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JOURNAL / JAPAN

日本 [沖縄] 星野リゾートのファームプロジェクト――vol.3

島の文化をホテルの畑が継承する。

2019.12.09

photographs by Shinya Morimoto

「星のや竹富島」の敷地には畑があります。
小さな畑ですが、竹富島の文化を伝え継ぐ上で大きな役割を担っています。
栽培者がほとんどいなくなってしまった作物を育てる、竹富島内で消滅の危機に瀕した在来種を復活させるなど、文字通りホテルが土地に根を張る要となっています。
地域と手を携えるリゾートホテルの新しい生き方がここにあります。

おじいから受け継いだ芋と粟。

10月20~21日、竹富島は「種子取祭(タナドゥイ)」のクライマックス、奉納芸能の日を迎えていた。「種子取祭」は10日間にわたって開催される島最大の祭りだ。約600年の伝統があると言われ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
舞台で最初に奉納されるのが「ホンジャー」と呼ばれる豊作祈願と芸能の奉納を宣言する芸能。その芸能に欠かせない粟を、2年前から「星のや竹富島」が栽培してきた。



2019年の「種子取祭」の奉納芸能「ホンジャー」では、「星のや竹富島」の畑で栽培された粟が使われた。


粟は本来、竹富島を代表する作物だが、最近は栽培する人がほとんどいなくなっていた。


鍬を担いで踊る女性たち。「種子取祭」の奉納芸能には農作業から題材を取った演目が多い。


栽培を担うのは、「畑プロジェクト」担当の小山隼人さんである。
東京出身の小山さんは、離島への興味から「星のや竹富島」への配属を自ら希望してやってきた。着任後は、島の文化に魅せられ、おじいやおばあの家に通う日々。島民から学んだ文化をゲストに伝えるべく、「種子取祭」にまつわるプログラム開発などを手掛ける中で始めたのが、伝統作物を敷地内で栽培する畑プロジェクトだった。
指導者は、小山さんが熱心に通ったおじいの一人、91歳になる島の長老、前本隆一さん。
「前本さんは、島の生き字引きです。竹富島の昔の人は自給自足で生きてきたから、生きる術を多様に持っている。知識は農業に留まらず、ひとつの話題をふると10の答えが返ってくる」と全幅の信頼を寄せる。



2016年の入社と同時に竹富島へ。島にとって役立つ存在でありたいと強く願う。



珊瑚礁の隆起によってできた竹富島の土壌は琉球石灰岩から成るため、水田に向かず、米が栽培できない。ちなみに竹富島には山も川もない。「主な農作物は芋と粟。特に芋が島民の食生活を支えてきた」と小山さん。
そんな土壌の性質を物語るのが島を代表する景観、石垣である。
「鍬で耕していると、すぐに石に当たる。その石を掘り出して積み重ねたのがあの石垣なんですよ」
ただ積んだだけ。コンクリートなどで固めてあるわけではない。が、多孔質で雨水や風を通すため、台風の雨風にも崩れることがない。「星のや竹富島」の建物は「竹富島景観形成マニュアル」に従って建てられているが、その石垣も建設時に掘り起こされた石を積んだものだ。
食も住まいも風土の上に形作られることがよくわかる。



集落の家々を囲う石垣。舗装されていない道を島民が箒で掃き清める。箒の跡が清々しい。


「星のや竹富島」の敷地内の石垣。形もサイズも不揃いで穴だらけ。



畑を通して島を知る。

土地のデメリットを活かして、島の人々は生きてきた。その暮らしぶりを知れば知るほど、小山さんは島の文化、畑の文化に惹き付けられたという。
「観光化が進むにつれ、畑から離れる人が増えたそうです。祭で使う粟も栽培者がほとんどいなくなり、代わりにキビが使われるようになった。その話を前本さんから聞いて、ならば、星のやの畑で栽培できないだろうかと」

前本さんから白芋、紫芋、黄金芋の3種の蔓、そして、粟の種を譲り受け、敷地内のハーブガーデンだった畑に植えた。温暖だから、芋は1年に3回の植え付けと収穫ができる。収穫した芋は、かつて島の人々が主食として食べていたものに近い形でおやつに仕立ててラウンジで提供する。粟は祭に合わせて栽培と収穫を行う。粟を収穫した後の畑には前本さんから譲り受けた島ニンニクを植える。
「畑の中には竹富島の文化が色濃く映し出されています。種子取祭という名称もそうですが、祭で奉納される芸能は農作業にまつわる筋書きが多い。島の歳時記も多くが農作業に紐付く。畑を耕すようになって、島の人々とつながりが深くなり、島の文化への理解が深まった気がします」
小山さんは、畑を通して島を知り、島のいっそう奥深くへと入っていく。



