日本 [岩手] 日本の魅力 発見プロジェクト ~vol.6 岩手県 一関・平泉エリア~
平泉とその周辺地域に伝わる伝統文化
2017.12.11
一ノ関駅前の観光拠点「一BA(いちば)」。一関・平泉エリアの観光についてはここにお任せあれ!手ぶら観光カウンター(※)も設置されている。一関平泉イン・アウトバウンド推進協議会 代表理事 松本数馬氏(中央)※ 10:20までに手荷物を預けると、岩手県内の宿泊施設に当日配達をしてくれる。大きな荷物を持っていても快適に岩手の旅を満喫できる、岩手県内初のサービスだ。
「大陸から、遥か150マイル離れた所に大きな島がある。それは、どこの国にも従属していない独立国家であり、色白で美しく、礼節を重んじる人々が住んでいる島である。その名はジパング。ジパングは、莫大な量の黄金を持つ国で、なんと、その国の王が居住する大きな家には金が貼り巡らされているのだ。全ての部屋の壁面、窓、天井に貼られた黄金は、指2本程もの厚さがあるのである。黄金の他にも、真珠や貴重な岩石など、ジパングの持つ資源の価値は計り知れない。」
(古イタリア語版『Il Milione』より抜粋・翻訳Rei Saionji)
この一説は、1298年に、マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞したことを編纂した旅行記「東方見聞録」の中の日本について書かれたものである。奥州藤原氏が治めていた平泉の歴史を紐解いてみると、東方見聞録に列挙されている「金」以外の日本の資源である「貴重な岩石」とは、「鉄」であったのかもしれないと想像させる史実も見つけた。岩手県には現在、秀衡塗、浄法寺塗、岩谷堂箪笥、そして南部鉄器の4つの「伝統的工芸品」がある。長い歴史の中で起こる変革にも負けずに「ものづくり」の魂を継承している人々を訪ねてみようと、東京駅から東北新幹線に乗った。一ノ関駅は、「はやぶさ」か「はやて」に乗れば、東北の南の玄関口である仙台から3駅。所要時間も2時間弱の快適な旅だ。
◎ 一BA(いちば)
https://www.facebook.com/ichiba.tohoku/
岩手県一関市上大槻街1-5
☎ 0191-48-3838
9:30〜18:30 土/月 休
中尊寺
輝き続ける東洋の黄金伝説 - 夢の跡からの復活
歴史資料によれば、奥州藤原氏の初代である藤原清衡が50歳の850年頃、それまでの戦いに明け暮れざるを得なかった半生に区切りをつけ、平和な世の中が訪れることを祈るために釈迦如来と多宝如来を安置する多宝寺を築いたことが、事実上の創建であったという。戦乱で家族を失い、兄弟とも剣を交えなければならなかった清衡の非戦の決意として、この地に仏の教えによる平和な理想社会を建設するための礎であった。
昭和26年(1951年)に国宝建造物第1号に指定された金色堂は、藤原清衡の廟堂(びょうどう)として建立されたもの。内部の須弥壇内には清衡、基衡、秀衡の3代の遺体が安置されている他、奥州藤原氏の終焉のきっかけを作ってしまった4代目当主の泰衡の首が安置されている。
◎ 中尊寺
http://chusonji.or.jp
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
☎ 0191-46-2211
無休 8:30~17:00(3/1~11/3)8:30~16:30(11/4~2/末)
大人800円
毛越寺
蘇りし浄土で魂を清める
「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、中尊寺の他に、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山が世界文化遺産である。その一つである毛越寺は、中尊寺と同年の850年に、円仁によって創建されたと伝えられ、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」には、中尊寺をしのぐほどの規模であったと記されているが、幾度にも亘り焼失し、平成元年(1989年)に、平安様式に則して再建されたのが、今の本堂である。
◎ 毛越寺
http://www.motsuji.or.jp/
岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢58
☎ 0191-46-2331
無休 8:30~17:00(11/5~3/4 8:30~16:30)
一人500円
座禅体験は通年行っているが、早朝座禅会は夏季のみ。(要事前予約)
一人1000円(団体料金あり)
猊鼻渓(げいびけい)
江戸時代までは村人さえも知らなかった真の秘境
猊鼻渓とは、砂鉄や砂金が取れたという由縁で名前がついた砂鉄川沿いに、高さ50メートルを超える石灰岩の岸壁が約2キロに亘って続く渓谷。奥州藤原氏の落人が砂鉄を取りながらひっそり暮らしていたとも伝えられている猊鼻渓。江戸時代までは、藩に提出しなければならない風土記や絵図にも記されておらず、村人さえも知らなかった真の秘境だった。この美しい渓谷を船頭が棹一本で操る舟に乗って堪能することができるのが「猊鼻渓舟下り」。船頭さんがお国訛りで話してくれる説明に耳を傾けながら、絶景を楽しむ。「何故かは分からないが、長年の経験からここが一番、音が響いて上手く聞こえる」という場所で船頭さんが、舟唄「げいび追分」を歌ってくれる。その朗々とした歌声が辺り一面だけではなく、心や身体に響き渡り、やさしいお国訛りと合わせて気持ちをさらに和ませてくれる。猊鼻渓は、自然が作り出した巨岩と木々や透明な川の水の美しさを目で楽しむ景勝地であるだけでなく、耳と心でも存分に楽しめる極上の景勝地である。
◎ 猊鼻渓舟下り
http://www.geibikei.co.jp/funakudari/
岩手県一関市東山町長坂字町467
☎ 0191-47-2341(げいび観光センター)
8:30~16:30 無休(天候状況によって欠航あり) 大人1600円
平泉から車もしくは、バスで30分ほど。(4月中旬~11月初旬、平泉・猊鼻渓・限定、平泉~げいび渓線 500円)。
かぢや旅館 別館らまっころ山猫宿
雨にも風にも負けない猊鼻渓の立役者
猊鼻渓から徒歩6分の場所にある「かぢや旅館別館 らまっころ山猫宿」で昼食。「猊鼻渓で観光の舟を最初に浮かべたのは、かぢや旅館でした。」と語るのは、「かぢや旅館別館 らまっころ山猫宿」18代館主である小原結(おばらつむぎ)氏。「かぢや旅館」は当時、旅館業の他に鍛冶屋業と木流しを行っていた。猊鼻渓の周辺に豊富に生えていた赤松などの銘木を伐りだし、筏(いかだ)に乗せて砂鉄川から北上川へと流して運ぶ「木流し」に使っていた舟で「猊鼻渓舟下り」をはじめたのだ。田山花袋 や宮沢賢治などの文豪も訪れていた「かぢや旅館」は、およそ300年前の創業という老舗旅館である。しかしながら残念なことに、平成14年(2002年)の台風6号の大雨により壊滅的な被害にあったため、現在の営業は別館のみ。宮沢賢治が「かぢや旅館」に足を運んでいた頃の手帳に、「雨ニモ負ケズ」の詩が見つかったという。雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、台風の被害にも負けない「かぢや旅館」を支える一家とスタッフの方々の暖かい心。本館が復興される日も、そう遠い未来ではないはずだ。
◎ かぢや別館 らまっころ山猫宿
https://www.ramatkor.com/
岩手県一関市東山町長坂字町42
☎ 0191-47-3377