信じるということ~「ヴィナイオータ」太田久人さん
藤丸智史さん連載「食の人々が教えてくれたこと」第8回
2016.09.15
連載:藤丸智史さん連載
何か「熱」のようなもの。
ラ・ビアンカーラ、ヴィドピーヴェッツ、マッサヴェッキァ、フランク・コーネリッセンと聞けば、ナチュラルワインが好きならば知らない人はいないだろう。そして、今やナチュラルかどうかで彼らをカテゴライズすることは意味がないほど、名実ともにトップクラスの生産者として、普通には買えなくなるほど大人気である。
ただ、私が彼らのワインに傾倒していった15年前は、そこまで著名とは言えないワイナリーであり、そして、ヴィナイオータという輸入会社自体も、彼らと同じくまだ無名な会社だった。
ヴィナイオータの創業者である太田さんと出会ったのは、私がまだイタリア料理店でソムリエをしていた頃である。たくさんのワインを試していく中で、自分が「これ、好き!」と思って裏ラベルを見ると、ヴィナイオータであることが多く、ちょうど京都で行われていた業務用試飲会に参加したのが最初だった。
当時の私は輸入会社の営業担当者とは接していても、バイヤーと話をすることはあまりなかった。実際に生産者と接して買い付けをしている太田さんの話はとても新鮮で豊かで、まるで生産者がそこにいるかのように語る彼の熱気にどんどん引き込まれていったのだった。そして、自分がソムリエとしてお客様に伝えていたことは、誰でも勉強すればわかるような「知識」にすぎず、実際には何も伝えられていないことに気付かされた。太田さんが私に伝えてくれたことは、単なる知識や情報ではなく、何か「熱」のようなものであり、自分が出会ってきた先輩ソムリエやワインショップの方々とは全く違うオーラを感じたのだった。
そして、私はヨーロッパに向かうことになる。元々はオセアニアに海外修業に行く予定だったが、その前に、太田さんがあれほど熱く語る人たちに会ってみたくなったのだ。しかも、生産者たちが当時新婚だった太田夫妻のためにイタリアでパーティを開くという。そこに運よく参加させてもらえることになったのだった。自分の大好きな生産者たちに一気に会えるのだから、一ファンとしても興奮どころの騒ぎじゃなかったのだが、そんなミーハーな気分で行ったことを、のちに恥じ入ることになる。
ただ、私が彼らのワインに傾倒していった15年前は、そこまで著名とは言えないワイナリーであり、そして、ヴィナイオータという輸入会社自体も、彼らと同じくまだ無名な会社だった。
ヴィナイオータの創業者である太田さんと出会ったのは、私がまだイタリア料理店でソムリエをしていた頃である。たくさんのワインを試していく中で、自分が「これ、好き!」と思って裏ラベルを見ると、ヴィナイオータであることが多く、ちょうど京都で行われていた業務用試飲会に参加したのが最初だった。
当時の私は輸入会社の営業担当者とは接していても、バイヤーと話をすることはあまりなかった。実際に生産者と接して買い付けをしている太田さんの話はとても新鮮で豊かで、まるで生産者がそこにいるかのように語る彼の熱気にどんどん引き込まれていったのだった。そして、自分がソムリエとしてお客様に伝えていたことは、誰でも勉強すればわかるような「知識」にすぎず、実際には何も伝えられていないことに気付かされた。太田さんが私に伝えてくれたことは、単なる知識や情報ではなく、何か「熱」のようなものであり、自分が出会ってきた先輩ソムリエやワインショップの方々とは全く違うオーラを感じたのだった。
そして、私はヨーロッパに向かうことになる。元々はオセアニアに海外修業に行く予定だったが、その前に、太田さんがあれほど熱く語る人たちに会ってみたくなったのだ。しかも、生産者たちが当時新婚だった太田夫妻のためにイタリアでパーティを開くという。そこに運よく参加させてもらえることになったのだった。自分の大好きな生産者たちに一気に会えるのだから、一ファンとしても興奮どころの騒ぎじゃなかったのだが、そんなミーハーな気分で行ったことを、のちに恥じ入ることになる。
孤高の生産者たちが自慢の1本を持ち寄った。
確か集合は15時頃だった。集合場所は教会で、しっかりとした結婚式からスタートした。レストランに移動してパーティが始まるのだが、供されるのはもちろん彼らのワインだ。「自分のワインで一番自信のあるボトル」という縛りがあったようで、みな、自慢の一本を持ち寄っていた。そして、各々に自分のワインをプレゼンテーションし、みんなでシェアし、楽しんだ。孤高の生産者ばかり、互いのワインを批評したり、認め合ったりと本当に贅沢な時間を過ごさせてもらった。
そんな珠玉の生産者の中でも、私が一番楽しみにしていたのが、白の造り手であるヴォドピーヴェッツのヴィトフスカである。彼の1998年を飲んだ時、「ワインとはこれほどワイルドで強い生命力を感じるものなのか?」と概念を覆された経験があった。この日、いったいどんなワインが出てくるのだろう……とワクワクしていたら、なんとサーブされたのはテッラーノという赤ワイン。
彼は静かに語り出した。
「私にはヴィトフスカと同じ面積のテッラーノの畑もあったのだけれど、資金難のため、半分はチューリップ畑にして現金をすぐに稼がないといけなくなった。ヴィトフスカを選ぶか、テッラーノを選ぶか、どちらか決めねばならなかった。テッラーノの方が人気があるのはわかっていたのだけれど、この土地のヴィトフスカが見せてくれる可能性を信じることにしました。数年かけて育てたテッラーノを、たった一度の収穫だけで切らねばならなかったことはとても悲しい。けれど、ワインを造り続けるには仕方なかった。