「芋は種芋より蔓を植えるほうがよく育つ」と小山さん。植え付けの時期は問わないそうだ。

紫芋、白芋、黄金芋で作るおやつ。「昔の人はふかし芋をつぶしておにぎりのようにして食べたそうです」。

軒下に吊るされた島ニンニク。竹富島では「ピン」と呼ばれる。小ぶりで、味わいはやさしい。



途絶えていた在来大豆を復活。

2019年からは、在来品種の大豆「クモーマミ(小浜大豆)」の栽培にも取り組む。
「前本おじいの家にペットボトルに入った大豆がありました。蒔かないのかと尋ねると『これはもう芽が出ないんだよ』と言う。聞けば、古くから栽培されてきたクモーマミと呼ばれる大豆で、昔は豆腐も味噌もクモーマミで作られていたそうです。豆腐は家庭ごとに、味噌は集落で集まって共同で作ったとか。それが外国産の大豆の流入によって、クモーマミを栽培する人がいなくなった。『クモーマミで作った豆腐は旨かったなぁ』とおじいが語るのを聞いて、よし、復活させようと決意したんです」

小山さんは、クモーマミがどこかに残っていないか、尋ね回った。八重山農林高校が「宇宙大豆プロジェクト」(*1)に参加した関係でクモーマミを所有していることがわかり、種を譲り受ける。元竹富公民館長の大山榮一さんのサポートを得ながら、2月に島の子供たちと種蒔き、3月には収穫に向けて昔ながらの豆腐作りを島の知恵袋、新田初子さんから教わり、5月から収穫、6月の「集落の日(星のや竹富島から島民に感謝の気持ちを伝えるイベント)」には収穫したクモーマミで作った豆腐を来場者にふるまった。
「学びたい気持ちを受け止めてくれる人々がいて、学べる環境がうれしいんです。そのお返しがしたい。クモーマミを増やして、その種を島の人々に渡すことができたら本望です」



クモーマミ。竹富島の隣に浮かぶ小浜島の在来種で、小浜大豆とも呼ばれる。


クモーマミを畑に蒔く小山さん。「まだ経験値が少ないため、早く栽培のコツを掴んで収量を上げたい」


植え付けをしたら祈る。立てた3本のススキは、天の神、地の神、アールマイの神(疫病から守ってくれる神様)を表している。



“島民と共存共栄”がモットー。

「学びたい気持ちを受け止めてくれる人々がいる」のは畑に限った話ではない。
「種子取祭」に欠かせない伝統食「イイヤチ(もち米、粟、小豆を大鍋で炊いて練り上げて作る餅)」をゲストにふるまおうと、伝統的な作り方を島の人々に教わった。が、伝統食作りには経験が必要で、すぐに上手く作れたりはしない。「私たちがイイヤチ作りに取り組んでいると知った方が『これからうちでイイヤチを作るから、見においで』と誘ってくださるんですよ」と小山さん。総支配人の本多薫さんも島の草刈りに参加していると、「イイヤチがうまくできないんだって? 大丈夫かい?」と人々から声を掛けられた。
「島のみなさんが私たちのことを心配してくれる」と本多さんは言う。それにしても、星のや竹富島スタッフの島への溶け込み方は驚くばかりだ。「種子取祭」にも本多さん、小山さんをはじめ多くのスタッフが参加して、祭を陰で支える黒子「座待(ザータイ)」、事前の草刈り、奉納芸能など、様々な役割を務める。
「島民と共に歴史や文化を受け継ぎながらリゾート運営していくことが私たちのミッションだからです」、そう語る本多さんの言葉は揺るぎない。「私たちは“島民との共存共栄”をモットーとしています。それは、星のや竹富島の立ち上げの経緯が特殊だったことも関係しているかもしれません。成り立ちからすでにそのように運命づけられていたとも言えるのです」。



「種子取祭」に欠かせない「ピンダコ」(ニンニクと蛸の和え物)も、島のおばあから教わってホテルで提供。

総支配人の本多薫さん。竹富島の伝統的景観そのままの敷地内で。「島の知恵なくして私たちの仕事は成り立たない」。



「星のや竹富島」の開業は2012年。きっかけは遡ることその5年以上前、竹富島の事業家・上勢頭保氏と星野リゾート代表の星野佳路氏との出会いだった。観光化が進む中で土地が外部資本に次々と買われていく状況を止めるべく、両者で竹富土地保有機構を設立。土地を買い戻して、竹富島の環境と文化を保全するためのリゾート施設をつくろうと考えたところから「星のや竹富島」はスタートしている。

「地元の人々の理解を得るために、2008年1月から、何度も話し合いを重ねました。東集落、西集落、仲筋集落という3つの集落ごとに、さらに、狩俣・家中うつぐみ教室(*2)の民宿組合、老人会、婦人会、青年会それぞれに開催した。そうして2年後、竹富島の自治組織である竹富島公民館の定例総会で賛成159人・反対19人の賛成多数により建設が承認されたのです」

