小林 宙さん(こばやし・そら)
種の小売販売店店主
2020.12.10
15歳で伝統野菜の種子を守るために起業した青年がいる。昨年9月には『タネの未来』という本を刊行した小林宙さん。高校3年生になる目前、3月に彼を訪ねた。
「本が出てから毎週末取材や講演で忙しい。そろそろ大学受験の勉強をしたい」と話す彼の進路は、当然農学部なのかと思えば「野菜や農業は勉強してきたので大学は違う分野を勉強したい」とさらりとかわした。
知らない野菜にワクワクする
東急電鉄池上線沿線の駅を降りる。昭和映画のセットのような街には、ふとん屋や「写ルンです」を並べるカメラ屋が健在だ。周辺は町工場が多く、小林家も祖父が工場を営む。3階建ての自宅は1階が工場、2、3階が家族の住居だ。小学生の頃から祖父とホームセンターに通い、野菜の種子を入手し育ててきた。
「特別なきっかけは特にない」。発芽や結実、挿し芽、植物の生態はハマるに十分な面白さだった。
普通の男の子が電車やゲームに勤しむように、彼は野菜作りに夢中になった。自宅の屋上菜園で、本で読んだ栽培方法を試し、ホームセンターの種子は全制覇する。そして次の標的をホームセンターでは買えない珍しい野菜に定めた。これが地域でしか流通していない伝統野菜の種子との出合いとなる。
中学生になると日帰りできる距離の種苗店を訪ねた。そして、自分が心を踊らせる珍しい野菜の種子が、種採り農家の廃業などで絶滅の危機にあることを知る。昔は、農家が翌年の栽培のために自ら種採りもした。こうした野菜の形質は次世代にも種を通じて継承され、固定種と呼ばれる。小林さんが夢中になったのが、この固定種だ。
戦後、種子採りは多収性があり育てやすい品種を開発する企業の仕事になった。農家は毎年種苗会社から種子を買う。形質の継承されない種子。これをF1種と言う。今の農業の9割はF1種とも言われる。「固定種は、もっと色んな場所、人に流通させないとどんどん消えてしまう」。中学時代にその危機感を募らせた。
中学3年生の2月、春の種蒔きの時期に合わせて、小林さんは地方の種苗会社から種を仕入れて販売する事業を開始した。「学生ではネット販売に常時対応は無理」と、販売場所は近所の海苔屋、馴染みの本屋など。小学生の頃から近所のフリーマーケットで自分の野菜を販売してきた小林さんは界隈で有名人だ。
「地元の応援は大切です」の発言には、クスリとさせられる。
起業後は、商品の仕入れも兼ねて、休みになると青春18切符で一人、日本各地の種苗会社を巡る旅に出た。『都道府県別 地方野菜大全』(農文協刊)の巻末にある各地の種苗店の住所と連絡先の一覧が手がかりだ。訪ねる時は絶対にノーアポイント。
「電話で身分を明かすと怪しまれる。ふらっと店に入って大人っぽく振る舞い、警戒心を解く。これがベストなんです」。
静かなる意思表示
種子を残すために、手段を選ぶ余裕はない。
「元の土地を離れたら伝統野菜でないと言う人もいるけれど、僕らが伝統野菜と思っているものは、江戸時代の参勤交代で殿様が異動して植えて伝統になったものも多い。とにかく色々な人の手に渡らないと」。
固定種は、新たな品種の台頭でますます存在が危うくなると言われる。遺伝子組み換え、通称GM品種の台頭だ。GM品種はF1よりも安定性があり、農薬(除草剤)とのセット販売で生産量を確保する。開発を担うのはグローバルな化学系企業が多い。種子は企業の特許として登録されている。固定種の隣にGM品種の畑があれば、意図しない交配もありうる。その場合、企業は特許侵害で農家を訴えることもできる。なおGM品種はF1品種と違い二代目以降も形質を継ぐので実質的には固定種である。
日本の種子に関する法律には、主要作物の種子の公益性を守る種子法と開発者の権利を守る種苗法がある。前者は2018年に廃止され、今は後者が強くなる傾向だ。一部の農業関係者は種子の危機だと声高に言うが、小林さんは状況を俯瞰する。「F1品種もGM品種もそれぞれメリットがある。僕が固定種を守りたいのは、現状で固定種を守る方法がないから」。
自分の事業は、固定種のプラットホームになることが目標だ。この先、極端に品種が絞られたら、大きな気候変動でなどで、食料の安定生産ができなくなる可能性もある。
「多様性は可能性」と彼は言う。「種子の多様性を守るには、仕組みにしないとだめ」。
壮大なことを語っているのに、独特の冷静さを見せる。
「将来の仕事はまだわからない。固定種の種子を守るのは、事業性はないけれど大切です。趣味でできるのが理想かな」。もうすぐ高校3年生は、一仕事終えた定年前の大人みたいに、いやそれ以上に達観していた。
◎ 鶴頸種苗流通プロモーション
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