生涯現役シリーズ #12
85歳の和菓子店代表。「接客は心が大切」
東京・吉祥寺「小ざさ」稲垣篤子(いながき・あつこ)
2022.01.06
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢化社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
稲垣篤子(いながき・あつこ)
御歳85歳 1932年(昭和7年)6月27日生まれ
「小ざさ」
東京生まれ。株式会社小ざさ代表取締役社長。6人兄弟の長女。写真の道を志していたが、父の勧めもあり、高校卒業後から店に入る。最初の店は、戦争の疎開時に手放し、終戦後、屋台での営業を経て、現在の場所で創業。2010年、著書『1坪の奇跡』(ダイヤモンド社)を出版。「以前は自分で豆を焙煎していた」と言うほど、大のコーヒー好き。
(写真)店に立つ稲垣さん。ハキハキと話す姿が印象的。足腰も丈夫で、自宅のある三鷹からほぼ毎日、歩いて店の様子を見に訪れる。
真面目にコツコツ商売を続けたい。
餡作りというのは、とことん鍋と向き合う、一対一の真剣勝負です。うちはガス火でなく、炭火を使うので、なおさらのこと。餡をヘラで注意深く混ぜながら、炭のくべ方、あぶくの吹き方、火から下ろすタイミング、全てに意識をまわします。ガスであれば最も温度が高いのは、鍋の中心ですが、炭はそうとは限らない。どの炭が温度が高いか見極めながら、鍋の中の温度差によって混ぜ方も変えます。餡の状態は、一瞬一瞬が違う。ヘラで混ぜていると、柔らかい液状だったものが、ぐっと締まってくる瞬間があります。その一瞬を見逃してはいけない。難しいけれど、これが面白いんです。
うちの羊羹と最中は、私の父が生涯をかけて作った、一つの芸術品です。学生時代から、父からとにかく味を叩き込まれてきました。羊羹は毎日、朝食を食べた後に味見するんです。お腹がいっぱいになって食べてみて、おいしくなければダメ。羊羹は作ってから1~2週間ほど寝かせてから、最中は作った翌日と、自信を持っておいしく食べられる状態で店頭に出します。
店に行列ができるようになったのは、1970年くらいのことです。当時としては珍しく、脱サラして自分の店を持った父のことが新聞に載ったのがきっかけ。以来50年近く、行列が絶えないのは、本当にありがたい一方で、不思議なことでもあります。1日150本限定の羊羹は、35年前から整理券を導入。毎朝、8時15分時点で先着50名様に整理券を配布し、営業時間内に羊羹と引き換えていただく方式をとっています。
150本というのは、着実に売れる量を見極めて算出した数です。よく「これだけ行列ができるんだから、羊羹の数をもっと増やせばいいのに」と言われることもあります。けれど商売というのは、明日、明後日に売れる数ではなく、何年も先のことまで考えて、安定的に売れる数というのを出さねばなりません。うちで言えばそれが、羊羹は1日150本、最中は1日1万3千~1万5千という数です。
今は実務的な部分はほとんど弟に任せ、社長として経営に携わっています。けれど店にはほぼ毎日顔を出し、気になったことは直接、従業員に伝えます。例えば、接客。ただ「いらっしゃいませ」と言えば良いのではなく、心が大切。お客様に対し、「よく来ていただきました」と、自分の家に迎えるような気持ちでお出迎えするように伝えています。店頭で品物を売っていると、お釣りの計算なんかに気を取られて、その辺りがおろそかになりがちですが、何事も心が大事ですから。
朝は8時に起床し、朝食を摂ります。朝食は、パンにハムやスープを添えて。大のコーヒー好きなので、朝のコーヒーも欠かしません。午後は散歩がてら、井の頭公園を抜けて、店の様子を見に行きます。夕食はあっさりと、魚が多いですね。テレビを見たり本を読んだりして、0時頃に寝ます。
吉祥寺もいろんな店が増えましたが、浮利に走らず、真面目にコツコツ商売を続けたい。儲けようとするのではなく、お客様にお得感をもって味わってもらえるよう、今の姿勢を変えず、長く続けられたらと願っています。
毎日続けているもの「羊羹」
◎小ざさ
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-1-8
☎0422-22-7230
10:00 ~ 19:30
火曜休
JR吉祥寺駅より徒歩3分
https://www.ozasa.co.jp/
(雑誌『料理通信』2018年6月号掲載)
※年齢等は取材時・掲載時点のものです