日本 [北海道] 星野リゾートのファームプロジェクト――vol.1
“農業”がリゾートを豊かにする。
2019.10.04
朝食で提供される「たっぷりクリームのフレンチトースト」。敷地内で作られる「トマム牛乳」を使用している。「トマム牛乳」はノンホモ、低温殺菌。
農家の高齢化から消滅の危機に瀕した在来作物の栽培に「星のや竹富島」が取り組んでいる――というエピソードは、リゾートホテルの新しい役割を示唆します。
自然に根を張るリゾートホテルだからこそ“農(生産)”に関われる。人が集まるスポットだから、後継者不足の地域にあって“伝承”の役目を果たせる。ゲストを喜ばせるためのホテルの仕事が地域を守る。地元と手を携える中で新しいリゾートのかたちが立ち上がっていく……。
“ファームリゾート”の可能性を模索する星野リゾートの取り組みを4回にわたってクローズアップします。
第1回は今春「ファーム星野」をオープンした「星野リゾート トマム」です。
敷地内で牛を飼い、ミルクを生産する。
「星野リゾート トマム」の朝食専用レストラン「プラチナム」(宿泊者のみ利用可)で提供される牛乳は、敷地内にある「ファーム星野」で飼育された牛から搾ったものを使っている。スペシャリテの「たっぷりクリームのフレンチトースト」に使われる材料も同様である。
「星野リゾート トマム」は、約1000ヘクタール(東京ドーム213個分)の敷地に、「リゾナーレトマム」「ザ・タワーⅠ・Ⅱ」などのホテル棟とスキー場、スパ、20を超えるレストランやカフェ、教会などを擁する、北海道ならではの大規模リゾート。その敷地内に、今春、「ファーム星野」がオープンした。100haの草原で12頭の牛が悠々と草を食む。
「元はゴルフ場だったんですよ」と語るのは、「ファーム星野」の立ち上げから手掛け、現在は日々、牛の世話に心を砕く宮武宏臣さんである。
宮武さんがトマムに赴任してきたのは2年前。それまでは銀座オフィスでIT系のマーティングを担当していた。ある時、会社からファーム星野の話を聞き、「やらせてほしい」と名乗り出たのだという。
「元々、信州大学農学部で学び、“日本の農業はハードの整備だけでなく、人が集まるソフトの整備も重要”と考えたことが、星野リゾート入社の理由です。農業と観光の融合を図りたいとのヴィジョンを持っていました。2002年の入社以来、ブライダル、代表のアシスタント、IT戦略事業などを経験してきましたが、入社15年目にしてヴィジョンの実現にチャレンジできることになった」
2016年、ゴルフ場が台風による甚大な被害を受けたのを機に、リゾートとしてのあり方を熟考した上での牧場への転換だった。
星野リゾートには、その土地ならではの文化や産業、地域の営みにまつわる体験を提供する、という考え方がある。北海道ならではの文化や産業とは何か、それらを活かして提供できる体験とは何かを模索した時、「農」というキーワードが浮かび上がったのだった。農の営みが景観を守り、農の営みが人々に癒しを与え、農産物が旅を豊かにする。まさに農業と観光の融合である。
「昔、この辺り(占冠村)は牛を1000頭近くも飼っていたそうです。その原風景に戻そうと、私たちは考えました」
放牧地としての適性を確認すべく、専門機関への検査を依頼すると、残留農薬の心配はなく、草の種類もケンタッキーブルーグラス(芝草であり牧草でもある種)で、問題なく牧場に転換できると診断された。1年かけて、より栄養価の高い草を植え、若い牛を借りてきて放ち、糞をさせて、踏み込ませて、放牧地として作り上げて、牛を迎え入れた。