竹富島には、1986年に制定された「竹富島憲章」がある。「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」に、自然・文化的景観を観光資源として「活かす」を加えた5つの基本理念が示されている。また、竹富町教育委員会が編集した「竹富島景観形成マニュアル」が存在する。いかに島民が主体となって自分たちの島を守ってきたかの証だ。
「そんな島の人々に受け入れてもらったことへの感謝、私たちも島の一部を担っているのだという責任を感じながら、日々営んでいます。適宜、島の人々と運営の相談会も開いているんですよ。『お客さんは入っているか? 私にできることがあれば手伝うから遠慮せずに言ってくれ』とおっしゃる方もいる」

自分たちで守る。その方法は自分たちで決める。竹富島には意志があり、自治がある。
「うつぐみの精神です」と本多さん。「うつぐみ」とは「みんなで協力すること」。島には「かしくさや うつぐみどぅまさる」、みんなで協力することこそ優れていて賢いとのスピリットがあるという。
「道路は何キロ以下で走るほうが環境負荷は少ないだろうといった細かいことまで、みんなで話し合って決める。先日も種子取祭の会合に参加していたら、『奉納芸能は神様に見せるものなのだから、観客のためにプログラムを刷って配る必要はない』と主張するおじいがいた。何事もみんなで執り行なう、うつぐみの精神が竹富島の持続性につながっていると思います」

本多さんは、2015~16年に「星のや竹富島」に勤務するが、いったん離れ、2018年12月、総支配人として着任した。改めて島の自治を目の当たりにして、話題のマネージメント術「ティール組織」(*3)と島の自治が酷似していると気付く。「昔から続いてきた組織運営が最新の組織論と重なり合うことに感銘を受けました」。
今、「星のや竹富島」があるのはうつぐみのおかげ。本多さんにはそう思える。島を守ることを島民一人ひとりが自らの問題と考えた。時間をかけて話し合って、その結論として「星のや竹富島」がある。だから、自分たちも島民の一人になりたいと願う。そんな心のつながりの上に「星のや竹富島」は築かれていると思えることが、本多さんは誇らしい。



奉納芸能初日の夜は、東集落、西集落、仲筋集落から島民が集結し、「世迄い」を行なう。


祭の運営はもちろん、日常のまつりごとが島民の自治によって行われている。


見晴台から「星のや竹富島」全景を見下ろす。「竹富島景観形成マニュアル」に則って造られている。


どこが入口かわからないくらいささやかな表示しかない。



“農業×リゾート”が種を守り、生活文化を守る。

芋、粟、大豆に続いて、畑プロジェクトは命草の継承に取り組み始めた。命草とは、島の人々の健康を支えてきた薬草、琉球版ハーブだ。風邪の時に煎じて飲むシーショ(赤紫蘇)、虫刺されや傷の患部に汁にして塗るハンダマ(水前寺菜)などが挙げられる。
「命草畑を作りました。新田初子さんを指導者に迎えて、島の子供たちと集落内の命草を探して散策、植え付けをした。子供たちには命草ノートを作ってもらい、日頃から道端で命草を見つけたら、おじいやおばあに尋ねて記録するんだよと伝えた。次世代への継承のチャンスを増やしたいのです」と本多さん。
観光化が進み、農業から離れた人が増えたことで、粟や在来大豆の栽培が途絶える危機に瀕したことを考えれば、農業の継続がすなわち島の文化の継承につながることは明らかだ。本多さんはそう信じている。
「農業とリゾートを掛け合わせると、農業に紐付く植生や食文化、生活文化が継承されていく可能性が生まれます。私たちにとっては、農業に携わることで、島の人々との結び付きが増えて、スタッフが語る言葉にも説得力が生まれる。何よりも、そういった活動が滞在中のお客様の満足度を高め、共感へとつながるのだと思います」



命草は「星のや竹富島」の料理にも取り入れられている。竹富島の風土を映すコース「島テロワール」(2020年3月10日まで)の一品「牛フィレ肉パン包み焼き 命草のベアルネーズと共に」は、長命草やフーチバ(ヨモギ)を練りこんだパンで牛フィレ肉を包み焼きにする。

*1 全国各地の地大豆を宇宙に打ち上げ、研究や教育、地域活性に活用する取り組み。2010年、全国20地域の大豆が国際宇宙ステーションに打ち上げられた中に、「クモーマミ(小浜大豆)」も入っている。
*2 沖縄国際大学・狩俣恵一教授と鳥取大学・家中茂准教授による勉強会が当時開かれていた。
*3 組織の存在目的のために個々人が自分の使命を自発的に見出すことで全体が有機的に動くという考え方。



◎ 星のや竹富島
沖縄県八重山郡竹富町竹富
☎ 0570-073-066(星のや総合予約)
https://hoshinoya.com/



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