「魚の減少」にどう取り組むか? すし職人ゆえのジレンマと覚悟
「日本橋蛎殻町 すぎた」杉田孝明
2025.07.17

text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda,Nobuyoshi Miyamoto
すし屋が魚を買えない。時化でもないのに市場に魚が並ばない。海の急速な異変に飲食店、中でも地方のすし店は危機感を募らせている。
豊かな海と日本の魚食文化を未来につなぐ活動を展開する「Chefs for the Blue」のメンバーで、当代随一との呼び声の高いすし職人、「日本橋蛎殻町 すぎた」店主・杉田孝明さんに話を聞いた。
目次
- ■飲食業が直面する魚介類減少の厳しい実態
- ■「誰よりもすし屋が考えなきゃいけないが・・・」
- ■「昔はよかった」と言わないために
- ■ニュースで知るより飲食店で知るほうが心に響く
- ■うっすらでも、皆でやればインパクトがある
飲食業が直面する魚介類減少の厳しい実態
「水産資源の枯渇は問題提起の段階はとっくに過ぎている。例えるなら、進行性の癌宣告をされて、ステージがどのステージかという段階」
Chefs for the Blueが、2025年6月2日、水産資源の回復と食文化の維持・継承に向けた提言書を、小泉進次郎農林水産大臣および森健水産庁長官に提出した。提言に先立ち、全国の飲食事業者を対象として、水産物調達の現状に関するアンケートを実施。そこに書かれていた飲食店主の声だ。
アンケートの結果を見ると、10年前と比べて、流通する魚介類の物量が「とても減った」「減った」と回答したのが95.2%、魚種等の選択肢が「とても減った」「減った」としたのが78.1%、今後の魚介類の仕入れについて72.7%が「危機感がとても大きい」と答えている。

杉田さんが市場(当時は築地)に通い始めたのは約30年前。「市場へ行って、並んでいる魚を見て、そこから選ぶという買い方でした」。それが豊洲移転の頃から変わってきた。「必要な魚は予め注文してほしい」と取り引き先から言われるようになった。昔だったらあって当たり前の時期にあるとは限らない、手を尽くして揃えなければ用意できないからだ。「見ながら選ぶ時代は終わりました」。
それでも、東京には全国から魚が集まる。豊洲がすし屋を支えてくれている。対して、地元で揚がった魚をメインに営む地方のすし店はそうはいかないことを、杉田さんはアンケートの回答から痛切に感じたという。「文章が長くて熱がこもっているんです。魚がない現実の厳しさは東京の比ではない。すし屋を続けられないのではないかという危機感をひしひしと感じました」
「誰よりもすし屋が考えなきゃいけないが・・・」
アンケートの有効回答者数1301人のうち、26.9%がすし職人。日々市場に通い、何十種もの魚と向き合うすし職人の割合の多さが調査結果の現実味を裏付ける。
今回、多くのすし職人が回答した背景には「日本橋蛎殻町 すぎた」店主・杉田孝明さんの尽力がある。一人でも多くのすし職人の声が調査に反映されるよう、杉田さん自ら職人仲間にアンケートへの参加を働きかけたのだった。
「水産資源の問題については、誰よりもすし屋が考えなきゃいけないと思っています。他のどの料理ジャンルよりも魚との関わりが深いはずですから。でも、同時に、この問題に最も取り組みにくいのもまたすし屋なんですね」
減少した水産資源を回復させるために必要なのは、環境・生態系の保全・回復を図り、水産資源の適切な管理を行なうことだ。具体的には、捕る量を減らす、捕り方を制限するといったコントロールが不可欠となる。しかし、店で用いる食材の大部分が魚であるすし店にとって、使える魚に制約を課せられることは経営的なダメージとなりかねない。
「すし屋ゆえに直視できずにいたという部分があるかもしれません」

「僕がChefs for the Blueのメンバーとして活動し始めた頃、ちょうどマグロのまき網漁が問題視されていました。当時、日本のマグロ資源激減には、産卵期に産卵場所に集まるマグロをまき網漁で大量に獲ることの影響が大きいとされていて、僕はまき網漁によるマグロは使わないと決めた」
まき網漁が最盛期となる6、7月、市場にはまき網によるマグロがどっと出回る。価格も下がる。多くのすし店にとってはお客さんを呼び込む好機であり、そこで通年の仕入れ値のバランスを取るというすし店も少なくない。が、杉田さんはぐっと堪えてまき網のマグロを使わないできた。
「それができるのは、曲がりなりにも経営が軌道に乗っていたから。マグロがなくても許してもらえるようになっていたから」
マグロは江戸前ずしの華だ。すし屋へ来てマグロを食べずに帰る客はまずいない。
「自分が使わないのだから、お前たちも使うなよとは、弟子たちに言えない」
まして、同業者や取り引き先の人々に「扱わないでほしい」「捕らないでほしい」と言うのはむずかしい。
マグロに限った話ではない。他の魚も同様だ。
「昔はよかった」と言わないために
それでも、杉田さんがChefs for the Blueのメンバーとして活動するのは、「『昔は良かった』とは言いたくない」との強い思いがあるからだ。
「上の世代からよく言われたんですね、『昔はよかったよ。もっとたくさん魚がいて、もっとおいしかった』って。そう言われると悔しくて仕方がなかった。いや、味は今のほうが良いはずです。捕り方も品質保持技術も流通も調理法も進歩していますから。ただ、資源量は昔のほうが多かった。それに甘えて捕り過ぎたという側面もあるでしょう。このまま魚が減り続けたら、10年後、20年後、今度は自分が『昔はよかった』って口走ってしまうかもしれない。『昔はマグロと言えば天然だった』とかね。絶対にそれはしたくないんです」
すし職人でありつつ、Chefs for the Blueのメンバーとして活動していくには覚悟が要る、と杉田さんは言う。
「トップであり続けなければいけないと思っています。水産資源の活動に一生懸命なあまりあのすし屋はダメになった、料理人は料理だけやっていればいいんだよ、なんて言われないように。でないと、若い世代が活動に入ってきてくれなくなってしまう。こういった活動をすることがカッコいいんだって示したい。Chefs for the Blueのメンバーはみなその覚悟でやっていると思いますね」