「経営的には最もよく乳を出す3~5歳の牛を揃えるのが一般的な牧場の運営法と言われます。つまり、牧場では時折牛の入れ替えが行われる。そういったタイミングで譲り受けるなどして牛を集めました」
牧場として磨きをかける。
搾乳所には、牛の名前と特徴を記したプレートが貼られている。パンダ、ハート、シロ、クロ、ルル、ロロ……。「一頭一頭、個性があってクセもある。どのスタッフが担当しても彼らが気持ちよく搾ってあげられるように」との宮武さんの配慮だ。
搾乳は朝7時と夕方5時の2回。できるだけミルクに衝撃を与えないよう、パイプラインミルカーではなくバケットミルカーと呼ばれるアナログな方法で搾っている。ワインにおけるグラビティフローシステム(果汁に衝撃を与えないよう、重力を利用して移動させる。主に先進的なワイナリーが導入している)と近い考え方と言っていい。
レストランでは生産者との連携を強化。
乳量に限りがあるため、まだまだファーム併設のミルクスタンドと朝食のみでの提供だが、「レストランでも使えるようになったら、ぜひ使いたい」と語るのは、今夏オープンしたレストラン「OTTO SETTE TOMAMU(オットセッテ トマム)」の武田学シェフだ。
北海道がイタリア北部のピエモンテ州やリグーリア州の風土と類似性を持つところから、道産食材を北イタリア料理で提供しようとの意図で立ち上がった「オットセッテ トマム」の料理は、当然のことながら、食材が鍵を握る。
「生産者とのつながりを大切にしています。ハーブ農家さんにこちらから『こんなハーブ、作れませんか?』とアプローチしたり、アスパラガスの太さの相談をしたり。一般ルートでは入手がむずかしい食材も多いため、緊密なやりとりを心掛けています」と武田シェフは語る。
北海道は陸海ともに優れた食材を産する反面、全国的に名が知られたブランド品になると地元より東京で珍重されるケースも多い。士別産サフォーク種の羊を仕入れたいと生産者に問い合わせたところ、「北海道でこそ使ってほしいと思っていた」と喜ばれたそうだ。
農業が人を呼ぶ“ファームリゾート”。
北海道を代表する冬のリゾート地だったトマムに、夏も人を呼び寄せたのは、雲海だった。
ゴンドラの整備員が夏、山の上から眺める雲海を「人に見せないのはもったいない」と考えたのがきっかけだ。
自然をそのまま堪能するほどの贅沢はない。
そんな夏のトマムの見所に「ファーム星野」が加わって、夏のリゾートがいっそう充実した。
連日スキー客で賑わう冬の間、草原は雪に覆われ、牛たちは牛舎で過ごす。
「牛は暑いのが苦手で、寒いのは比較的得意。マイナス20℃くらいになったりしますが、わりと平気みたいです」と宮武さん。
宮武さんにとって、牛は一緒に働く仲間だ。土を自然に戻し、景観を守り、生産物を作り、訪れた人々に喜びをもたらす仲間である。
「ここの牛たちは、よく歩き、よく走って、めちゃめちゃ健康です。牛乳の生産効率を考えると、乳量の多い牛を揃えたほうがよくて、牛の入れ替えの必要があるのかもしれないけれど、ここは牛乳の生産だけが目的ではないから、みんなと一生仲間でいたい」
宮武さんは今、週の半分をチーズ作りの研修に充てている。車で1時間ほどのチーズ工房へ通って、実地にチーズ作りを学ぶ。年内にはトマムにチーズ工房を開設する予定だ。よりチーズに適した乳質のブラウンスイスを2頭、すでに仲間入りさせた。世界に誇れるクオリティのチーズ作りを目指していく。
「農業が人を呼ぶリゾートのかたちをつくり上げたい。ワインが世界中から観光客を招くナパヴァレーが目標です」
やがて「ファーム星野」は全国へ展開していくことになる。
◎ 星野リゾート トマム
北海道勇払郡占冠村字中トマム
☎ 0167-58-1111
https://www.snowtomamu.jp/