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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.52 ロンバルディア州ベルガモのチーズ生産を基盤にしたアグリツーリズモ経営者

2020.12.21

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

連載:イタリア20州旨いもの案内

手に入れたかったらまずは、そこにあるものを大切に守れ

2021年版レストランガイド『イル・ゴロザリオ』で唯一の「コローナ・ロッサ(赤い王冠)」受賞者、言い換えれば同書に網羅したイタリア国内3300軒に及ぶ飲食店の中で最高のレストランとして、僕たちはロンバルディア州ベルガモ県にあるアグリツーリズモを選んだ。
これは僕たちが「複数の星を手にできたレストランに焦点をあてて称賛する他のガイドブックとは一味違うことを強調するため」なんかではない。サステナビリティ、そして深い友情こそが僕たちの重要な指標で、そこに僕たちの愉快なアイデンティティを見出せるからだ。
「アグリツーリズモ・フェルディ(Agriturismo Ferdy)」は、グルメにはたまらないスポットであると同時に、僕たちにとって重要なこれらの価値観を体現している。

このアグリを情熱と強い責任感をもって切り盛りしているのは、ニコールとニコロ・クワルテローニ(Nicole & Nicolò Quarteroni)、ニコロの妹アリーチェ(Alice)とその夫で料理人のマルコ(Marco)。そしてそんな冒険を1989年に生みだした仕掛人は、ニコロたちの父親フェルディナンド(Ferdinando)だ。
自らフェルディ(Ferdy)と名乗るこの男は、アグリを子供たちに任せ、自分は山岳部ヴァル・ディンフェルノ(Val d’Inferno)にある放牧小屋で暮らし、牛と山羊を飼い、野生の木の実やハーブを摘み、チーズを作って暮らしている。周囲を取り巻く全ての野生に浸ることが彼の豊かな想像力の源となっているようだ。

アグリで旨い料理を数々堪能し、美しいものをあれこれ愛でているうち、フェルディがここを独り離れた理由が解せなくなり、興味が湧いた。が、COVID-19の影響でその時はヴァル・ディンフェルノまでの移動は許されず、想像に任せるしかなかった。
10月のある午後、再びロックダウンが始まる少し前、「コローナ・ロッサ」の唯一の受賞者となったことを直接本人たちに伝えたくて現地に赴いた際、ニコロの説得に応じてフェルディが電話口に出てくれた。

「今は、畑に鍬を入れているところで忙しいんだが……まあ、話せる時間は少しはある。そうさな、俺は58になるが、このオロビエ放牧小屋(le Alpi Orobie)がある山で育った。チリッロ(Cirillo)祖父さんと暮らしてた。親父はフランスに出稼ぎに出てそこで木こりをしてたからだ。
祖父さんはチーズ作りと農業をやってたが、そんなたいしたもんじゃない。わずかにあるものだけでやりくりしてたから、失敗も許されない、細々としたもんだった。傾斜が多い土地で、生活するのも大変で、そりゃ景色はきれいだが自然を手なずけるのが難しいところだから村を離れるやつがどんどん出てきた。

俺の母親も息子にはより良い暮らしをさせてやりたいと、俺を電気工事の学校に送った。学生としちゃ俺は出来が悪かったほうだが、初めての都会暮らしにもそのうちに慣れた。実際、俺はもっと遠いところ、サウジアラビアに行って2年間、電気工事の仕事に就いていた。知らない人や地域には興味があったから他の国にも行ったが、他を知れば知るほど終いにゃ俺の住んでた山もそれほど悪かぁなかったなと思うようになった。

それで30年前にここに戻ったんだ。チリッロ祖父さんは亡くなってたが、先祖代々受け継いできた技術や簡素な暮らしにある文化、たとえば重い背負いカゴの使い方、鎌で草を刈ったり、道のついてない放牧小屋までの歩き方から馬の乗り方に至るまで、祖父さんから教わってた。
俺が村を離れた時は小さ過ぎて残念ながらチーズの作り方は教えてもらってなかった。だからチーズ作りは自分で何とかするしかなかった。 ありがたいことに祖父さんがレシピを書いたノートを見つけたんだ」

