HOME 〉

JOURNAL / JAPAN

日本の食 知る・楽しむ

アンコウ鍋「いせ源」 since 1830

連載 ― 世界に伝えたい日本の老舗 服部幸應

May 01, 2016

アンコウは下茹でをしっかりしてくさみを取り除き、骨を抜いて食べやすい大きさに。白いのはウド。三ツ葉、椎茸、銀杏、アン肝が入り、昆布と鰹節でひいただしと割り下を合わせた鍋地で煮る。刻み柚子の香りがよく合う。1 人前3500円(写真は3人前)。

text by Michiko Watanabe / photographs by Toshio Sugiura

時代を超えても愛され続ける料理は、素晴らしいなと思います。アンコウ鍋もその一つ。奇っ怪な風貌からは想像もできないほどのおいしさに、江戸っ子たちは虜になったとか。しっとりと情緒あふれる建物でいただく鍋は、体が芯から温まる、これからの季節にはたまらない逸品です。7代目を継承したばかりの若き当主、立川博之さんにお話を伺いました。

「東のアンコウ……」はここが始まり

創業は天保元年(1830年)。京橋のドジョウ屋が当店のスタートです。初代の名前が庄蔵でしたので、店名は「いせ庄」。「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」というのが、江戸の流行物だったそうで、伊勢出身ではありませんでしたが「いせ」を冠したようです。2代目が明治の初めにこの場所に店舗を移したのですが、ここ神田須田町は当時の交通の要所。近くにやっちゃ場もあって、にぎやかな場所でした。ですから、大衆的な店にしたんですね。古いメニューが残っているのですが、ドジョウ鍋のみならず、20種近い鍋がオンリストされています。

一般的に、アンコウ鍋はみそ仕立てが主流だったのですが、神田の人の舌に合うよう、醤油仕立てにしたところ、人気が集中。中興の祖であります曾祖父、4代目の政蔵がアンコウ鍋専門店にしたのでした。以来、東のアンコウ、西のフグと称されるようになったとか。その頃と味は一切変えておりません。

創業当時はドジョウ屋としてスタート。2代目から、あんこう鍋をはじめ、青柳鍋やいか鍋、しゃこ鍋、ねぎま鍋、かき鍋など、様々な種類の鍋料理と定食を出していた。


東京大空襲を逃れた神田の一角には、歴史的建造物に指定された飲食店が並ぶ。

アンコウの産地として、かつては茨城、千葉が有名でしたが、現在は北海道、青森でとれるものが9割以上。アンコウは共食いもする、風貌も猛々しいにもかかわらず、非常にデリケートな魚で、浜で投げたりすると、打撲を負う。傷つくと、そこから弱るんですね。だから、委託業者にお願いして、丁寧に水揚げしてもらっています。ウナギほど危機的ではありませんが、収獲量が徐々に減少しているため、10年ほど前から水産庁が資源量をモニタリングしている状況です。

当店では、シメてから36時間以内にご提供していますが、その身は弾力があって実に滋味深い。とくに、身がしまってくるこれから3月末までが、まさにシーズン。吊るし切りにしまして、鍋には、俗にいう「七つ道具」、大身(背骨についている身)、肝、ひれ肉、胃袋、稀少な頬肉、卵巣、皮のすべての部位を入れるようにしています。割下は、昆布とカツオ節のだしに、醤油、みりん、砂糖を加えて、毎日作っていますが、夏は気持ち、だしを減らし、濃いめの味つけにしております。

こちらの建物、昭和5年の建築ですが、風情がありますでしょう。このあたりは、東京大空襲も災害も免れた、恵まれた場所。これからの時代、世相が大きく変わっても、入れ込みのお座敷で鍋を囲んで楽しむ、そんな古きよき大衆文化を残していきたいなと思っています。


店に入ったら、たたきで靴を脱ぐスタイルは江戸から続く老舗ならでは。右上には、立派な神棚が祭られていて、これも必見。

風情のある2階の広い座敷。客席は1~3階まであり、全120席ほど。「入れ込みのお座敷で、鍋を囲む昔ながらの風景を残していきたい」と立川さん。

最近は、古い建物に感度の高い若い世代のお客さまも増えています」と語る7代目の立川博之さんは、今年30歳。



◎いせ源
東京都千代田区神田須田町1-11-1
☎03-3251-1229 
11:30~13:30LO、17:00~21:00LO(土曜、日曜、祝日は通し営業) 
日曜休(12~3月は無休、4~9月は土曜、日曜、祝日休) 
東京メトロ淡路町駅より徒歩3分

料理通信メールマガジン(無料)に登録しませんか?

食のプロや愛好家が求める国内外の食の世界の動き、プロの名作レシピ、スペシャルなイベント情報などをお届けします。