進化するということ~「徳山鮓」徳山さん
藤丸智史さん連載「食の人々が教えてくれたこと」第2回
2016.03.10
連載:藤丸智史さん連載
食に貪欲になった瞬間。
私は人見知りで出無精である。家の中でジッとしているのが大好きで、本やTVも観ずにふとんに一日中くるまっていることに何よりの幸せを感じる。
と、そんなことを言っても、最近の私を知る人は誰も信じないかもしれないが、ほんの数年前まで、休みの日は家どころかふとんからも出ない日がしょっちゅうで、よく働き、よく寝ることがモットーだった。
そんな人間が、である。休みの日に、晩ご飯を食べるために2時間かけて通うお店ができたのだ。これには誰よりもまず自分が驚いた。ワインショップとして創業した後だったし、当時も食への意識は低いわけではなかったのだろうけれど、ある意味、食に貪欲になった瞬間だったのかもしれない。
と、そんなことを言っても、最近の私を知る人は誰も信じないかもしれないが、ほんの数年前まで、休みの日は家どころかふとんからも出ない日がしょっちゅうで、よく働き、よく寝ることがモットーだった。
そんな人間が、である。休みの日に、晩ご飯を食べるために2時間かけて通うお店ができたのだ。これには誰よりもまず自分が驚いた。ワインショップとして創業した後だったし、当時も食への意識は低いわけではなかったのだろうけれど、ある意味、食に貪欲になった瞬間だったのかもしれない。
都市生活者の驕りを打ち砕いた店。
今時、都会に住んでいれば、手に入らないものの方が少ない。特に食に関しては、都市部であれば食べ物には困らない飽食の時代だ。でも、それは都会人の驕りであり、錯覚だった。こちらから足を運ばずにはありつけない、そして、そこまでする価値のある「宝物」がこの世に存在することを私は知ってしまったのである。
そこは琵琶湖の北に位置する余呉湖(よごこ)。その湖畔にひっそりと佇む「徳山鮓」という日本を代表する料理旅館が今回のテーマである。
余呉というと関西の人間でさえスキー場ぐらいしか思いつかないのだが、いざ余呉の駅に降り立ってみると、普通の田舎駅とは雰囲気が違うことに気付く。眼前に広がる静かな湖とその奥にそびえる山並み、冬であれば凛とした雪景色がさらに加筆される。駅前には商店どころか建物もなく、静寂。
このあたり一帯は鮒鮓(ふなずし)に代表される「なれ鮓」で有名なエリアであり、ここ徳山鮓の代表的な一品も鮒鮓を挙げる方が多いだろう。
そこは琵琶湖の北に位置する余呉湖(よごこ)。その湖畔にひっそりと佇む「徳山鮓」という日本を代表する料理旅館が今回のテーマである。
余呉というと関西の人間でさえスキー場ぐらいしか思いつかないのだが、いざ余呉の駅に降り立ってみると、普通の田舎駅とは雰囲気が違うことに気付く。眼前に広がる静かな湖とその奥にそびえる山並み、冬であれば凛とした雪景色がさらに加筆される。駅前には商店どころか建物もなく、静寂。
このあたり一帯は鮒鮓(ふなずし)に代表される「なれ鮓」で有名なエリアであり、ここ徳山鮓の代表的な一品も鮒鮓を挙げる方が多いだろう。
これぞ本当の「一番風呂」。
最初に訪れたのは8年前ぐらいだろうか。食業界の大先輩に連れていってもらったのがきっかけで、当時はまだ料理旅館というより、泊まることも可能な日本料理の店という感じだった。他にスタッフがいたのかどうかはわからないが、お会いしたのは徳山ご夫妻だけだったと記憶している。ちょうど露天風呂が完成したばかりで、宿泊用の部屋やテラスなども初訪問時にはまだ今のような形にはなっていなかった。徳山さんの「ちょうどいいタイミングで来たねぇ。昨日、お風呂完成したところやから、一番風呂入っておいで」と言われたのを今でも覚えている。これぞ本当の「一番風呂」である。
「鮒鮓」だけではない。
さて、料理である。前情報では鮒鮓ということしか頭になかったのだが、それはあっさり覆された。徳山鮓の「鮓」の字のごとく、鮒だけではなく鮎や他の魚も「鮓」になっていた。
だが、決してこのお店の売りは「鮓」だけではない。いや、むしろ、名物である「なれ鮓」はそのコンセプトの一環であり、構成する要素の一つだ。
徳山鮓が表現するもの、それは「余呉の四季」である。
徳山鮓周辺は本当に自然豊かなところで、湖からは、わかさぎ、鮎、うなぎ、山からは熊に猪、山菜やきのこ類がもたらされる。そして、それらを確かな慧眼と見事な調理技術で、ここでしか食べることのできない四季折々の料理として完成させる。お客は余呉湖の美しい風景を見ながら、そこから生まれる自然の恵みを最高の形で食べることができるのだ。ただ料理を味わうだけでなく、こうも見事に五感で「テロワール」を楽しませてくれるお店はそうはない。自然に抱かれるとは、まさにこのこと。
