87歳。「外食のたびに、どうやって作るのか考えずにいられない子どもでした」
生涯現役|東京・田園調布「パテ屋」林 のり子
2025.08.07

text by Michiko Watanabe / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
林 のり子(はやし・のりこ)
御歳87歳 1938年( 昭和13年)1月14日生まれ
日本大学建築学科卒業後、オランダ、フランスの建築事務所に2年間勤務。帰国後、建築アトリエに勤務し、結婚。‘73年に東京・田園調布「パテ屋」を開業。同時に世界の食の仕組みを、気候や環境、さらには歴史や文化から探る「〈食〉研究工房」を設立。著書に『パテ屋の店先から かつおは皮がおいしい』(アノニマ・スタジオ)ほか。パテ作りの傍ら、動植物や微生物など多様な自然生態系を有し、独自の暮らしや文化を育むブナ科植物の多い樹林帯、ブナ帯地方をフィールドワークする活動を続ける。
(写真)林のり子さん。現在、厨房の作業の多くは若いスタッフに任せているが、味のチェックは欠かさない。モガモボ世代の母と、横浜のホテルニューグランドのコックさんに料理を習うような明治ハイカラ世代の祖母の傍らで、洋食が身近な家庭に育った。「子どもの頃から、レストランで外食したときも、出される料理の作り方はほとんどわかっている、と思っていましたが、後でお話ししますが、正式に習ったら全然違っていることがわかりました(笑)」