フェルディナンドからは、隠遁者とかシャーマン(祈祷師)とかいった感じはなく、どちらかというと遠くを見通して今どうすべきかを知っている男という印象を受けた。
シンプルに率直に構築した彼の生き方は、一見、物欲でいっぱいの消費社会が持つ虚無感と一線を画しているように見えて、僕たちがこの頃ようやく理解し始めたばかりの「手に入れたかったらまずは、そこにあるものを大切に守れ」という偉大な真実を先取りしていた。

山で暮らす者なら誰もがそうであるように、フェルディナンドも実用的な暮らしの知恵を身につけている。そして「そこにあるものを大切に守れ。」の守るべきものを見つけだし、それを自らの手で生み出し、さらにはそれを他にも教えられる。森や山々は、人の自我をシンプルでありのままの姿へと誘ってきた。これ以上の癒しがどこにあろうか。

目標は、金儲けじゃなく、より良く暮らすこと

フェルディは、89年にサステナブルなツーリズムを基本とする乗馬訓練所とその他の動物の飼育場を開き、さらに98年に廃墟を購入して修復し、5つの客室をもつレストランにした。その時すでに彼には明確な発想があった。山で摘んできた野草や自家製のものだけを(現在は78%程度を自給)を用いた真のアグリツーリズモを作ること。だが、現在、それを子供のニコロとアリーチェに任せ、彼は山の上に戻っている。

「俺の目標は、金儲けじゃなく、より良く暮らすこと。ニコロとアリーチェも子供の頃は5時に起きて牛の乳を搾ってた。そんな文化を彼らも体で覚えているが、それを売ることにかけては俺なんかよりずっと上手い。だから彼らにそれは任せ、一緒に仕事はしても、俺の自由は残すために山に残ることにした。今は俺の第二の人生をどうしようかと考えてるとこだ」

これまで様々なことがあったが、彼は常に感動的なチーズを作り続けてきた。素朴で酪農品生産に適したブルーナアルピーナの原種から得た牛乳や、急勾配の山岳部での放牧に適し、健康で花の香りが特徴的な乳を出す土着のオロビカ種山羊によるものだ。
いずれも牧草地の草花と牧草だけを食べさせて飼育した家畜から手絞りで得た生乳で、酵素は添加しない。

牛乳を用いて作るチーズには何種類かあるが、いずれも伝統を重んじた製法で生産している。かなり熟成の進んだストラッキーノ、フォルマイ・デ・ムットゥ(Formai de Mut:山のチーズの意)はアルペッジョ(夏期の山岳高地放牧)で作られる定番チーズ、ビット・ストリコ・リベッレ(Bitto Storico Ribelle)はアルペッジョのチーズの中でも最も有名なものだが、わずかに山羊の乳を加えたもので、10年以上の熟成も可能だ。

だがフェルディが最も大切にしているのはオロビカ(Orobica)種山羊のもの。この品種の山羊はほとんど飼育されなくなっていたものを彼が復活させた。
彼の暮らすヴァル・ディンフェルノ地区は、レッコ県(Lecco)のヴァルサッシナ(Valsassina)地区やソンドリオ県(Sondrio)のヴァルテッリーナ(Valtellina)地区と境を接しており、これらの地区を跨いでオロビカ種の山羊と3県の伝統チーズ製法を一つにまとめ、スローフードのプレシディオ認証(消滅の危機にある少量生産の地域産品を守る認証)を獲得することが出来た。彼の作るチーズには、ベルガモ風ロビオラチーズやレッコ県特産フォルマジット(Formagit)、ヴァルテッリーナのマットゥシン(Matüshin)がある。