ニュースで知るより飲食店で知るほうが心に響く
Chefs for the Blueが提言するのは、主として、資源調査・評価のための予算の拡充、科学的根拠に基づいたTAC(漁獲可能量)やIQ(個別割当)による管理の着実な推進、資源の保全・回復に必要な小型未成魚の保護、沿岸魚種の資源管理の強化などだ。
「僕たちが求めているのは、まずは調査をしてください、ということなんですね」
保護や管理が効果を発揮するには、取り組みが業界の垣根を超えて徹底されることが重要だ。Chefs for the Blueのメンバーが「使うべきでない魚は使わない」という姿勢を自店で貫いたとしても、資源の回復に与えるインパクトは小さい。漁業の現場から流通業、小売業、飲食業まで、フードチェーンが一体的に取り組まなければ功を奏しない。
「そのためには、調査が重要になってきます。今、どのくらい捕れているのか、どれくらいの稚魚が生き残って親になるのか、生息環境はどうか、成長速度はどうかなどを正しく把握しなければ、どのように管理すべきか、どの程度の規制が必要かも見えてきませんから。そして、規制が今ある補償制度の対象外なら、関係する漁業者に対して保障を行なってほしい」
そのための提言書なのである。

うっすらでも、皆でやればインパクトがある
提言書の提出に関する記者発表会で、杉田さんは次のような発言をした。
「お客さんに水産資源の話をしていたら、『あれ、その話、つい先日も聞いたな』と言う。『そうだ、てのしまで聞いたんだ』と。ちなみに『てのしま』の林亮平さんはChefs for the Blueのメンバーです。同じ話を複数の店で聞かされると一気に真実味が増すんですね。そもそもメディアから流れてくる情報は社会一般のややもすれば他人事。でも、店でおいしく食べながら聞いた話は心に深く刻まれる。自分事として受け止められる」
料理人と食べ手、双方に当事者意識を持ってほしい。そのためには、飲食店が水産資源の問題について語ることには大きな意味と効果がある。杉田さんはそう考える。
「温暖化だから仕方ない、ちょっとやったところで意味がないではなく、うっすらでも皆でやるのがいい。そうすれば効果が出ることは、太平洋クロマグロの資源量の回復が示していると思いますね」
太平洋クロマグロは、国際的な資源管理によって資源量が回復傾向にあることから、2024年12月の国際会議で漁獲枠が増やされた。30キロ以上の大型魚はこれまでの1.5倍に、30キロ未満の小型魚はこれまでの1.1倍になった。それを受けて、杉田さんもマグロとの向き合いを少し変えた。
「我慢していれば増えるんだよということを伝えるためでもあります」
魚を使わなくては商売できないすし屋だからこそできることはある。
杉田さんによれば、アンケート調査への参加を働きかけたことによって、全国のすし職人たち、約100人がLINEグループでつながったそうだ。日々魚と向き合うすし職人だからこそできることが何かあるのではないか? 杉田さんはこのつながりを大切に育みたいとの思いを温めている。




杉田孝明(すぎた・たかあき)
1973年、千葉県生まれ。TVドラマ『イキのいい奴』(NHK)を見てすし職人に憧れ、高校生の時にすし屋でアルバイトをし、すし職人になると決める。高校卒業後、東京・日本橋蛎殻町の「都寿司」に入店し、山縣正氏のもと研鑽を重ねる。12年間にわたる修業の後、「日本橋橘町 都寿司」を独立開店。2015年には、義理の両親が経営していた洋食レストランの跡地に移り、現在の「日本橋蛎殻町 すぎた」をオープンする。江戸前の伝統をさらに発展させた、当代一の呼び声高いすし職人。2019年からChefs for the Blueメンバー。著書に『「すし」神髄』(プレジデント社)がある。
◎日本橋蛎殻町 すぎた
東京都中央区日本橋蛎殻町1-33-6 ビューハイツ日本橋地下1階
☎03-3669-3855
月曜、火曜休
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