持参したワインをすっかり飲み干し、地元の銘酒「七本槍」に鞍替えし、素晴らしい料理とともに夜が更けていく。ご夫妻の気さくな人柄も相まって、寝床につく頃にはもうすっかり虜にされていた。「次はいつ来ようか……?」とふとんの中でスケジュールを確認したのを今でも覚えている。
徳山鮓が表現するもの、それは「余呉の四季」である。
徳山鮓周辺は本当に自然豊かなところで、湖からは、わかさぎ、鮎、うなぎ、山からは熊に猪、山菜やきのこ類がもたらされる。そして、それらを確かな慧眼と見事な調理技術で、ここでしか食べることのできない四季折々の料理として完成させる。お客は余呉湖の美しい風景を見ながら、そこから生まれる自然の恵みを最高の形で食べることができるのだ。ただ料理を味わうだけでなく、こうも見事に五感で「テロワール」を楽しませてくれるお店はそうはない。自然に抱かれるとは、まさにこのこと。
持参したワインをすっかり飲み干し、地元の銘酒「七本槍」に鞍替えし、素晴らしい料理とともに夜が更けていく。ご夫妻の気さくな人柄も相まって、寝床につく頃にはもうすっかり虜にされていた。「次はいつ来ようか……?」とふとんの中でスケジュールを確認したのを今でも覚えている。
変化していく。深化していく。
ただ、私が徳山鮓を特別な存在として見るようになったのはこれだけが理由ではない。季節を変え、メンバーを変え、年に数回は通うことになるのだけれど、その度に徳山鮓は変化し、深化するのだ。
それは四季が変わるからという意味ではない。たとえば鮒鮓の仕込み方にしても、いわゆる風味が豊かなものから、最近では、あの独特な風味に慣れていない方向けに香りを控えめにしたタイプもある。なにしろ今日仕込んで明日できるわけではない。半年かけて発酵の状態を微妙に調整しながらゆっくりゆっくり作り上げていくのである。今では鮒鮓に浸かった「飯」の使い方も独特で、なんと半年間も浸かって役割を終えたかに見える飯の部分をアイスクリームに仕立てている。爽やかな酸味が口の中をきれいにしてくれて食事の締めくくりとして最高である。
また、冬場の名物である「熊鍋」。熊の脂身とネギが絶妙な組み合わせだ。そこに運よく天然のキノコが入ったら、さらにワンランク格が上がる。そういった徳山鮓ならではの料理のブラッシュアップはもちろん、お子さんが修業先から戻って強力なスタッフとして切り盛りしたり、ハード面では宿泊用の部屋や中庭、カウンターなど毎回リニューアルされて、訪れる度に居心地が良くなっていく。そういった変化すべてが徳山鮓の場合、進化に繋がっている。部屋数も増えたのだが、今やすっかり予約が取れなくなってしまって、年に1~2回しか行けないのが何とも悔しい。
それは四季が変わるからという意味ではない。たとえば鮒鮓の仕込み方にしても、いわゆる風味が豊かなものから、最近では、あの独特な風味に慣れていない方向けに香りを控えめにしたタイプもある。なにしろ今日仕込んで明日できるわけではない。半年かけて発酵の状態を微妙に調整しながらゆっくりゆっくり作り上げていくのである。今では鮒鮓に浸かった「飯」の使い方も独特で、なんと半年間も浸かって役割を終えたかに見える飯の部分をアイスクリームに仕立てている。爽やかな酸味が口の中をきれいにしてくれて食事の締めくくりとして最高である。
また、冬場の名物である「熊鍋」。熊の脂身とネギが絶妙な組み合わせだ。そこに運よく天然のキノコが入ったら、さらにワンランク格が上がる。そういった徳山鮓ならではの料理のブラッシュアップはもちろん、お子さんが修業先から戻って強力なスタッフとして切り盛りしたり、ハード面では宿泊用の部屋や中庭、カウンターなど毎回リニューアルされて、訪れる度に居心地が良くなっていく。そういった変化すべてが徳山鮓の場合、進化に繋がっている。部屋数も増えたのだが、今やすっかり予約が取れなくなってしまって、年に1~2回しか行けないのが何とも悔しい。
徳山鮓の時間の流れ方。
徳山鮓のことを考えると、いつも「家」が頭に浮かんでくる。
たとえば、結婚して所帯を持つ。当然、最初は大きな家には住めないので、小さなアパートに住み始める。やがて、子供ができ、少し広めのマンションに引っ越す。よく働き、仕事も順調、役職も付き、収入も増え、子供も大きくなり、子供部屋を作るためにもマイホームを購入。そして、いつか子供は巣立ち、独立するが、親が高齢になり、家を引き継ぐために戻ってくる。そして、次の世代へと引き継がれていく。
ゆっくりと、でも、スムーズに、いろんな角度のカーブを描きながら、時間だけは確実に進んでいく。
そう、私が徳山鮓に惹かれるのは、そんな時間の流れ方なのかもしれない。
彼らは自然の中で歩みを進める。その年に豊作だったもの、その日に状態が良かったものをテーブルにのせる。入手方法も含めて、食材を徐々に開拓し、そのペースに合わせて料理や店造りまでも進化させていく。とても自然に、あくまでも彼らのペースで。