「俺が冬場暮らしているオルニカ(Ornica)村は標高1200メートルで人口は147人。そして春になると家畜を連れて標高2000メートルまで上り、洞窟の中でチーズを作ってる。ストラッキーノは干し草の上で熟成させるが、これはチーズに干し草のタイム、セイヨウノコギリソウ、セイヨウオトギリといったハーブの香りが残るから。干し草はいつも大事な資源だ。

干し草の上にゴロンと横になれば疲れもとれる。俺は四六時中、独特で強い香りに包まれてる。キッチンにも常に少なくとも30~40種類のハーブが置いてある。なぁに、教わったことをやってるだけさ。肉はあんまり食べない。豚を山で飼ってサラミにするのと、年くった乳牛からはブレザオラを作る。この頃じゃどんな肉からでもブレザオラを作るが、本当は乳を出さなくなったブルーナアルピーナ種から作られるもんだった。

俺は、こんなウールの帽子をかぶった山の男さ。そんなのが作ったチーズがビバリーヒルズにある(マッシモ・)ボットゥーラのレストランで出されてるそうだ」
ちょっぴり皮肉交じりのトーンでそう言ったが、そこには地域性を欠くことに対する恐れなどは感じられなかった。

僕たちのような小さな存在のとる行動が、
世界を変えることが頻繁に起きている

さてここからが奇跡で、この話の最も意味深いところ。
フェルディは高地から世を見下ろし、次の若い世代がアグリツーリズモをしっかりと営んでいる。レストランで磨いた腕と、伝統への愛のこもった正統な料理を、イタリアでも特に山岳地帯で造られるオーガニックワイン40種類と合わせて提供している。時にはサステナビリティの名のもとに頻繁に生産者間の協力体制が生まれたりもする。

ブレンバーナ(Brembana)渓谷にあるレンナ(Lenna)地区は、フェルディと妻のチンツィアが二人で最初のアグリを始めた地区で、現在のフェルディもここにあり、子供たちの手でさらに事業としてアグリツーリズモが盛況になっていった。

ショップで品定めを楽しむ人、スパコーナーでは自分へのご褒美としてフェルディ特製ハーブのエッセンシャルオイル、干し草、そしてフェルディが育てたオロビカ種山羊ミルクなどでマッサージしてもらうこともできる。加えて、石、木材や干し草をテーマとした12の客室もある。SNSを駆使したプロモーションはフォロワーも多く、食通や、アウトドア好きだけでなく、比較的若年層も多く見かける。ショップで販売される製品にも、単に目新しいだけでなく、貴重なものが多い。

娘のアリーチェが言う。「COVID-19のためにオンライン販売に力を入れることになりましたが、お陰で、この部門の質を向上することが出来たんですよ」
全てが完璧でいながら気負いがなく、作り物っぽいところもない。幼い頃から早起きして乳を搾って育ったからだろうか?

ここでの父フェルディの功績は、自分に手渡された価値を次世代に手渡したことと、自分は一歩後退、いや彼の場合は高地に引っ込み、息子たちとその伴侶らに人生の大冒険としてきっぱりと後を譲ったこと。「父が汝に残したものを手に入れたくば掴み取れ。」そう、ゲーテも『ファウスト』に記している。

強い者ほどその子供らに、より長い成果を受け継がせることが出来る。だがそれには、表に見えるものの向こうで何が良いもので、正しく、有益かをはっきりと読み取る力が必要となる。息子のニコロが確信をもって僕に言った。
「僕たちのような小さく取るに足らない存在のとる行動が、世界の全てを変えてしまうことが頻繁に起こっていると思うんです。そして実際に変えているでしょう」

パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it





[Shop Data]
Agriturismo Ferdy

Loc. Fienili, Fraz. Scalvino
Lenna (BG) Italy
Tel (+39) 0345 82235
https://www.agriturismoferdy.com/it
e-mail: info@agriturismoferdy.com

Agriturismo d’Alpe(フェルディさんの放牧小屋)
Val d’Inferno
Ornica (BG) Italy





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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