ヒサト、あなたは、私のワインが日本で売れていなくても私のワインを買い続けてくれている。このテッラーノのように、あなたがいなければ、私はワインを造り続けることはできなかったよ。本当にありがとう」
そして、他の生産者たちも続く。イタリア国内でもまだ認めてもらえないのにヒサトは買い続けてくれる。そして、そのおかげで我々はマーケットに迎合せず、思うようにワインを造り続けることができるのだ、と。何か身体の中に重しのようなものが生まれた気がした。
そんな珠玉の生産者の中でも、私が一番楽しみにしていたのが、白の造り手であるヴォドピーヴェッツのヴィトフスカである。彼の1998年を飲んだ時、「ワインとはこれほどワイルドで強い生命力を感じるものなのか?」と概念を覆された経験があった。この日、いったいどんなワインが出てくるのだろう……とワクワクしていたら、なんとサーブされたのはテッラーノという赤ワイン。
彼は静かに語り出した。
「私にはヴィトフスカと同じ面積のテッラーノの畑もあったのだけれど、資金難のため、半分はチューリップ畑にして現金をすぐに稼がないといけなくなった。ヴィトフスカを選ぶか、テッラーノを選ぶか、どちらか決めねばならなかった。テッラーノの方が人気があるのはわかっていたのだけれど、この土地のヴィトフスカが見せてくれる可能性を信じることにしました。数年かけて育てたテッラーノを、たった一度の収穫だけで切らねばならなかったことはとても悲しい。けれど、ワインを造り続けるには仕方なかった。
ヒサト、あなたは、私のワインが日本で売れていなくても私のワインを買い続けてくれている。このテッラーノのように、あなたがいなければ、私はワインを造り続けることはできなかったよ。本当にありがとう」
そして、他の生産者たちも続く。イタリア国内でもまだ認めてもらえないのにヒサトは買い続けてくれる。そして、そのおかげで我々はマーケットに迎合せず、思うようにワインを造り続けることができるのだ、と。何か身体の中に重しのようなものが生まれた気がした。
祝宴は感謝のパーティだった。
ヴィナイオータ自身がまだ創業期で、資金力も販売力も強いわけではない。でも、日本どころかイタリアでもまだ無名なワインを毎年買い続けていた。ブドウは秋になると収穫され、ワインになってリリースされる。賞味期限こそないものの、資金は在庫となり、管理に経費が掛かっていく。にも、関わらずだ。
いったい何が、そこまで太田さんを動かすのか?
それは「信じる力」ではないだろうか。
ワインを飲み、このワインならいつか華開くはずという自分の感覚への信頼と、この生産者ならいつか化ける日がくるという彼らへの信頼が太田さんの「熱」になり、そして、それが生産者にも伝わっているのだ。その強烈な信頼関係が彼らのパワーとなり、スター生産者へと駆け上がる原動力となったに違いない。そう、このパーティは、いつも自分たちを支えてくれている太田さんへの感謝のパーティだったのである。朝まで続いた宴は、最後の最後までとても温かく優しい空気に包まれていた。その輪を感じ取れただけでもとても幸せだった。
いったい何が、そこまで太田さんを動かすのか?
それは「信じる力」ではないだろうか。
ワインを飲み、このワインならいつか華開くはずという自分の感覚への信頼と、この生産者ならいつか化ける日がくるという彼らへの信頼が太田さんの「熱」になり、そして、それが生産者にも伝わっているのだ。その強烈な信頼関係が彼らのパワーとなり、スター生産者へと駆け上がる原動力となったに違いない。そう、このパーティは、いつも自分たちを支えてくれている太田さんへの感謝のパーティだったのである。朝まで続いた宴は、最後の最後までとても温かく優しい空気に包まれていた。その輪を感じ取れただけでもとても幸せだった。
数年後、私はワインショップとして起業した。ただ、酒屋の経験もなく、無名だった私と取引してくれる輸入会社はとても少なかった。かろうじて売ってくれたとしても前払いで、工事費なども含めた全予算がたった350万円しかなかった(それはそれで無謀だったのだが)店の棚はワインで埋まらずにオープン日を迎えた。
数日後、太田さんが来店して、スカスカの棚を見るなり、「藤丸君、ワインショップはね、ワインがいっぱいないとダメなんだよ。とりあえず、売れたら払ってくれればいいから、うちのワインで棚を埋めなさい」。
絶対にこの人に迷惑を掛けないように一生懸命働こうと思った。そして、気付いた、「あぁ、そうか、生産者たちはこんな気持ちだったのか」。あの輪の中に少しでも入れてもらえたのかと思うと、心がとても熱くなった。
数日後、太田さんが来店して、スカスカの棚を見るなり、「藤丸君、ワインショップはね、ワインがいっぱいないとダメなんだよ。とりあえず、売れたら払ってくれればいいから、うちのワインで棚を埋めなさい」。
絶対にこの人に迷惑を掛けないように一生懸命働こうと思った。そして、気付いた、「あぁ、そうか、生産者たちはこんな気持ちだったのか」。あの輪の中に少しでも入れてもらえたのかと思うと、心がとても熱くなった。
ヴォドピーヴェッツ ヴィトフスカ 1998
イタリア、フリウリヴェネツィアジューリア州カルソ地区の白ワイン。土着品種であるヴィトフスカは、もちろんメジャーな品種ではないが、彼の手にかかるとグランヴァンと呼ぶにふさわしいスケール感と緻密で凝縮感のあるワインが生まれる。リリース当初は荒っぽいワインだな、と感じることもあったのだけれど、いまやそれを覆い隠すぐらいの旨味に溢れている。
そして、本文に出てくるテッラーノ。幻のワインだが、本当にすばらしい味わいだった。
そして、本文に出てくるテッラーノ。幻のワインだが、本当にすばらしい味わいだった。
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