し、食通の間では噂になっていた、幻のジェラートか。仕事道具を見せてもらうと、温度計やジェラートの材料のほか、馬の骨が出てきた。 「これ、生ハムに使う道具です」ジェラート職人が、なぜ生ハム?
茂垣さんは、高校を中退し、ある時からひとり暮らしを始めた。生活費で一番高いのは家賃、次が食費。「まかない付き」の仕事は魅力だった。
就職2年目から料理の面白さに気付き、2001年にイタリア料理店に転職。野菜や魚、肉など「素材が違うと、料理もここまで変わるのか」と、素材の大切さを理解するようになっていったという。03年、シェフから「10日間休みをやるから、ヨーロッパに行ってこい」と言われ、初のイタリア旅行へ。
ミラノ、パルマ、ボローニャ、ローマを巡り、最後に訪れたレストラン「イル・コンヴィヴィオ」の食事に茂垣さんはノック・アウトされる。「素材の味を生かした素朴な料理なのに、洗練されている。こんな料理食べたことがない!」。この衝撃体験が、イタリアとの7年にわたる付き合いの序章となった。
生ハム、ジェラートとの出合い
04年、茂垣さんはレストランを辞め、イタリアへと旅立った。フィレンツェで1カ月語学勉強をした後、コンヴィヴィオに電話をすると「明日来られる?」。電車に飛び乗り、面接を受けた。シェフのアンジェロさんは会うなり「ディンミ(私に話してごらん)」と一言。一気に緊張して後の記憶は真っ白。熱意が通じて採用にいたった。
3人兄弟が経営するこのレストランは、末弟がシェフ。かなりの食材マニアで、ことあるごとにチーズやサラミをワイン片手にテイスティングさせてくれた。中でも茂垣さんの舌を捉えたのはグアンチャーレ。
イタリア加工肉の奥深さに触れ、文化背景ごと知りたいと、休みの日には肉屋で修業を始める。そしてサルーミ工房を訪ね歩いていた。05年、〝クラテッロの王様〞マッシモ・スピガローリ氏の工房に漂う熟成香に圧倒された。
ジェラートに出合ったのは、生産者巡りの道すがら。「お金もないから、レストランにはなかなか入れなくて。食事はバールでパニーノ、デザートにジェラート」。果物のペーストを使う店が大半を占める中、まれに土地の食材を生かした、はっとするおいしさのジェラテリアがあった。
06年、茂垣さんは2年間勤めたレストランを辞し、スピガローリ氏の工房で半年間修業。その後、ひょんなことから、ジェラート職人パルミーロ・ブルスキ氏に出会い、ジェラートの深遠な世界にものめり込んでしまった・・・彼の自宅に住みこみ修業するほどまでに。
計算の上に感性を重ねる
ジェラートは、数値が重要なファクターを占める。
固形分、糖分、脂肪分、たんぱく質量の計算で理論的にはレシピ完成。ジェラートの基礎化学を習得した茂垣さんは、より深く数値化するため、糖の種類、製法のほか、糖に水分がある場合や摂氏0度以下の場合の化学反応について、イタリア語で書かれた専門書をひも解き、ひたすら調べた。
レシピがあれば誰でも作れる、と言われるジェラートだが、茂垣さんは「本当のおいしさは作れない」と言う。「ピスタチオのロースト具合、牛乳の状態などによって調整しなければ、味わいがまるで違ってしまいます。理論の上に、職人としての感性が必要です」。カラメルにローズマリー、松の実とサフランといった食材の合わせ方にも、星付きのレストランで働き、食材の現場を見てきた経験が生きている。
料理人、サルーミ職人、ジェラート職人。一本に絞らなければ仕事にならないとわかっていても、なかなか一つを選択できなかったという。どれもが、化学反応の理論が土台にあり、その上に素材の持つ土地の香りや、料理人の感性があるもの。つまり、どれも茂垣さんの‟ツボ”ど真ん中なのだ。さんざん悩んでジェラート職人をとった。
「料理は好きなレストランがあるし、いいサラミを作る工房も知っている。でもジェラートは自分の作ったのが一番好きだから」。ちなみに店名のアクオリーナは、単語では‟涎”の意味。ところが成句では「食欲をかき立てる」となる。覚えやすくて響きがいいけれど、単純に辞書を引いてもわからない言葉を選ぶあたり、シンプルなのに豊かで、精確なのに茶目っ気ものぞかせる、茂垣さんのジェラートそのものだ。
◎アクオリーナ
東京都目黒区五本木1-11-10
水〜金13:00-22:00 (21:45 LO)
土日祝 13:00-20:00
月火休、不定休
http://www.acquolina.jp/
(雑誌『料理通信』2011 年7月号掲載)
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