その営みの中に身を置かせてもらうことで、自分自身もそこに溶け込んだような感覚になる。まるでなれ鮓がふつふつと、じっくり深みを増していくように、自分も人間としてまろやかな旨味が増したような、そんな気さえするのだ。
まさしく円熟味を感じさせるご夫妻のところへ、今、世界中から客がなだれ込む。東京でも京都でもない場所に、時間に制約のある海外からの旅行者が殺到している。訪問したくても今や数カ月待ち。もう簡単に行けるお店ではなくなった。でも、昔からのファンは離れていない。みな、徳山鮓の深化のペースに合わせるだけなのだ。
たとえば、結婚して所帯を持つ。当然、最初は大きな家には住めないので、小さなアパートに住み始める。やがて、子供ができ、少し広めのマンションに引っ越す。よく働き、仕事も順調、役職も付き、収入も増え、子供も大きくなり、子供部屋を作るためにもマイホームを購入。そして、いつか子供は巣立ち、独立するが、親が高齢になり、家を引き継ぐために戻ってくる。そして、次の世代へと引き継がれていく。
ゆっくりと、でも、スムーズに、いろんな角度のカーブを描きながら、時間だけは確実に進んでいく。
そう、私が徳山鮓に惹かれるのは、そんな時間の流れ方なのかもしれない。
彼らは自然の中で歩みを進める。その年に豊作だったもの、その日に状態が良かったものをテーブルにのせる。入手方法も含めて、食材を徐々に開拓し、そのペースに合わせて料理や店造りまでも進化させていく。とても自然に、あくまでも彼らのペースで。
その営みの中に身を置かせてもらうことで、自分自身もそこに溶け込んだような感覚になる。まるでなれ鮓がふつふつと、じっくり深みを増していくように、自分も人間としてまろやかな旨味が増したような、そんな気さえするのだ。
まさしく円熟味を感じさせるご夫妻のところへ、今、世界中から客がなだれ込む。東京でも京都でもない場所に、時間に制約のある海外からの旅行者が殺到している。訪問したくても今や数カ月待ち。もう簡単に行けるお店ではなくなった。でも、昔からのファンは離れていない。みな、徳山鮓の深化のペースに合わせるだけなのだ。
徳山鮓とオレンジワイン
食の宝庫、余呉に囲まれる徳山鮓。日本酒はやはり地元の銘酒、富田酒造の「七本槍」一筋だが、ワインはいろいろと揃えている。なかでも「なれ鮓」や「熊鍋」に抜群の相性を見せるのが、スキンコンタクト(発酵時にブドウの皮を浸け込む)で造るオレンジワイン。「え、オレンジ?」と思われるかもしれないが、世の中に白と赤とロゼしかないなんて誰が決めたのだろう?
私がお世話になったオーストラリアのワイナリーなどは自分の白ワインのことを「ゴールドワイン」と表現していたし、世界のトップレストランの中には、ワインリストに「オレンジワイン」というカテゴリーを堂々と設ける店だってある。ワインの表現はもっと自由でよいはず、感じたままを表現することの何が悪いというのか?
で、このオレンジワイン、通常、白ブドウを仕込む際は皮を取り外して果汁のみを発酵させるところ、赤ワインのように皮ごと発酵させる。すると、普通の白ワインより旨味やタンニンなどが抽出できる。
徳山鮓の料理は、繊細ではあるけれど、なれ鮓や熊の風味に合わせただしなど旨味がたっぷり含まれている。なので、白ワインだと弱すぎる。赤ワインでは重すぎる。ロゼもよいが、香りが負けてしまう時がよくある。そこで登場するのがこのオレンジワイン。香りの強さも旨味の凝縮度合いも本当にしっくりくる。徳山鮓は、ワインにも新しい扉を開いてくれる店である。
私がお世話になったオーストラリアのワイナリーなどは自分の白ワインのことを「ゴールドワイン」と表現していたし、世界のトップレストランの中には、ワインリストに「オレンジワイン」というカテゴリーを堂々と設ける店だってある。ワインの表現はもっと自由でよいはず、感じたままを表現することの何が悪いというのか?
で、このオレンジワイン、通常、白ブドウを仕込む際は皮を取り外して果汁のみを発酵させるところ、赤ワインのように皮ごと発酵させる。すると、普通の白ワインより旨味やタンニンなどが抽出できる。
徳山鮓の料理は、繊細ではあるけれど、なれ鮓や熊の風味に合わせただしなど旨味がたっぷり含まれている。なので、白ワインだと弱すぎる。赤ワインでは重すぎる。ロゼもよいが、香りが負けてしまう時がよくある。そこで登場するのがこのオレンジワイン。香りの強さも旨味の凝縮度合いも本当にしっくりくる。徳山鮓は、ワインにも新しい扉を開いてくれる店である。
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