パテはジョーンズ氏の味の記憶を頼りに。
大学で建築を学び、建築家となりましたが、外国に住んでみたいという思いが強くて、かといって英語が堪能なわけではないので、優秀な学生が受ける留学生プログラムは難しそう。そんなとき、新聞広告でオランダ留学生募集の記事を発見して、試験がなさそうなので応募してみたら合格。オランダの建築事務所で1年、そのあとパリで1年図面を引いていました。
帰国したのが1964年の東京オリンピックの1年前。建築家と結婚して、彼のアトリエで働いていたのですが、料理の話だと雑誌や本なんかの知識と一緒にどんどん興味が広がっていくのに、建築の話となるとどうにも広がっていかない。もしかしたら、自分は料理の感度のほうがいいのではないか、と思うようになりました。
そんなとき、夫がUCLAに短期で教えに行くことになり私も行きましたが、ニューヨークの知人のアトリエに遊びに行った時、「これ、僕が作ったんだ」とレバーパテを出してくださった。わが家でもレバーパテは昔から食べていましたが、腸に詰めてある既製品で、まさか家で作れると思っていませんでした。実は、その知人は、後年、アメリカのポップアートの旗手となるジャスパー・ジョーンズ氏。みんなが若い頃でした。
建築アトリエの地方での大きな仕事を終えて東京に引き上げる時、建築はやめて“食”の方をやろうと心に決めて、子ども2人を連れて実家に戻りました。パテはジャスパー氏の味の記憶を頼りに、フランスの料理書を調べ試行錯誤を繰り返し、おいしくできるようになった段階で、建築家の宮脇檀夫人が「もっとみんなに知ってもらうべき。あなたが作ったら、私、みんなに配るから」と言ってくださって、毎週作ることになりました。
そんなある日、厚生省(現・厚生労働省)の職員だった兄嫁の母から「あなた、食べ物販売の許可はとっているの?」と聞かれ、慌てしまって。丁度、家を建て替えるときだったので、保健所のクリアすべき条件を全て満たした厨房を作りました。古い家にあった流し台とかも全部とってあったので、それをはめ込み、今も活躍しています。
そして、1973年4月1日開店。同時に『〈食〉研究工房』も立ち上げました。
今年で53年目になります。夏はセミの声がうるさくて “パテとワインでなく、枝豆とビールでしょう”ということで、8月は休むことに。4月にオープンしたばかりなのに、8月丸1カ月お休みなんて、ちょっと大胆でしたけど(笑)。今もずっとそうしています。パテ屋の最大の伝統?
ほら、いまの瞬間に味が生まれた。
壁はオレンジのペンキ、それも外壁用のペンキを塗ってもらいました。ペンキ屋さんから「厨房なのに白でなくていいんですか」と聞かれましたけど、オレンジは汚れが目立たないし、外壁用だからゴシゴシ洗える。床も壁もゴシゴシ洗って、8月のお休みに入ります。
パテ屋を始めてから、そういえば、私はこれまでお料理に一銭も授業料を払ってこなかったことに気が付きました(笑)。それで「全日本司厨士協会」「大阪あべの辻調理師学校」「文流海外研修企画部」などが主催する講習会に行き始め、「大阪あべの辻調理師学校」の夏期講習の2、3回目にはポール・ボキューズの講習会があり、数人で泊まりがけで行きました。中国料理は「中国料理研究会」「恵比寿中国料理学院」と、それぞれの国の文化についてお話は、興味が尽きませんでした。
料理によって味の決め方がありますが、なにしろ教えることはどうも苦手なので。まかないを作るときに “ここは見ておいて!! この瞬間に味が生まれるのよ!” と伝えることはあります。また、パテ屋の作業上であれば、“パテ・ド・カンパーニュ” の豚肉をスパイスに漬けておいて、そこに鶏レバーを入れますが、これは軽くソテーしてからフランベして刻んで加えます。これが味の決め手。ただの挽肉ではなくて、フランベすることで旨みが出る。ただの挽肉からパテに変わる瞬間です。
いま、パテ屋は水木金土の4日間の営業です。精肉店の都合で火曜日に届くレバーや豚肉などの食材は私が受け取ります。レバーは1週間に8〜10キロは必要。ニシンなどは、パテ屋の都合の良い日に、ノルウェーから船上冷凍されたものが届きます。ニシンはさばいて塩水に漬けて血を抜きます。スパイス酢は穀物酢にスパイスを入れ、3カ月ねかせます。仕事始めの水曜日は9時にスタッフが集まり、すぐにレバーの掃除に取り掛かり、開店までに生肉処理は終わらせ、菌が他の作業に移らないよう、細心の注意をします。レバーがやわらかいときには、塩を少なめに。素材の旨みが少ないから、塩が強くなりすぎてバランスがとれなくなるからです。
1980年代から、若い建築家たちと始めた、ブナ帯(落葉広葉樹林帯)の自然と生活文化のフィールドワークの研究成果を、2015年、「ブナ帯ワンダーランド」として発表したんですが、そのときの書籍をいま作っています。それが忙しくて、厨房は若い人に任せることが多いんですけど、もちろん、味のチェックは欠かしません。
毎日の生活ですか。なにしろ、スタッフが9時に来るというのに、朝8時にやっと起きてくる。それから飲まず食わずで仕事をして、まかないを食べる。まかないには必ずスープがつきます。「砂肝のカレー風味」を作る時の砂肝のスープはゼラチンがたっぷり出て、野菜も入れてそれは美味しいスープです。
仕事が終わったら、ひとりでの〜んびり録画しておいたテレビを2倍速とかで見る。その日のうちに見てしまいたいから(笑)。それからメールをチェックしたり送ったりだから、休む時間はだいたい深夜2時頃。夏休みは寝たり起きたりしながら、テレビを見るという、ひとり暮らしを満喫しています。


毎日続けているもの「パテ」
◎PATE屋
世田谷区玉川田園調布2-12-6
☎03-3722-1727
11:00 ~18:00(カフェは12:00~)
月曜、火曜、日曜休 ※8月に夏季休業あり
(カフェは木曜、金曜のみ営業)
東横線・目黒線 田園調布駅より徒歩8分
https://pateya.com/
■ご意見・情報はメールで(info@r-tsushin.com)
(料理通信)
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